お笑いコンビ「ブラックマヨネーズ」のボケ担当、吉田敬は、ドラマ「スクール☆ウォーズ」や映画「パッチギ」の舞台にもなった、少しガラの悪い街、京都市伏見区で育った。
ちなみにブラックマヨネーズの相方、薄毛で悩む小杉竜一は、京都市右京区桂(かつら)出身。
父:肇、母:てる子、9歳下の弟という4人家族だったが、なぜか吉田敬だけ、中学校に入るまで、母方の祖父、祖母、叔父と4人暮らし。
住まいは、1階建て、風呂なし、汲み取り式ボットン便所の長屋だった。
両親は、車で1時間ほど離れた宇治市に住み、伏見の病院で看護師をしている母親は、毎朝、長屋に寄って息子の顔を見てから出勤。
しかし母親より7歳上で京阪電鉄の運転士をしていた父親が吉田敬と会うのは月1~2度だった。
「なんでそんなややこしいスタイルをとっていたのか、理由は今でも知らない」
(吉田敬)
だから吉田敬は、おばあちゃんっ子。
朝も夜もおばあちゃんがつくってくれたものを食べ、おばあちゃんと一緒にテレビを観て、前屈みに正座するおばあちゃんの背中に乗り、ポテトチップスを食べて、指をおばあちゃんの耳で拭いた。
ある日、夜中、目覚めると、横で寝ていたおばあちゃんが上に乗っていた。
子供ながらに
(性的なことか?)
と思ったが、おばあちゃんの後ろの電球が揺れており、地震が起こったことを把握した。
「まあ何ていうか、欲求を俺に?とか一瞬思ったんですけど、上落ちてきても当たらへんようにしてくれたんです」
遠足などでお弁当は、周りは全員、赤いタコさんウインナーなのに、吉田敬だけ肌色をした細いのソーセージなので
「あれ、どこで売ってんねん?」
周りはレコードプレーヤーとラジカセをつないでカセットテープに流行りの歌を録音していたが、吉田敬は、テレビの前にラジカセを置いて「ザ・ベストテン」など歌番組で好きな歌手が歌い出すと録音ボタンを押した。
しかし録音中、必ずおばあちゃんが
「よっこらしょ」
などといってしまい、きれいに録音できたことはなかった。
それでも吉田敬は、おばあちゃんが大好きで、寝る前、おばあちゃんが死んだときのことを想像すると泣いた。
ちなみに吉田敬は、強度のアレルギー体質。
一般成人の基準値が170以下、190超えたらアレルギーと判断されるアレルギー数値が、2000と異常に高い。
金属に触れると反応が起き、イカとタコ以外を魚介類を食べると蕁麻疹が出て唇が腫れ、そばアレルギーもあり、年越しそばを食べて2年連続でで大みそかに救急車で運ばれ、そばがらの枕も駄目。
大人になっても普段、収録などで出される弁当も決死の思いで食べ、ファミレスにいくとカツカレー、目玉焼き乗せハンバーグ、エビフライをローテーション。
そんなばあちゃんとの暮らしは、小学校を卒業後に終わる。
宇治市に住んでいた両親が、伏見区のマンションに引っ越してきて、父、母、長男、次男という家族4人暮らしが始まった。
マンションは、中学校まで5分という好位置。
しかしおばあちゃんの家までは、少し遠かった。
それでも
「なんか、いきなりおばあちゃんの家に行かなくなるというのは違うという感覚があった」
という吉田敬は中学校が終わった後、おばあちゃんの家にいって一緒に過ごし、マンションに戻るとき
『ほな、帰るわ』
といわず
「ほな、いってくるわ」
逆にマンションから、おばあちゃんの家にいくときは
「ちょっと帰るわ」
といった。
おばあちゃん家通いは、数ヵ月間続いたが、夜遅くまで遊ぶようになるといく回数が減った。
さらに塾に通い始めると、中学校が終わるとダウンタウンが出演する「4時ですよ〜だ」をみるために走って帰り、自転車の乗っておばあちゃんの家の近くにある塾にいき、それが終わると一刻も早くマンションに戻ってゲームやマンガという生活となり、まったくおばあちゃんの家にはいかなくなった。
