ゲームブックの歴史:アドベンチャーゲームブック「火吹山の魔法使い」・ペーパーアドベンチャー・「ドルアーガの塔」3部作ほか

ゲームブックの歴史:アドベンチャーゲームブック「火吹山の魔法使い」・ペーパーアドベンチャー・「ドルアーガの塔」3部作ほか

ゲームブックの元祖とされるアドベンチャーゲームブック「火吹山の魔法使い」、日本のゲームブック史上最高傑作とも言われる「ドルアーガの塔」3部作といった日本のゲームブックの歴史を振り返りましょう。


1984年8月 コンピューター雑誌『マイコンBASICマガジン』において、手塚一郎により「ペーパーアドベンチャー」としてゲームブックの形式が紹介される

ペーパーアドベンチャー、昔、友達とノートに書いて遊んだ人も多かったのではないでしょうか。

1984年8月 コンピューター雑誌『マイコンBASICマガジン』において、手塚一郎により「ペーパーアドベンチャー」としてゲームブックの形式が紹介される

手塚一郎氏の監修による 短編集の二冊目「ペーパーアドベンチャー2」

ペーパーアドベンチャー ケンヅョウコウヅの館

1984年9月、朝日ソノラマより『ハローチャレンジャーブック』シリーズが刊行開始。これが日本における初のゲームブック単行本である。

アイドル体験できるゲームブック。

『ハローチャレンジャーブック』シリーズの第1弾は高橋昌也執筆の『出発!スターへの道』

『ハローチャレンジャーブック』シリーズ ゲームブック『出発!スターへの道』

1984年12月に日本語版『火吹山の魔法使い』が社会思想社より発行されて直ちにベストセラーになる

『火吹山の魔法使い』(ひふきさんのまほうつかい、ひふきやまのまほうつかい、英語:The Warlock of Firetop Mountain )はイギリスのゲームブック。著者はスティーブ・ジャクソン、イアン・リビングストン。
『ファイティング・ファンタジー』シリーズ第1巻。原書は1982年にパフィンブックスより刊行され、2002年にウィザードブックスより再刊された。

怪物が跋扈するファンタジー世界を舞台とし、剣を頼りに危難を切り抜けていく冒険者として活躍する作品。一般にゲームブックの元祖とされる。

パラグラフ選択形式の書籍は先行する作品がバンタム・ブックスなどから刊行されていたが、ゲーム業界に与えた影響力の大きさを考慮すれば本作品を「元祖」と称しても問題ないだろうと、安田均は述べている。

簡素さゆえに「プリミティブ」と評されることもあるが、後に至るまでゲームブックの代表作としての地位を占めている。両著者のうち、ゲームブックというコンセプトを発案したのが斬新な発想を売りとするジャクソンで、それをひとつのスタイルとして仕上げたのが地味でも堅実な仕事をするリビングストンだろうと安田は見ている。

1980年、ジャクソンとリビングストンが開催していたコンベンション「Games Days」にはペンギンブックスが出展しており、そこには女性編集者ジェラルディン・クークがいた。ジャクソンらは、彼女と話すうちに「ペンギンブックスからファンタジー・ロールプレイングゲームの本を出してはどうか」と持ちかけ、快諾を得た。

最初期案ではゲームのやり方を載せたマニュアル本だったが、「どうせなら本自体でRPGができればいい」とジャクソンが思いつき、本作品の原型となる『マジック・クエスト』を作り上げた。

『火吹山の魔法使い』の執筆には6か月を費やしている。なお、実際の刊行はペンギンブックスではなく、子供向けセクションのパフィンブックスが担った。

パフィンブックス版の表紙は独特のデザインをしており、通常であれば書名を見やすくするためペーパーバックの上部にタイトルを載せるところ、カバーアートを手がけたピーター・ジョーンズが並外れたセンスを発揮して表紙の中央にタイトルを配置し、多くの出版社を驚かせた。もっとも1週間で描いた作品であったため、ジョーンズ当人はずっと改作したいと思っていたそうである。

