欽ちゃんのどこまでやるの!とは?
まずは「欽ちゃんのどこまでやるの!」とは、どんな番組だったのか振り返ってみましょう。
放送年:1976年10月6日~1986年9月24日
放送局:テレビ朝日系列
放送時間:21時~21時54分
放送日:水曜日
「欽ちゃんのどこまでやるの!」は、ステージにセットを組んで、客席に観客を入れた公開放送という形で収録されました。
当初は萩本欽一さんと真屋順子さんの夫婦という形だった萩本家ですが、徐々に家族が増えていきます。
一家の主である萩本欽一さん
萩本家の主を演じたのはご存知、萩本欽一さんです。
当然ですが、最初は若かったのですね!
人形の見栄晴が誕生したころの映像を観ると、新婚夫婦みたいです。
父親:萩本欽一
生年月日:1941年5月7日
出身地:東京都
萩本欽一さんは1941年生まれですから、番組が始まった1976年は35歳です!
若く見えるのも当然ですね。
妻は真屋順子さん!
明るく優しいお母さん役が印象的でしたが、とても美しいですね。
母親:真屋順子
生年月日:1942年1月8日
没年月日:2017年12月28日
出身地:日本統治下朝鮮
今でも欽どこの優しい笑顔が思い出されますが、真屋順子さんは残念ながら2017年に亡くなっています。
1977年の山口百恵さん主演のドラマ「赤い絆」では、山口百恵さんの敵役を演じ話題となりましたが、視聴者の反感を買ってしまい、悩んだこともありました。
そんなことがあったとは、後のイメージからは考えられません。
「欽どこ」のお母さん役でイメージ一新しましたね。
見栄晴
萩本家には、1977年12月に長男が誕生しています。
初代はなんと人形で、当初は名前もなく後に見栄晴と命名されました。
そして1978年5月には、3歳となって人形から子役の西沢祐一郎さんに交代します。
2代目見栄晴、めちゃめちゃ可愛かったですね。
現在はなんと、米国のニュージャージー州のブルームフィールド大学でアートデザインの教授になっていました。
見栄晴(2代目):西沢祐一郎さん
「欽どこ」2代目見栄晴役・西澤氏教授になっていた /芸能/デイリースポーツ online
お母さん役だった、真屋順子さんとはずっと手紙のやり取りをしていたり、進路にも影響するなど欽どこの影響がいかに大きかったかわかりますね。
3代目見栄晴は、現在も役と同名の見栄晴として活躍する藤本正則さんです。
1990年代前半までは、本名の藤本正則として活躍していましたが、見栄晴のイメージが強くまた、共演者も見栄晴と呼ぶことが多いことで、芸名も見栄晴に改名していました。
生年月日:1966年11月13日
出身地:東京都府中市
超人気番組だったため、影響力が絶大ですね!