【プロ野球】え?あの選手の娘なの?娘が有名人になった元プロ野球選手8選・第2弾!

【プロ野球】え?あの選手の娘なの?娘が有名人になった元プロ野球選手8選・第2弾!

日本のプロ野球で、親子でプロ野球選手になった例は少ないものの、子供が別の形で活躍しているケースは多くあります。特に、娘は、アイドル、グラビア、女優、女子アナ、宝塚、スポーツ選手など形は様々。今回は、以前の記事の第2弾として、プロ野球選手の娘で有名人になった8選をご紹介します。


第1弾で紹介した父娘

以下は、前回の第1弾で紹介した父娘です。



吹石徳一(娘・吹石一恵)

倉持明(娘・倉持明日香)

島本講平(娘・島本真衣)

大森剛(娘・大森美優)

西崎幸広(娘・西崎莉麻)

山沖之彦(娘・芹香斗亜)

長嶋茂雄(娘・長島三奈)

東尾修(娘・東尾理子)



今回は、新たに8組の父娘をご紹介します。

若田部健一(娘・若田部遥)

若田部健一は、ドラフト大豊作の年と言われた1991年に、4球団から1位指名され、福岡ダイエーホークスに入団した投手です。1年目から先発ローテーションの一角を担い、27試合に先発登板し、二桁勝利を記録。その後は不振に陥るも、ダイエー在籍11年間で4度の二桁勝利を記録しています。特に、1999、2000、2002年は、リーグ優勝に大いに貢献しました。その後、FAで横浜に移籍し、2005年に引退。その若田部の娘が、若田部遥です。



若田部遥は2011年、12歳の時にHKT48第1期生オーディションに合格。2012年、チームH結成時には、正式メンバーの一人に選ばれました。2017年に卒業するまでチームHとして活動し、その後は法政大学を経て、2021年にフジテレビに入社。現在は、報道記者として活躍しています。入社同期には、元女流棋士でアナウンサーの竹俣紅がいます。

尾花高夫(娘・尾花貴絵)

尾花高夫は、ヤクルトスワローズ一筋14年先発ローテーションを担うエース投手でした。ちょうどチームが優勝から遠ざかっていた1979年〜1991年に在籍し(入団は優勝した1978年だが登板数はわずか)、エース格ながら3年連続最多敗、3年連続最多失点を記録しています。一方、二桁勝利は通算6度も記録しており、さらに、防御率は、1982年は12勝16敗ながらリーグ6位の2.601988年は9勝16敗ながらリーグ7位の2.87と、打線の援護がなかったことを示す好記録でした。引退後は、ヤクルト、ダイエー(ソフトバンク)のコーチとして、リーグ優勝・日本一に貢献。その尾花の娘が、尾花貴絵です。



尾花貴絵は、2011年に旭化成グループキャンペーンモデルに選出。その後、オスカープロモーション所属のトップモデルによるユニット「モデルガールズ」のメンバーとなります。テレビでは、2時間サスペンスやバラエティ・報道番組などに出演。特に、『news every.』ではリポーター『世界・ふしぎ発見!』ではミステリーハンターをたびたび務めています。現在は、SDGsの取り組みを積極的に行い、ビーチクリーンやフードロスイベントにも出演しているようです。

青田昇(娘・青田浩子)

青田昇は、1940年代〜1950年代に活躍した名打者ですが、ミドルエッジの世代にとっては、現役時代の青田よりも『ズームイン!!朝!』などテレビ・ラジオ番組のご意見番としての青田の方が馴染み深いかもしれません。現役時代は、5度の本塁打王、2度の打点王、1度の首位打者を記録した大打者で、川上哲治、千葉茂らとともに、第一次巨人黄金期に活躍しました。その青田が41歳の時に誕生した五女が、青田浩子です。



青田浩子は、1984年、映画『月の夜 星の朝』の主人公として女優デビュー。相手役は、当時すでに子役として有名だった坂上忍でした。映画の主題歌も彼女が歌い、歌手デビューも果たしています。その後は1990年代初めまで、数多くの人気ドラマに出演しますが、現在は芸能活動を休止しています。

王貞治(娘・王理恵)

王貞治は、言わずと知れた世界のホームラン王で、通算868本塁打は世界記録です。現役時代は、読売ジャイアンツのV9の立役者で、現役引退後は、福岡ダイエー(ソフトバンク)ホークスの監督として、常勝集団を築きました。第1回ワールドベースボールクラシックでは、監督として、侍JAPANを世界一に導いています。そんな王の三人娘の次女が、王理恵です。



王の三人娘の名には、すべて「理」の文字が含まれています。これは、「理」=「王」+「里」を意味しており、結婚して姓が変わっても、"里の王家" を思い出せるようにと、つけられた名です。