刊行当初は大きな宣伝もなかったために売れなかった。しかしRPGファンはこの本の存在を見逃さず、さらにBBCラジオのプロデューサーが取り上げたことがきっかけとなって爆発的にヒット。2 - 3週間すると売り切れ、6か月間に10回の増刷を重ねて、売り上げ部数は25万を越えた。

日本語版は1984年、浅羽莢子による訳で社会思想社の現代教養文庫より刊行され、ゲームブックブームを巻き起こした。その後、2005年には扶桑社よりほぼ同内容で再刊された。
(出典:Wikipedia「火吹山の魔法使い」)

ゲームブック『火吹山の魔法使い』

アドベンチャーシート
プレイヤーの体力値や入手したアイテムなどを書きとめる表。コンピュータ・プログラムの変数値のように、記号や番号を振った枠が用意されており、そこにゲームを進めるごとにチェックや数値を記入して、後からその値を参照する場合もある。通常、ゲームブックの中にそのゲームブックに対応したアドベンチャーシートがつけられている。

アドベンチャーシート (Adventure Sheet) または冒険記録紙(ぼうけんきろくし)とは、ゲームブックをプレイする際に、体力の数値や持ち物などを記録し管理するための用紙である。

アドベンチャーシートは、世界最初のゲームブックである『火吹山の魔法使い』に添付され、以後多くのゲームブックに添付されている。 一般に、体力や技量などの数値の増減を管理する欄、冒険の途中で手に入れた金貨や宝物、食料の数などを記録する欄がそれぞれ印刷されている。 言ってみればテーブルトークRPGのキャラクターシートを簡略化したものである。

モンスターとの戦闘があるゲームブックでは、敵の体力などを一時的に管理する作業用のスペースが設けてあることも多い。

ゲームブックの複雑化に伴い、記録する内容は増加する傾向にあった。 キャラクターの能力以外にも、フラグ管理のためにチェック欄を設けたものも存在する。 これら項目の増加は、キャラクターやゲーム世界の変化をよりリアルに表現する反面、プレイヤーが管理に手間を取られ興醒めしてしまう場合もある。
(出典:Wikipedia「アドベンチャーシート」)

冒険記録紙(アドベンチャーシート)に能力を書いて冒険スタート!

ゲームブックの元祖『火吹山の魔法使い』のマップ(CG)

強い魔法使い

1985年には『ソーサリー』4部作の日本語訳が東京創元社より創元推理文庫として発売され、ゲームブックブームの火付け役となった

ソーサリー(Sorcery!)は、スティーブ・ジャクソン作のゲームブック四部作。日本では東京創元社及び創土社から日本語訳が出版されている。

ゲームブック『ソーサリー』

古典ゲームブック『ソーサリー』が iPadで復活

【ゲームブック】アドベンチャーゲームブックでページをめくりまくった幼き日々、一番人気のあったタイトルは!? - Middle Edge(ミドルエッジ)

1986年には社会思想社よりゲームブック雑誌「ウォーロック」が翻訳・創刊された

『ウォーロック』(Warlock)とは、ペンギン・ブックスとイギリスのゲーム制作会社ゲームズ・ワークショップにより、1983年から1986年にかけて発行された雑誌である。本来ウォーロックはファイティング・ファンタジーのゲームブックシリーズの専門誌であったが、すぐにファンタジーゲームジャンル全体を広く取り扱うようになった。

『ウォーロック』は社会思想社による特約誌として、日本でも1986年12月から翻訳出版された。日本版『ウォーロック』は後にはイギリス版から離れた内容も取り扱うようになり、1992年3月まで通巻63号発行された。

日本版ウォーロックは1984年発売のゲームブック『火吹山の魔法使い』(The Warlock of Firetop Mountain)、1985年の『ソーサリー』シリーズの成功を受けて1986年に英『warlock』誌の日本版として創刊された。

