プロレスラー・冬木弘道
「理不尽大王」の異名を持ち、愛嬌あるヒールとして愛されました

冬木弘道
冬木弘道の足跡

「若手三羽烏」と呼ばれた国際プロレス時代

全日本プロレスでは天龍源一郎の付き人を務める

川田利明とのコンビ「フットルース」で活躍

1992年のSWS崩壊後はWARに移籍、ここでリングネームを本名に戻し「理不尽大王」を自称

FMW移籍後、ミスター雁之助、金村キンタローらとTNR(チーム・ノー・リスペクト)を結成し、大仁田厚をFMWから追放することに成功
2001年10月27日、川田とシングルで対戦し敗北。その後全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦に天龍と組んで出場。
2002年2月のFMWの経営破綻後、3月に自ら主催する団体としてWEWを設立した。

三沢との友情で、引退興行を開催
2003年5月5日の川崎球場で一夜のみ復帰、橋本真也と電流爆破マッチを行う予定だった冬木。
亡くなる8日前の3月11日、病院から外出許可をもらい、橋本に直談判をして対戦許可をもらっていた。
なお大会では、橋本は金村キンタローと電流爆破マッチを行ったが、橋本は試合前に対戦の約束を果たすかのように、冬木の遺骨を抱え、自ら電流爆破に身を投じた。
冬木弘道という男

リング上の理不尽キャラとは裏腹に面倒見のよい性格だった冬木弘道
冬木弘道の持ち技

アンコ型の体型から繰り出す技はどれもド迫力
地団駄ラリアット
相手が劣勢になった時にコーナーにもたれ掛かりながら両手を差し上げ、「ハァーハァー」という奇声を発し小刻みに地団太を踏んだ後、走り込んで相手にぶちこむ冬木のフィニッシュ・ホールド。若手時代に「ホッホッホッ」と声を上げつつその場で「助走」をしてから走り出し、相手に攻撃を仕掛けるというムーブを行っていたが、それが変化した物だと思われる。
サムソンストライカー
キン肉バスターの体勢からブレーンバスター式に後ろへ投げ落とす。メキシコからの持ち帰りで、使い始めたのは漫画『キン肉マン』でこの技が有名になる前である。
冬木スペシャル
川田利明のストレッチ・プラムとほぼ同形。初めてこの技を使った試合後のインタビューで、記者に「かっての盟友へのメッセージですか」と問われた冬木は、「指一本分角度が違えば、もう違う技なんだよ。よく見ろ!」、「あんなしょっぱいヤツに負けてたまるか」と吠えた。
ヒールではあるが、公の媒体で他人の悪口を言ったことが無い冬木の突然の変貌に、彼の性格を知っていた記者達は驚いたと言う。この試合の後から、冬木は不人気な中堅レスラーから「理不尽大王」のキャラクターで大いに名を売り始める。
冬木スペシャル2
逆片エビ固めの体勢で、自分の太腿を支点にして足首を極める技。
サムソンクラッチ(冬木スペシャル3)
背後をとられた際にクラッチを解いて、仰向けに倒れ込みながら両足を相手の脇の下に入れ、相手の体を前方回転させてフォールの体勢に入る。
マッチョバディ・ボム
抱え式バックドロップの要領で持ち上げた相手を180°反転させ、そのままマットに叩き付ける。投げ捨て式のブルーサンダーとも言える技だがマットに叩き付けた後、パワーボムのようにエビ固めに捉える場合もあった。
バックスピンキック
三沢光晴が使用するものと同型。アンコ型の体型にも関わらず、その的確さと切れ味には定評があった。
奇声ストンピング
奇声を発しながら踏み付ける。時折菊タローが試合中に物真似している。
冬木の盟友レスラーたち
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