ちなみにゲームでは特にRPG(ロールプレイングゲーム)の「ドラゴンクエスト」が大好き。
ドラゴンクエストはシリーズ化し、吉田敬は、
シリーズ第1作目「ドラゴンクエスト」
シリーズ第2作目「ドラゴンクエストII」
シリーズ第3作目「ドラゴンクエストIII そして伝説へ…」
シリーズ第4作目「ドラゴンクエストIV 導かれし者たち」
シリーズ第5作目「ドラゴンクエストV 天空の花嫁」
シリーズ第6作目「ドラゴンクエストVI 幻の大地」
シリーズ第7作目「「ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち」
シリーズ第8作目「ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君」
シリーズ第9作目「ドラゴンクエストIX 星空の守り人」
まですべてプレイしたが、シリーズ第10作目「ドラゴンクエストX」は、オンライン(大規模多人数同時参加型)化したため、
「俺が何とかしてあげないと世界が滅ぼされてしまうという状況でないと楽しめない。
俺だけを頼ってほしい」
という理由でやらなかった。
またゲーム内には、カジノなどの楽しめるイベントもあったが、
「早く世界を救わないといけない」
という切迫感を失わないように、まったく行わなかった。
それはマンションで暮らし始めて1年後に起こった。
「不良だらけの中学校では目立つ存在ではなかったが、塾ではバリバリの存在感を示すことができた」
という吉田敬は、塾で大学生の先生をイジってガンガン笑いをとっていた。
そして童顔の先生に
「先生、幼い顔してるなあ。
俺ら幼稚園児に教えられてるみたいや」
といってウケを狙ったとき、先生に
「何いうとんねん。
お前が老けすぎとるんや」
と返され、この言葉が思春期の胸にグサリと突き刺さった。
(先生は、ずっと僕をそんな風に思ってたんや)
(先生のあのいい方は、以前から俺に恨みを持っていたのが丸出しや)
(他の生徒は、ウワッ、アイツいわれよったと思ったに違いない)
(俺、カッコ悪いやん!)
心に致命傷を負い、どうしようもない気持ちになった吉田敬は、塾が終わるとおばあちゃんの家へ急行。
(おばあちゃんに会いたい)
(優しいおばあちゃんと話したい)
という一心で自転車でダッシュ。
おばあちゃんの家に着き、玄関の戸を開け
「おばあちゃん、帰ったで‼」
というと、おばあちゃんが出てきた。
しかし、
「ああ久しぶりやなぁ、ゆうじ・・・
ああ、ゆうじはアンタの弟や。
ああ、あの、アンタ名前なんやったかの?」
約13年間一緒に過ごしたおばあちゃんの信じられない言葉に、吉田敬の目にはアッという間に目に涙があふれ、、
「2度と来るか、こんな家‼」
といってたたきつけるように戸を閉め、泣きながら自転車を漕いでマンションへ帰った。
中学生だった吉田敬は、母親に
「・・さんの子はできるのに、アンタは全然でけへん」
といわれると
「うるさいんじゃ‼
俺かて松坂慶子の子供に生まれたかったわ」
といい返していた。
そして5歳の弟を背中に乗せて部屋を這って、お馬さんごっこをしていたとき、
「もうエエやろ」
というと弟は手の指で丸をつくってお金のマーク。
馬を続け、しばらくして
「もうエエやろ」
というと、弟は冷蔵庫の前へ行くよう指示。
従うと弟は冷蔵庫からニンジンを取り出した。
本当の馬のように扱われた吉田敬が、
金ちゃうやないか‼」
とツッコむと、弟は
「どうかしてるぜ」