創刊当初はファイティング・ファンタジーシリーズをはじめとするゲームブックのフォロー・レビュー記事を中心に同シリーズのシステムを用いたテーブルトークRPGである「ファイティングファンタジー」への誘導を行っていたが、出版の遅れからこの戦略はゲームブック形式のソロシナリオのラインナップを持つ『トンネルズ&トロールズ』(略称『T&T』)が引き継ぐ形となる。

初期は海外の翻訳記事、古代・中世ヨーロッパや日本に関する読み物、ファンタジー要素を持つ映画・小説の批評、雑誌上で完結するミニゲームブックの掲載といった文芸誌的な誌面構成であった。後にグループSNEの中核をなすこととなる面々も、この時期にライターとして活躍していた。

ゲームブックが低迷期に入ると、『トンネルズ&トロールズ』と訳者である清松みゆきを中心としたテーブルトークRPGに比重をおいた構成となる。初期から続く読み物に加え、テーブルトークRPG入門マンガ、半公式となるオプションルールの紹介および誤植の訂正、リプレイ記事、メタルフィギュア・ダイス等のアクセサリーの紹介などの企画もなされた。

その後は本誌の企画に基づいて造られた『ハイパーT&T』、ミニチュアゲームから派生した『ウォーハンマーRPG』を取り扱った。
(出典:Wikipedia「ウォーロック」)

社会思想社による特約誌 日本版『ウォーロック』

1980年代には二見書房・富士見書房・ホビージャパンなどの出版社がそれぞれシリーズを刊行するという一大ブームになっていた

ドルアーガの塔(ドルアーガのとう)は、同名のコンピュータゲーム『ドルアーガの塔』を原作とするゲームブック。

鈴木直人著、虎井安夫イラスト。以下の3巻で構成される。
『悪魔に魅せられし者』1986年7月31日、ISBN 978-4-488-90302-2
『魔宮の勇者たち』1986年10月31日、ISBN 978-4-488-90303-9
『魔界の滅亡』1986年12月21日、ISBN 978-4-488-90304-6

『ゼビウス』に続く、東京創元社によるナムコ作品のゲームブック化第2弾。生身の主人公が単身ゼビウス星に乗り込むというゲームブック独自の展開を見せた前作に対し、本作ではオリジナルのコンピュータゲームに近い形の表現を試み、オリジナル同様全60階のダンジョンすべてを探索する、各巻20階ずつの3部作という構成になった。当時としては珍しい、迷路の中を自由に行き来できる双方向型で、ほとんどのフロアで正確な地図が書けるように工夫されている。

原作の設定を下敷きにしつつも、塔の中で暮らす人々やモンスター、数々の工夫された仕掛け、魅力あるNPC等で独特の世界観を築き上げた。日本のゲームブック史上最高傑作とも言われるその影響力は多大なものがあり、同じ出版社の開催とはいえ、創元ゲームブック・コンテスト第1回の応募作には本作のルールをそのまま借用したものが多数あったという。
(出典:Wikipedia「ドルアーガの塔 (ゲームブック)」)

1984年のアーケードゲーム『ドルアーガの塔』を原作とする「ドルアーガの塔」3部作(鈴木直人・創元推理文庫 1986年 -)は日本のゲームブック史上最高傑作とも言われる

「ドルアーガの塔」のアドベンチャーシート

シャーロック・ホームズ 10の怪事件
ゲイリー・グレイディ、スーザン・ゴールドバーグ、レイモンド・エドワーズ 著 二見書房

名だたる探偵の中でも、最も有名な存在と言えるのがコナン・ドイルが生み出したシャーロック・ホームズであることに異論をはさむ人は少ないであろう。

そのシャーロック・ホームズが活躍する世界を見事に再現したのが、このシャーロック・ホームズ10の怪事件である。ゲームブックと言っても、パラグラフを選んで進んでいく普通のゲームブックとは異なり、主人公である君はベーカー街探偵団の一人としてリーダーのウィギンズとともに、ロンドンの街を駆け巡ることになる。

事件に関係のありそうな場所を片っ端から訪れて推理を働かせれば、たいがいの事件の謎は解けると思うが、勝利条件としては、出来るだけ少いヒントから事件を解決に導き、あらかじめ設定されているホームズの捜査点を上回る必要がある。