王理恵は、父親がホークスの監督に就任した際に、地元のホークス応援番組に出演。その後は、TBSの朝の情報番組『エクスプレス』などで、スポーツキャスターとして活躍しました。現在は、日本インタビュ新聞社のインタビュアーなど幅広い活躍を続けています。

高橋慶彦(娘・高橋雛子)

高橋慶彦は、広島東洋カープの黄金期に活躍したリードオフマンで、3度の日本一、4度のリーグ優勝に貢献。特に、1979年は盗塁王のタイトルを獲得し、打率も3割を超え日本シリーズではMVPを獲得する大活躍でした。さらに、同年の33試合連続安打は日本記録で、40年以上経った今も破られていません。通算477盗塁は、NPB歴代5位の大記録です。その高橋の娘が、高橋雛子です。



高橋雛子は、青二プロダクションに所属する声優です。テレビアニメ、劇場版アニメはもちろんのこと、ゲームキャラの声優や映画の吹き替えも行っています。吹き替えでは、あのリース・ウィザースプーンが製作した映画『ザリガニの鳴くところ』の主人公カイアを担当しました。

小関竜也(娘・小関舞)

小関竜也は、1990年代から2000年代にかけて西武ライオンズで活躍した外野手で、3度のリーグ優勝に貢献しました。中でも、優勝した1998年には新人王、2002年にはリーグ6位の打率.314を記録。特に、2002年は、1番・松井稼頭央、2番・小関の1・2番コンビがチームを牽引し、小関はリーグトップの43犠打も記録しました。その後、メジャー挑戦も画策しますが、断念。巨人、横浜でプレーした後、2008年に引退しました。現在は、埼玉西武ライオンズでコーチを務めています。その小関の娘が、小関舞です。



小関舞は、2014年、『モーニング娘。'14 <黄金(ゴールデン)>オーディション』に応募し、合宿審査まで到達するも不合格。しかし、同じハロー!プロジェクトのカントリー娘。がカントリー・ガールズとユニット名を変えて再始動すると、そのメンバーに小関が選出されます。この時、Berryz工房の嗣永桃子らも加入しており、6名体制での新ユニットとなりました。現在は、カントリー・ガールズとしての活動は休止し、ソロとして舞台やコンサートなどで活躍しています。

高柳出己(娘・高柳愛実)

高柳出己は、日本通運からドラフト1位で近鉄バファローズに入団すると、プロ1年目の1988年から先発投手として起用されます。チームがリーグ優勝を果たした1989年は、ペナントレースでは不振だったものの、巨人との日本シリーズでは第5戦と第7戦にリリーフ登板し、いずれも0点に抑えています。一軍で活躍したのは、1988年〜1993年の6年間で、その後、千葉ロッテマリーンズに移籍。1996年に引退しました。その高柳の娘が、高柳愛実です。



高柳愛実は、13歳からゴルフを始め、当初はプロゴルファーを目指していました。ベストスコアは68。現在は主に女優やスポーツ関連の番組で活躍しており。2010年には端役ながらNHKの朝の連続テレビ小説『ウェルかめ』で女優デビューを果たします。その後は、『ママとパパが生きる理由。』、『ナイト・ドクター』などの人気ドラマにも出演しました。2022年には、『理想ノカレシ』に編集者役で出演しています。妹の高柳萌は、元Vリーグの選手です。

山内和宏(娘・暁千星)

山内和宏は、1980年代、万年Bクラスだった南海ホークスで、先発ローテーションを担う主戦投手でした。チームメイトの山内新一、山内孝徳と共に「山内トリオ」と名付けられ、背番号も連番を着けていました(山内和宏18番、山内孝徳19番、山内新一20番)。1983年には、18勝10敗で最多勝利のタイトルを獲得しています。その山内の娘が、暁千星です。



暁千星は、宝塚歌劇団星組に所属する男役スターで、本名は山内亜里。宝塚音楽学校を首席で卒業し、2012年に初舞台を踏みます。近年では、2022年に『ブエノスアイレスの風』で東上公演初主演。月組から星組に組替えしてからは、2023年に『1789 -バスティーユの恋人たち-』で礼真琴の代役で主演、博多座公演『ME AND MY GIRL』でも専科スター水美舞斗と役替わりで主演を務めるなど、星組スターとして活躍を続けています。

まだまだいる有名人になった娘たち

他にも、秋山幸二の娘・秋山真凜、本西厚博の娘・本西彩希帆、新井宏昌の娘・新井貴子など、有名人になった娘は、まだまだたくさんいます。



機会があれば、第3弾も企画したいと思います。

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