「これからどうするの?」
最後の試合が終わった後、府ロクのチームメイトは進路について話し始めた。
男子たちは、中学校のサッカー部、社会人チームである読売サッカークラブや日産FCのジュニアチーム、三菱養和スポーツクラブなどのサッカークラブについて語り合った。
しかしサッカー少女にとって女子サッカー部がある中学校は少なく選択肢はあまりなかった。
ただ澤穂希は、自宅から比較的近い場所にベレーザがあり、実際に電車に乗って練習に参加したことがあった。
そのときはずっと男子と一緒にやってきたので女子だけの練習は居心地が悪く、ベレーザの選手に話しかけられてもテレくさくて、どうしていいかわからなかった。
その後、国立競技場で府ロクのメンバーと試合を観戦していたとき、こちらに向かって手を振る女性がいた。
しかも声をかけようと笑顔で近寄ってくる。
「誰?」
というチームメイトに
『ベレーザの大竹奈美さん』
といえばいいのに、
(来ないで)
という気持ちを込めて大竹奈美にらんだ。
そして帰っていく大竹をみて、
(わざわざ挨拶してくれたのに・・・)
(ひどいことをしてしまった)
と後悔し、自己嫌悪に陥った。
1991年1月、第2回日本女子サッカーリーグが終わり、ベレーザが初優勝。
16ゴールを挙げて得点女王&MNPを獲得したキャプテンの野田朱美、高倉麻子、手塚貴子、本田美登里、松永知子という日本代表選手を並べる布陣で、14勝1分け無敗という圧倒的な強さだった。
4月、女子サッカー部がない府中市立第5中学校に進んだ澤穂希は、小学校ではなかった制服を着なくてはならず、再びスカート問題に直面。
「お母さん、私だけキュロットにすることはできないの?」
といわれ、母親は、
「我慢しなさい」
と答えた。
その後、ウンともスンともいわなくなった娘が登校するとき、スカートが異様に膨らんでいるのでみてみると下着の上にブルマ、さらにサッカーの短パンを履いていた。
「最初は毎日そんな感じで出かけていたけど、すぐにスカートにも慣れました」
そして中学校入学と同時に「ベレーザ」の下部組織である「メニーナ」の入団テストを受けた。
メニーナは、2年前に始まったばかりのチームで、出来上がった選手を集めるのではなく、才気ある中学生、高校生を鍛えようというベレーザの育成システムでもあった。
テスト内容は
50m走
リフティング200回
ゲーム
だったが、合格。
1ヵ月後には、竹本一彦監督の判断でベレーザに昇格。
ポルトガル語で「美人」という意味するベレーザの練習場所は、聖地、よみうりランドの中にある専用グラウンド。
芝ではなく土のグラウンドで、スライディングをすると擦り傷ができた。
2階建ての古い建物の中にベレーザとメニーナ共用のロッカールームとトレーニングルームがあったが、シャワーはなく、練習後は外の水道で洗った。
母親は泥だらけになった靴下を、いきなり洗濯機に入れても落ちないので、まず手洗いしてから洗濯機で洗った。
ベレーザの練習は、週6回。
選手は基本的に社会人なので、学校の部活動より遅めの18時30分に練習が始まり、21時30分に終了。
澤は、朝起きて登校すると、まず学校のそばにある府ロクのコーチの家に練習用のカバンと服を置く。
15時くらいに学校が終わるとコーチの家にいって制服からジャージに着替え、バスに揺られて練習場へ。
うまくいくと練習開始1時間前に到着し、コンビニで買ったおにぎりを食べて、誰もいないグラウンドで練習。
帰り道、コンビニで食べ物を買って、バスに乗って家に着くのは22時~22時半。
そこから夕食を食べた。
「練習をしていなかったら肥満児になっていたんじゃないかというくらい食べてた」
風呂に入って、宿題をして、日記とサッカーノートをつけて、寝るのは24時~深夜。
そして7時に起床し、登校するという生活を繰り返した。
サッカーノートには、その日の練習内容や目標、課題などを絵入りで書いた。
「サッカーノートはずっとつけてました。
ミーティングの内容とか、練習の中で気づいたこと、メンタル面のことなども書いてましたね」
通常、人は達成確率の低いことに挑戦することを嫌い、トップ選手は燃えるというが、澤穂希は、
「夢」
の大切さ、夢を持つことが生み出す力、その威力を強調する。
「まず夢を恥ずかしがらないこと。
そして夢に掲げることが大事。
夢は会社のノルマや選挙公約じゃないんだから、どれだけ大きくてもかまわない。
むしろ夢をわざわざ小さくするのはもったいない。
達成できるかどうか、結果で自分を責める必要なんて絶対にない。
夢に向かっていく過程が人生を肉づけしていくんだなって実感してきましたから、とにかく夢を追いかけるのに遠慮だけはしないでください。
繰り返しますが「なれるかどうか」という根拠を探す必要はありません。
なれたらどれほどうれしいかをイメージすることが夢を叶えるスタートなんです」
平日は練習、週末は試合で、試合の翌日が休みとなるので、ベレーザの練習は月曜日だけが休み。
澤穂希は、学校があるため、丸1日休んだり、遊んだりすることはできなかった。
月曜日の放課後にクラスメイトと遊んで、
