199cm・157kgという恵まれた体をもった双羽黒光司。
その体格を生かした取り組みで番付を駆け上がった。千代の富士が圧倒的な力を見せ付けていた時代、そのライバルとして担ぎ上げられた時から転落が始まっていたのかも知れない。
第60代横綱 双羽黒光司
デビュー~大関昇進まで
中学校時代から長身を生かした取り組みで有名だった双羽黒(北尾)。
そんな双羽黒(北尾)を角界が放っておくわけがありません。
「5年で関取になれなかったら帰って来る」との条件付きで、中学校卒業と同時に立浪部屋に入門した。
(右)中学校時代の「双羽黒(北尾)」
大関時代の名一番
小錦の横綱昇進という夢を諦めさせたと言われる膝の怪我。
そのケガのきっかけが双羽黒(北尾)による鯖折りが原因だと言われている。これを見た小中学生のなかでイジメのひとつとして鯖折りが流行したとかしないとか。
小錦の膝は体重だと個人的には思う。
優勝経験無しに横綱に昇進してしまう
優勝経験がないまま、1986年秋場所に22歳で横綱に昇進し「双羽黒」と改名。
この後、横綱昇進の基準が厳しくなってしまうため優勝経験の無い横綱としては、現時点では最後の横綱である。
昇進の基準まで変えてしまう双羽黒(北尾)が恐ろしい。
双羽黒(北尾)の土俵入り
突然の廃業
こんな唐突に廃業した力士はあまり記憶に無い。と思ったが、朝青龍がいた。
当時は、「ファミコンのデータを女将さんに消されたから嫌になって辞めた」という噂を本当のように信じていたが、時代がたつと双羽黒と当時の師匠の関係性に問題があったことが明らかになった。
大晦日に記者会見を開き、頭を下げる双羽黒