と返答。
これが数十年後、
「日本中を震撼させたギャグ」
となった。
また吉田敬は、中学時代から、夏休みに新聞配達や居酒屋のアルバイト。
その目的はギャンブルだった。
「1日3時間弱で1ヵ月8万円程度。
時給でいうとそこそこ良いが、キツかった。
起きて雪なんか降ってたら絶望ですよ」
その8万円は、競馬、パチンコ、パチスロに使い、最短で給料日の夕方にすべてなくなったこともあった。
中学生からギャンブルを始め、大人になると
「トータルでとんでもない額負けてて、小さなマンションくらい」
といういる吉田敬。
やるのは「運や流れだけのあまりに目にみえないもの頼りのギャンブルやなく、公営ギャンブルやパチンコなど、自分の力で何とかなりそうな気がする方のギャンブル」
で、勝ったときの興奮はすさまじく、
「これが俺だ
今ならどんな女優、グラビアアイドルにも「お前」と呼ぶことができる」
という。
またそんな脳を焼くような興奮を覚えるだけでなく
「ギャンブルには色んなことを学ばせてもらった」
特に無類のパチンコ好きで
「人生はパチンコで教わった」
という。
「自分が2500発出してても、友達が1万発出してたら負けた気がするんです。
逆に自分が1万円ツッコんでも、友達が僕の倍、2万ツッコんでたら、なんか救われた気になったりして。
だから『エエなあ、あいつだけうまくいってるやん』、『よしよし、あいつ飲まれてるな』とか、自分の出玉よりも友達の台を気にしてたりする自分がいましたね」
しかしそんなことを気にしていて良い成果が出せるわけがない。
吉田敬は、パチンコを通して
「周囲を気にしすぎる自分」
に気付き、
「自分の目の前の台と向き合うことが大事ちゃうんか?」
と考え方を切り替えた。
これは芸の道にも役立ち、かなり後輩でもあるキングコングが先に売れると常に彼らがスベることを祈っていたが
「他人、関係ないやろ。
まず俺やろ」
と他人を気にせずに自分の芸に打ち込んだ。
「パチンコは人生のリトルリーグ。
大人として仕事をする前に、人間として成長する場。、
高い授業料を払ってるんやから学ばんと損ですわ」
小学生のときに京都で1位の少年野球チームのレギュラー(5番バッター)になり、中学校でも野球部だった吉田敬は、高校に入ると
「恋愛がしたい」
と理由で、
「かわいい女の子が何人かいて、カッコいい男がいない」
という弓道部へと入部。
ニキビに悩み、通信販売で、「ニキビを消すローラー」を購入。
ローラーを押し当てて顔中のニキビを潰したが、逆に炎症が悪化して肌がクレーター化。
ブツブツ顔になってしまった吉田敬は、弓の弦でニキビを潰し、血まみれの顔で練習.。
最終的に顔面の吹き出物の跡に小石がはさまって、なかなか取れなくなるほど皮膚が悪化した吉田敬は、6人の男子部員の中で唯一の補欠となった。
幼い頃から芸人に憧れていた吉田敬は、高校卒業後、NSC吉本総合芸能学院に入るつもりだったが、一緒に受験するはずだった友人が芝居の道へ進んだため、フリーターとなり、パチンコ屋の店員、古紙回収業者、新聞配達員、靴磨きスプレーの実演販売など10種類以上の仕事を渡り歩いた。
17歳、居酒屋でアルバイトしていたとき、1歳上で中卒で元ヤンキーの板前、同じく1歳上のアルバイトと京都からワゴンRでびわこ競艇場へ。
板前が80万円勝つのをみて
「すごい、これが元ヤンの勝ち方か‼」
と驚いていたが、競艇場からの帰りの車中で板前が、
「おっしゃ‼
ソープいってすき焼き連れてったる」
というと、その豪快さに、さらに驚愕。
しかし
「なんや、うれしそうちゃうの?
まさか童貞か?」
といわれると、
(ヤバイ!)