出典:ゲームブック大事典「シャーロック・ホームズ 10の怪事件」
http://www.h2.dion.ne.jp/~yatte/gamebook3.html

シャーロックホームズ 10の怪事件(1985年12月)

コナン・ドイル原作の『シャーロック・ホームズ』の世界を再現した探偵ゲーム第一弾となるゲームブック。パラグラフを選んでいく、普通のゲームブックとは異なるシステムで、10の怪事件の謎を解いていく。 本の付録には、事件解決に役立つ、『ロンドンの地図』、『ロンドン住所録』、『10日分が綴られたタイムズ』、『14の情報源』が用意されている。

Amazonより
http://www.amazon.co.jp/dp/457685092X

シャーロックホームズ 10の怪事件(1985年12月)

ゲームブックの隆盛はテーブルトークRPGの普及に直結した

テーブルトークRPG、あるいはテーブルトーク・ロールプレイングゲームは、ゲーム機などのコンピュータを使わずに、紙や鉛筆、サイコロなどの道具を用いて、人間同士の会話とルールブックに記載されたルールに従って遊ぶ“対話型”のロールプレイングゲーム(RPG)を指す言葉である。

TRPGと略記されることがある。TTRPG、tRPGなどの略記もある。また、会話型RPGとも呼ばれる。なお、TRPGと会話型ロールプレイングゲームはホビージャパンの登録商標となっている。

「テーブルトークRPG」は日本での造語(和製英語)である。元々、英語で「RPG」(role-playing game)と言う場合にはこの「テーブルトークRPG」を指す。しかし、日本ではコンピュータRPGを指すのが一般的であるため、 元来の RPGをコンピュータRPGと区別する呼称としてこの言葉が普及した。

英語圏でコンピュータRPGと区別する場合には、ペン&ペーパーRPG(pen-and-paper RPG)、テーブルトップRPG(tabletop RPG)などと呼ぶ。

日本におけるテーブルトークRPGの始まりは、1970年代後半に求められる。 原宿キディランドなどの玩具店や模型店で、日本国外製の原語のTRPGが輸入販売されるようになり、それをプレイする人々が初期のユーザーとなった。

元々はアメリカの大学生の遊びから生まれたゲームであるため、ルールは全て英語で書かれており、それを読めなければゲームを始めることすらできなかった。しかし、彼らは次第にゲームの翻訳・翻案、さらには自作まで行うようになる。

日本ではテーブルトークRPGよりも一足先にボードシミュレーションゲームが紹介されており、1980年代前半にはファン層も確立され、日本語のゲームや日本語の専門誌もいくつか出版されていた。

『TACTICS』『シミュレイター』などの当時のボードシミュレーションゲーム雑誌では、「ボードシミュレーションゲームの兄弟のようなゲーム」として日本国外のRPGならびにその周辺の状況がたびたび紹介されている。

1982年5月1日発売の『TACTICS』3号にロールプレイングゲーム「ドンキーコマンド」が掲載される。「ドンキーコマンド」はコマンド隊員をキャラクターとして作成し、秘密基地に潜入。爆破や奪取任務を行う1人プレイ用のルールであった。

日本語で書かれたTRPG製品が商業ベースで発売されるようになったのは1983年で、この年にエドワード・リプセットにより『スタークェスト』が ツクダホビーから発売されている(リプセットは日本人ではなかったが、『スタークェスト』はあくまで日本オリジナルの国産製品である)。

また、同年にはツクダホビーやバンダイから、ロールプレイングゲームの要素を持つボードゲームが日本人のゲームデザイナーにより多数発売された(ツクダホビー「クラッシャージョウ」、バンダイ「元禄忍者伝」など)。

1984年には日本人作による初の本格的なテーブルトークRPGである『ローズ・トゥ・ロード』(門倉直人著、ツクダホビー発売)が発売された。また、同年には日本国外製TRPGの初の日本語翻訳製品となる『トラベラー』がホビージャパンより発売されている。その後、1985年には『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(新和)、1986年には『クトゥルフの呼び声』(ホビージャパン)と、著名な日本国外作品の日本語翻訳版発売の流れが続き、後のブーム(繁盛期)の端緒を開いた。

