チューリップと財津 和夫
バンド『チューリップ』
大学4年の冬、東京のレコード会社から声がかかる。しかし宗田と末広は、プロでやっていく実力が財津ほどなく将来への不安があったため脱退を決意した。その後、メンバーが何回か変わります。
財津は、のち「生意気にもこれが私の考える最強メンバーだと思っていたのね。それで無しってなった時、手足をもぎ取られた感覚になったよ」と二人が脱退した時のこと語っていました。
第一期メンバーのチューリップ作品『田舎へ引っ越そう』
第二メンバーのチューリップ『さよなら動化者』
第三期メンバーのチューリップ『愛になりたい』
チューリップの間違いなく中心にいたのが、財津和夫でした。
バンド「チューリップ」のリーダー:財津和夫
1970年代から活躍しているニューミュージック系ポップスグループ「チューリップ」の中心的人物。チューリップのほとんどの楽曲の作詞、作曲を手がけている。1989年のチューリップの一時解散以降はソロ音楽活動を中心に活躍。1997年のチューリップ再結成後は、2〜3年に1回の頻度でツアー活動を軸にチューリップとしての活動も展開中。
財津和夫さんの才能は、当時のメンバーも認めるほどみたいです。
ライブ・ステージを備えた喫茶店『照和』
福岡出身の多くのアーティストが出演していたことからしばしば“伝説の照和”と称されるライブ・ステージを備えた喫茶店があります。
喫茶店『照和』で生演奏をする若物達
チューリップが「照和」へ出演するようになったのはアマチュア期チューリップからで、チューリップは当時既にかなりの人気であったため直接出演依頼されていました。また宗田と末広が抜けた後、第一期メンバーの練習場所として、「照和」が営業時間終了後に貸し出された。