と思った。
タバコや酒はすでにしていたが、女性経験はない吉田敬は、以前、職場の居酒屋で1歳上のアルバイトに童貞を疑われ、ナメられたくなくて
「何回もヤッたことがありますよ」
と答えていた。
ワゴンRの中で、その1歳上のアルバイトがニヤニヤしているのをみて、
(コイツ、ヤッたことあるな)
と確信。
同じく笑っている板前は、若くして結婚したので
(間違いなくヤリまくってる)
そんな状況下、
(ここで童貞ですなんていうたら、車内は爆笑に包まれて、明日からのバイト人生、見下されてしまう)
と思った吉田敬は、咄嗟に
「いえ、久しぶりにヤルんや思うて、かみしめてるんスよ」
すると1歳上の先輩たちの笑みは消えた。
そして店に到着。
男性従業員にタイプを聞かれ、
「デブはやめてくれ。
かといってガリガリも嫌や。
スタイル抜群の美女を頼む」
と、いかにも経験者っぽくオーダー。
やがて順番がやってきて、カーテンを開けると、そこには
「目がギョロっとして鼻の高すぎる鳥のような女」
が立っていた。
女性は、愛想なく事務的に
「真琴です」
と自己紹介。
そして早速、プレイに入った。
人生初のマットは
「気持ちよくて、もう最高‼」
何度も果てそうになったが、より気持ちよくなりたくて我慢。
(ついに俺も大人になるのか。
正直こわい)
と思うと童貞の同級生の顔が思い浮かんだ。
上ではハアハアいいながら動く真琴さんをみて、
(俺という存在があるから、真琴はハアハアいうてる。
こんなに他人に必要とされたことはない)
と思うと出そうになったが、もっと気持ちよくなりたくて我慢。
その後も
(いや、まだだ!)
と我慢し続けていると股間がシビレてきた。
しかし
(もっとこのまま‼
もっとこのまま‼)
と思っていると、真琴さんが自分からスッと離れ、
「はい、お疲れ様」
反射的に
「何してんねん‼
最後までせーや」
とキレた吉田敬に真琴さんは
「ハァ?
アンタ、もう終わってんで」
吉田敬は、
(北斗の拳(のお前はもう死んでいる)か)
と心の中でツッコんだ。
そして真琴さんに証拠のゴムをみせられ、我慢しすぎて果てた感覚がなかったことに気づく。
こうして初体験は、唐突に始まり、不本意に終わった。
ますます性欲の鬼となり、とにかくヤリたい吉田敬だが、風俗にいく金はないのでコンパの誘いがあれば、絶対に参加。
テレクラにもいった。
それでも
「今もモテないけど、その100倍モテなかった」
という吉田敬は、
コンニャクの真ん中に切れ目を入れて、それを人肌に温めて入れるといいと聞き、勇気を出してコンビニにエロ本とコンニャクを買いに行った。
エロ本とコンニャクだけだと使い道がバレてしまうため、ガムを1つカゴに入れた。
するとレジで777円となってしまい、
「余計に恥ずかしかった」
またエロ本を買いにいって、コンビニの店員がかわいい女の子だったときは、サンドウィッチとブラックコーヒーに変更した。
エロいことばかり考え、AV女優に恋して
「会ってくれれば絶対に好きになってくれる」
と信じてしまうロマンチストな吉田敬は、
「とにかく淫乱な、男なら誰だっていいからHしたいという女性。
本当にいるかもしれない、存在していたとしても会えるかどうかわからない痴女」
を探す「痴女をたずねて三千里」作戦を開始。
作戦内容は、
1 ポルノ映画館へいく
2 こんな場所に1人で来ている女性がいたら、それは間違いなく痴女。
3 こういう場所にくる他の男性客に比べ、自分は若い
4 だから痴女は自分をターゲットにしてスクリーンに映っているようなことをしようとする
という4段階。
吉田敬は、GATSBY(ギャツビー) の香水をつけ、
「痴女が話しかけやすいように」
と客がいない席に座った。
20分後、隣の席にオカマが座った。
それはガタイがよく、カツラをつけて厚化粧をした、
「オッサンみたいなオバハンである可能性は1%もない、ザ・昭和のオカマ」