日本語のTRPG製品が発売されていった1980年代前半は、コンピュータRPGが日本のパソコンゲームファンに注目されだした時期でもある。『ログイン』『Beep』などのコンピューターゲーム誌では「ウィザードリィやウルティマの元となったゲーム」として、ダンジョンズ&ドラゴンズ等の紹介が始まり、コンピュータゲームをきっかけにテーブルトークRPGに興味を持つ、という流れを作り出した。なお、コンピューターゲーム誌では、コンピューターRPGに対しての「ボードRPG」という造語が盛んに用いられていた。

1980年代後半に入ると、パソコンゲーム雑誌『コンプティーク』(角川書店)誌上に、D&Dのシステムを用いた『ロードス島戦記』のリプレイが掲載された。その後、リプレイを原案とした小説版『ロードス島戦記』が発表され大きな反響を呼び、漫画やOVA、パソコン用ゲームなど、いわゆるマルチメディア展開を見せ、日本におけるテーブルトークRPG普及に一役買うことになる。
(出典:Wikipedia「テーブルトークRPG」)

テーブルトークRPG

『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(Dungeons & Dragons : 略称はD&D)は、アメリカのファンタジーテーブルトークRPG。世界で最初のロールプレイングゲームであり、他のロールプレイングゲームの原点ともなり、最も広くプレイされた作品である。

日本語版はいくつかの出版社から翻訳されていたが、2014年現在ではホビージャパン社によって発売されている。
(出典:Wikipedia「ダンジョンズ&ドラゴンズ」)

世界で最初のロールプレイングゲームのテーブルトークRPG「ダンジョンズ&ドラゴンズ」をプレイ中の様子

任天堂のファミコンをはじめとする家庭用ゲーム機が爆発的に普及している時なので、日本ではコンピューターゲームをベースとしたゲームブックが多数発行された

エニックス(現スクウェア・エニックス)からも「エニックスオリジナルゲームブック」として、同社が発売したコンピュータRPGの人気作ドラゴンクエストシリーズ(ゲームブックドラゴンクエストの項参照)などのゲームブック化

アドベンチャーヒーローブックスは勁文社から刊行されたゲームブックのレーベル。

1980年代後半の日本におけるゲームブックブームは、ファミリーコンピュータ(ファミコン)の隆盛と時期が重なっており、ファミコンソフトを題材としたゲームブック作品が複数の出版社から刊行された。アドベンチャーヒーローブックスはその1つであるが、巻を重ねるにつれアニメや実写映像作品も原作として取り入れるようになった。

本レーベルの判型は新書で、基本的に文章は横書きの左開き本である。しかし中にはコミック版と呼ばれる、1ページ1項目の漫画形式の作品があり、これらは文章が縦書きの右開き本となる。

ゲームシステムは作品によって様々だが、バトルポイント表を用いて戦闘処理を行うものが多い。まずゲーム開始時に、A・B・C…の枠の中に任意の数字を割り振る。そして敵と遭遇すると「敵の攻撃力はB+5、あなたの攻撃力はF+6」のように指示され、数値を比べることで勝敗が決まる。サイコロを使用して戦闘時にその場で無作為要素を発生させる手法と違い、最初の設定の時点で成否がある程度決まっている。アイテム不足など別の敗因がなければ、プレイヤーはバトルポイントの割り振りを繰り返して、確実に勝てる設定を模索することになる。

「機動戦士ガンダム 最期の赤い彗星」
著 : 山口宏 / 編 : スタジオ・ハード / 1986年 ISBN 4-7669-0398-6
キシリアを殺害し、ザビ家への復習を果たしたシャア・アズナブルは、打倒ザビ家に賛同し、彼を支援した同志達とともに、グワジン級戦艦「アサルム」を奪取し、密かにア・バオア・クーを脱出していた。今後の行く先を決めるためシャアは、まずは親友キグナンに会うために月を目指したが、黒塗りのザンジバルが一隻、アサルムを追尾していた。