「もっと遊びたいな」
と思うこともあったが、練習を休みたいとか休もうと考えたことはなかった。
それどころか風邪や熱くらいでは休まず、インフルエンザにかかったときにコーチに
「帰れ」
といわれた。
府ロクでは自信満々、伸び伸びとプレーしていた澤穂希だったが、ベレーザには未経験のプレッシャーがあった。
まず女子だけのチームであるということ。
そして大人のチーム独特の
「ミスしたら怒られる」
という雰囲気。
これまでは男子とはいえ同い年ばかりだったが、ベレーザは10代後半~20代の「お姉さん」ばかり。
身体能力の差は明らかで、中1の澤は同じように走れず、トレーニングもこなせず、
「できなーい!」
と叫びながらやった。
極度の負けず嫌いで、府ロク時代、
「練習のときにジャンケンで負けた人がビブスをつけるんですが、そのジャンケンも負けたくなかった」
そしてミニゲームが始まっても
「負けたくなくてバチバチ当たり合ったりしていました」
大人になって、なでしこジャパンのチームメイトの川澄奈穂美と「食わず嫌い王選手権」に出演したときも負けると本気で悔しがった。
「悔しさは感情というより感覚に近い。
感覚は使わないと鈍ってしまう。
悔しさを出さなかったり、感じなくなれば、負けても悔しくないから勝てなくてもかまわなくなってしまう」
金銭面で非情に堅実な澤穂希は、ギャンブルはしないが、
「対等の勝負を挑まれたら身を引くことはない。
わざと負けたりなど絶対にしないし、わざと勝たせてもらうなんてもっとあり得ない。
全力でぶつかるだけ」
しかしいつも勝てるとは限らず、心底悔しくて仕方ないとき、澤は泣く。
「強いということは泣かないということではなく、泣いた後にまた笑える心こそが強さ」
そして
「悔しい!」
と大声でいう。
すると
「なんだかスッキリする」
「明日から前を向ける」
ベレーザの練習はキツかったが、あきらめや逃げの気持ちはまったくなく、むしろ
「ここでやればもっともっと上手になれる」
「いつか日本代表に入れる」
と希望でいっぱいだった。
「毎日サッカーが楽しいから、中学校に行ってる間も、早く練習に行きたいって楽しみで仕方がなかった。
1時間前からグラウンドに行って1人でボールを蹴ってましたね」
そして練習が始まると日本屈指の強豪チームの中で、夢のような気分になることもあった。
「雲の上の存在だった憧れの本田美登里さん、高倉麻子さん、野田朱美さんを前に、わぁ、私、なんてすごい人たちとサッカーしているんだろうと毎日興奮し、練習なのに、試合以上に緊張してガチガチになっていました。
当時、練習や試合で右のハーフのポジションに入ることが多く、右サイドバックには本田さんがいて、ボールを持つとどうしても本田さんを頼ってボールを戻してしまうんです。
緊張しちゃって、前に相手選手がいるかどうかなんて冷静にみえていなかったんでしょうね。
あるとき本田さんにピッチで怒鳴られました。
『コラッ、澤!どうしてボールを戻すの!前を向いて自分で行きなさい!』って。
この「前を向いて自分で行く」は、憧れの人たちに囲まれたあのベレーザのピッチで私が最初に教えてもらったことかもしれない。
今でも覚えています」
お姉さんたちは、練習後にドライブに連れていってくれたりもした。
そして恋愛話などもして、澤穂希はサッカー以外にもたくさん学んでいたが、野田朱実に
「澤は耳年増だから。
大人の話を聞いていないようで聞いているから小声で話さないと」
といわれた。
よみうりランド内の専用グラウンドは、男子チームである東京ヴェルディも練習していた。
この頃、日本男子サッカーは初のプロサッカーリーグ誕生に向けて準備を進めている、いわゆる「Jリーグ前夜」の時期。
澤穂希は、そんなイチバン熱い時期に熱く練習する男たちを傍でみることができた。
その技術やフィジカル、そしてサッカーに対する意識が高さ、姿勢は尊敬せずにいられなかった。
しかしある日、「ボール回し」に呼ばれたときは、
「なんで?」
と思った。
ボール回しとは、数人がひたすらパスを回し、1人がひたすら奪いにいくという練習で、数人が1人を取り囲む形になるので「鳥かご」ともいわれる。
慣れ親しんだ練習なのでやることに問題はなかったが、違和感を感じたのはメンバー。
ヴェルディのラモス瑠偉、松木安太郎、武田修宏、北澤豪、そしてベレーザの本田美登里、高倉麻子、野田朱美がつくる輪の中に、チームに入ったばかりの中1女子が放り込まれたのである。
そしてボールを奪う役となり、振り回され続けた。
「想像通り、みなさん・・・・特にラモスさんなんて絶対手を抜きませんから・・・・
1回もボールをとれなくてずっと輪の中にいました。
股抜きされると1回ペナとか、プロなのに子供相手にいっさい手加減なし。
一生懸命やっているのに皆さん、もう笑っちゃうほどうまくて、とにかく1度もボールを奪えませんでしたね」
1時間以上、輪の中にいて1度もボールをとれなかった澤は、練習が終わった後、笑顔のラモスに声をかけられた。
「ボールは自分で奪わなかったら一生手にできない。
そして1度奪ったボールはどんなことがあっても失っちゃダメだ」