吉田敬がスクリーンを見つめていると隣から手が伸び、大腿と股間を触ってきた。
(クソッ、夜中に自転車走らせてきて、美人の痴女に誘われる予定がこんな汚いオカマのオッサンに触られて)
吉田敬が思っていると、オカマは、小さな声で囁くように
「いま何時ですか?」
『知るか。
あっちいけ、オッサン‼』
といいたかったが、腕時計をみて
「1時32分です」
汚いオカマと思いつつ、なぜか嫌われたくなかった。
するとそのとき初めて吉田敬の顔を正面からみたオカマは、立ち上がり、プイっと去っていった。
吉田敬は、
「エッ、なんで」
と驚き、
「時間を聞いて、約束のために急いで帰ったのか?」
「いま何時ですか?」は暗号で、こっちも暗号で返さなアカンかったんか?」
など、いろいろ理由を考えたが、最終的に
「フラれた」
と悟った。
結局、ソープランドで初体験を済ませた吉田敬が、素人の女性と関係を持ったのは2年後だった。
19歳のときにテレクラを利用し、40歳の人妻と会う約束をして、大阪から2時間かけて姫路へ。
待ち合わせ場所に行くと
「おばさんというより、おばあさんがカーネルサンダースの前でカーネルサンダースの彼女みたいに立ってた」
相手はお母さんと同年代にみえた。
「ほんまに40代ですか」
と聞くと
「嘘やねん」
といわれた。
「50代ですか?」
「違う」
「60代ですか?」
「それはいわれへん」
喫茶店に入って、名前を聞き、
「よし子ちゃん」
と呼びながら、1時間会話。
最後によし子ちゃんに
「どうしたい?」
と聞かれ
「よし子ちゃんを抱きたい」
すると
「はよいうてくれらいいのに」
といわれ、ホテルへ。
実年齢は66歳の人妻、顔は
「内田裕也似だった」
というよし子ちゃんは、脱がせようとするとズボン、パッチ、パッチ、パンツと4枚履き。
吉田敬は、
「普通に愛し合った」
「かっこつける必要もないんで、思い切り乱れられた」
といい、性を解放させた。
バイト先の先輩と深夜まで飲み、マンションの407号室に住んでいるのに間違えて507号室に帰ろうとして、鍵が合わず、ピンポンを連打。
数分後、性が玄関を開けて出てきたのは、パジャマ姿の女性。
「ウワツ、誰やお前‼
オカンとちゃうやんけ‼」
すると女性は
「アンタの家、下の階やと思う」
と教えられ、その後、起きるとマンション共用の玄関だったで寝た。
同じように男だけで飲んでいたのに目覚めると全く知らない、
「ドラクエの爆弾岩みたいな」
女性と一緒にいたことがあった。
何があったか思い出そうとしたが浮かんでこず、わかるのはラブホテルにいることだけ。
自分の頭をなでる女性に
「誰や自分?」
と聞きそうになって、
(それは絶対にダメだ)
ととどまった。
風呂に行きたかったが財布を置いていくのは不安だし財布を持っていくのは不自然。
「いやあ、昨日は楽しかったわ。
自分、最高の女やな」
といいながら帰り支度を始めると
「覚えてないやろ?」
といわれ、
「アホやな、覚えてるよ。
俺、変態やったやろ」
とハッタリをかますと爆弾岩は甘えた声で
「別にぃ~」
といった。
・女性に認められるために一生懸命働く
・お金を貯めてプレゼントを買う
・勇気がないので自己啓発本を買って読み、やっとの思いで告白
・あっさりフラる
・「好きになるという気持ちは止められないにせよ、彼女とお付き合いしようと頑張りさえしなければ、こんなにも傷つくことはなかったはず・・・・」と思う
を繰り返す吉田敬は、ある年の5月、好きだった女性従業員がひどく落ち込んでいるのをみて、優しい言葉をかけ、
(彼女は俺との未来を想像し、私を幸せにしてくれるのはこういう人に違いないと気づいたはずだ)
と思った。
年末、忘年会でみんなでカラオケボックスへいったとき、限界まで尿意が高まっていたが、彼女がラブソングを歌い始めたのでトイレに行かず、食い入るようにモニターを見つめ
(彼女は熱唱しながら、そんな俺に気づいて、きっと私を幸せにしてくれると俺との未来を想像したはずだ)