ア・バオア・クー戦後、シャアがアクシズに到達するまでの道のりを描いた作品。「機動戦士ガンダム」で設定されたもののアニメには登場しなかった、「ペズン計画」のモビルスーツが登場する。
(出典:Wikipedia「アドベンチャーヒーローブックス」)

「アドベンチャーヒーローブックス」シリーズ 「機動戦士ガンダム 最期の赤い彗星」

一連のブームは1990年以降急速に衰退していった

1993年に発売された世界初のトレーディングカードゲーム(TCG)「マジック:ザ・ギャザリング」

マジック:ザ・ギャザリング (Magic: The Gathering) は、米ウィザーズ・オブ・ザ・コースト社製のトレーディングカードゲーム。日本における代理店は、日本語版が発売された1995年からはホビージャパン、2004年以降は旧タカラ、2006年以降2011年まではタカラトミーである。2012年よりウィザーズ・オブ・ザ・コースト社の日本支社が窓口になっている。

1993年に発売された世界初のトレーディングカードゲーム(TCG)である。公式にはマジック、M:tGのように略され、他にもギャザなどと呼ばれる。このほか、「もっともよく遊ばれているTCG」などでもギネス世界記録に認定している。

メインデザイナーのリチャード・ガーフィールドは、このゲームを作ったヒントがボードゲームのコズミック・エンカウンターにあると話している。コズミック・エンカウンターの基本的なルールは簡潔なもので、そのままでは単調な展開にしかならない。しかし各プレイヤーはプレイ開始時点に“特殊能力”を与えられており、時には基本ルールを逸脱するような特殊ルールが適用される。これによってゲームの展開やバランスはプレイごとに大きく変化する。

マジック:ザ・ギャザリングを初めとするTCGにおいては、一定の制限内で好きなようにカードを組み合わせたデッキ(山札)を各プレイヤーが用意する。さらに、多くのカードが原則を破る特殊ルール(極端な一例として「ライフが0になっても敗北しない」「山札切れすると勝利する」など)を持っている。これにより、コズミック・エンカウンター以上に多彩かつダイナミックな展開が実現された。

このゲームは発売されてから短期間の内に驚異的な人気を得て、TRPG関連の新興零細メーカーに過ぎなかったウィザーズ・オブ・ザ・コースト社を一気に成長させた。そしてその人気に触発されて多くのメーカーが次々とTCGを発売した結果、僅か数年でTCGがゲームの一ジャンルとして確立したのである。人気は他のゲームジャンル・漫画にも影響を与えた。ポケットモンスター、遊☆戯☆王はこのゲームの影響を強く受けている。

大会形式も確立されており、世界中でトーナメントが開かれている。世界中からトッププレイヤーが集結して開催されるプロツアーや世界選手権を目指し、生活をマジックに捧げてまで世界を相手に競う若者も多い。

初めの頃は日本勢は優勝どころかベスト8すら高い壁であり、良くてベスト16前後を行ったり来たりする程度であったが、2001年のプロツアー東京にて藤田剛史が日本人初のベスト8入り(準優勝)を果たしたのを皮切りに、日本人がどんどん世界の舞台に進出していった。

そしてついに2004年プロツアー神戸で黒田正城が初めて日本人初のプロツアー王者に輝く。2005年シーズンでは世界選手権個人戦を森勝洋が制し、日本人初の世界王者となった。

同時に国別対抗トーナメントでも日本代表が優勝し、プレイヤー・オブ・ザ・イヤー(年間MVP)を津村健志が獲得したことで、日本が三冠を達成した。

また2006年世界選手権では国別対抗トーナメントこそ準優勝と三冠は逃すものの、世界選手権個人戦優勝(三原槙仁)、プレイヤー・オブ・ザ・イヤー(八十岡翔太)と2つのタイトルを連続で日本に持ち帰ることとなった。前出の藤田剛史、津村健志に加え、公式大会で一番多くマッチを行った中村修平の3人は、マジック殿堂入りも達成している。
(出典:Wikipedia「マジック:ザ・ギャザリング」)