そして彼女が歌い終わると、トイレに立ち、
(アッ、私が歌い終わるまで我慢してくれてたんだ。
エッ、ひょっとして私のことを?‼って思うはずや)
その後もさり気ない自己アピールを繰り返し、ある日、彼女の方をみると彼女もこちらをみていて、目が合った瞬間、彼女が急いでそらすのをみて
(仕上がった)
と確信した。
そして迎えたバレンタインデー、
(手作りかな)
とウキウキしながら出勤。
すると彼女は、ウエイトレスのように男性従業員にチョコを配り始め、自分の机にもおしぼりを置くように小さなチョコレートを置いた。
(いやいや、おかしい。
義理チョコのわけがない。
きっと照れ隠しで義理チョコのように配ったんや)
と思ったが、他の男性従業員がもらったチョコと自分がもらったチョコは、サイズが同じ。
(きっと高級チョコで手紙がついてるはずや)
と思い、開いたが、手紙などなく、中身も普通。
上司に配られたチョコレートが自分より少し大きいのをみて、
(したたかな女)
さらに昼休み、彼女がイケメン男性従業員に自分より大きい、リボンでくるまれた何かを渡すのを目撃。
(なに、あの女、胸糞悪い。
あんな女やと思わんかった)
家に帰ると酒を飲み、気が大きくなった吉田敬は、40分8000円のデリバリーヘルスを頼み、
「関取の安美錦のような女」
が来たが、
「めっちゃ可愛いな。
プライベートでも会いたいわ」
といい、途中、何度も彼女を想いながらプレイ。
安美錦が帰ると残ったぬるいビールを飲んだ。
すると外から新聞配達のバイクの音がして、
「このままではアカン」
と思った。
悩んだ吉田敬は、再びお笑い芸人を目指し、21歳でNSC吉本総合芸能学院に入学。
同期(NSC大阪校13期生)は、「次長課長」、「野性爆弾」、「クワバタオハラ」のくわばたりえ、「チュートリアル」の徳井義実を含め、200人以上もいた。
そんな中、吉田敬は、高校の同級生である和田義浩(現:放送作家)と「ツインテール」を結成。
しかしすぐに解散し、前々から
「2種類のなんでやねんを使いこなしてる」
とツッコミのスキルの高さに一目を置いていた小杉竜一にアプローチ。
小杉竜一も「関西キング」というコンビを組んでいたが、相方が結婚を期に引退したため、フリーだった。
また吉田敬は、テレクラを介して、66歳で内田裕也似のよし子ちゃんと愛し合った経験があるが、小杉竜一もデリバリーヘルスを利用して
「歯が上に2本下に2本しかない、物の怪の類(もののけのたぐい)」
が家にやって来たことがあった。
デリバリーヘルスには「チェンジ」という制度があり、ほかの女性に替えてもらうことができるが、小杉竜一は、それを使わずにサービスを受けた。
それも1度なら理解できるが、その後も月2回のペースで物の怪を家の呼んだ。
周りが
「なんで?」
と聞くと、
「アイツは俺が指名せんとやっていけないんですよ」
と答え、
「優しい」
「かっこええ」
と絶賛された。
コンビ名は、「ダークメキシカン」などの候補もあったが「ブラックマヨネーズ」に決定。
「解散をいい出した方が罰金3000万円を払う」
という誓約書を書き、いつでもネタ合わせができるように同じマンションの別の階に住み、練習場所である近所の区民会館の前をダンサーに取られると
「うるさくて眠れません」
警察に電話。
吉田敬は、漫才の最中、
(アレッ、ツッこんでくれへん)
(今の頭叩き方強すぎひん?)
と思うと、終わった後、すぐに小杉竜一に注意。
小杉竜一は、
「お笑いはバスケットボールに似てる。
俺がシュート外してもお前がリバウンドとってくれたら、まだブラマヨボールや。
逆も、またしかり。
だから間違っても何やねん、今のシュートはとか、リバウンドとりにいかんのはナシや。」
とツブツブ顔の相方にブツブツといわれ、健気に実行。
それでもウケないと
「基本的に俺のシュートは入らないと思え‼」
といわれた。