トレーディングカードゲーム「マジック:ザ・ギャザリング」

マジック:ザ・ギャザリングの魅力のひとつであるデッキ構築を本格的にスタートするためのパーツがそろっています。準ランダムカード125枚、ブースターパック4個、基本土地カード100枚、デッキビルダーガイド、遊び方ガイド、カードボックスが同梱されています。これから新しいデッキをたくさん作っていきたいという方にオススメな製品です。

『マジック:ザ・ギャザリング』デッキビルダーセット

2001年に創土社が『アドベンチャーゲームノベル』シリーズと銘打ってゲームブックの出版を開始

著 : 中河竜都 / 絵 : 高橋正輝 / 項目数 : 440 / 2004年 ISBN 4-7893-0134-6
孤児院とは名ばかりの奴隷市場から逃げ出し、冒険者となったレイラ・ヴィーク。彼女の心残りは、ともに逃げようと誓った少年エリック・カーンとはぐれたきりになってしまったこと。

誰よりも勇敢だったエリックは、その優秀さから「竜の血を引く」と噂されていた……。旅の中でローレンシア王国を訪れたレイラは、イアン王子が行方不明となったという触れ書きを目にする。王子の顔は、エリックにそっくりだった。

双方向型である本作は、一度倒した敵は再戦時には強さが2倍になり、その次には3倍になるという処理を行う。

公式にはコメントされていないが、1987年に東京創元社から刊行された古川尚美によるゲームブック『ドラゴンバスター』のリメイク作品である。物語や登場人物はまったく別のものだが、項目の構成や劇中の謎かけなどはほぼそのままである。
(出典:Wikipedia「アドベンチャーゲームノベル」)

アドベンチャーゲームノベル「竜の血を継ぐもの」

ゲームブックの愛好者がいなくなったわけではなく、2001年に創土社が『アドベンチャーゲームノベル』シリーズと銘打ってゲームブックの出版を開始し、人気の高かった作品の復刊やそのような作品に関連する新作の発行を行っている。 「ソーサリー」シリーズ全4巻も2003年から順次復刊された。同社はJ・H・ブレナンの「グレイルクエスト」シリーズをも大幅な改良とともに復刊している。『送り雛は瑠璃色の』や『展覧会の絵』といった国産の名作ゲームブックも創土社が復刊している。 それだけではなく、創土社は『ドラゴンバスター』のリメイクである『竜の血を継ぐ者』や、公募作品である『魔人竜生誕』など、新作の刊行にも余念がない。 また、扶桑社も2005年に『火吹山の魔法使い』と『バルサスの要塞』を復刊した。ゲームブックとは異なるが書籍形式の対戦ゲームである『ロストワールド』を日本向けにアレンジした『クイーンズブレイド』も2005年にホビージャパン社より出版され、順調にシリーズを展開している(2009年現在)。 2006年にはゲームブックのシステムをコンピューター上で忠実に再現した『蠅声の王』が、美少女ゲームアワードのニュージャンル賞を獲得した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF

ゲームブック - Wikipedia

『蠅声の王』(さばえのおう)とは2006年4月28日にLost Scriptから発売された18禁アドベンチャーゲームである。
初回版にはオリジナル六面ダイス2個・記述用ステータスシート封入。

本作はゲームブランド「Lost Script」のデビュー作。「デジタライズド・ゲームブック」と銘打たれたジャンル通り、良くも悪くも『ゲームブック』を忠実にデジタルゲーム化したかような作品となっている。その一風変わったゲーム性が評価され、『美少女ゲームアワード2006』にてニュージャンル賞を受賞した。
(出典:Wikipedia「蠅声の王」)

デジタライズド・ゲームブック『蠅声の王』

【アドベンチャーゲームの歴史】1980年代前半のマイコンブームとともに黄金期を迎えたとされるアドベンチャーゲーム、その歴史を振り返ろう。 - Middle Edge(ミドルエッジ)

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