マリー・クワントの名前を冠したブランド「マリークワント」
「MARY QUANT」ブランドを表す、黒いデイジーマーク。ブランドアイコンのデイジーは、世界でたった一輪の黒い花。マリー・クワントの「独創性」と「自由」の象徴だ。
マリー・クワントは、1930年2月11日ロンドンの南東に位置するウーリッジで生まれた。両親はウェールズ出身の教師。ブラックヒース高校を卒業したクアントは美術教師になるためにゴールドスミス芸術大学に入学、1953 年に学位を取得した。

マリー・クワント(1966年)
1955年、マリー・クワントは当時のボーイフレンドで、将来の夫となるアレキサンダー・プランケット・グリーンとロンドンのチェルシー地区のキングス・ロードに『バザー』(Bazaar)という店をオープン。1959年に若者向けに『ミニスカート』を売り出し、大ヒット。60年代におけるロンドンのストリートファッションシーンを牽引した。
1957年にアレキサンダー・プランケット・グリーンと結婚。1970年に息子オーランドが誕生した。
1963年に手頃な価格で世界中に販売するために衣料品の卸売り「マリー クワンツ ジンジャー グループ」を設立した。
1966年に大英帝国勲章オフィサー(OBE)受賞。
1968年にカンゴールのベレー帽のシリーズを発表。
1969 年に王立芸術協会により王立産業デザイナーに選出される。
同年に店舗を閉店。ライセンスビジネスに進出する。
2000年10 月にマリー クアントリミテッドの取締役職を辞任したが、コンサルタントとして活動していた。
2015年に大英帝国勲章デイム・コマンダー(DBE)受賞。
2023年4月13日にマリー・クワントは、英国サリー州の自宅でで93歳で死去した。
マリークワントの日本進出・思い出のコスメ
1966年にマリー・クワントは、トータルコーディネートの一環として化粧品を発売。世界中で人気を博した。1971年3月にマリークワントは、日本に進出した。ファッションではなく、ライセンス会社マリークワントコスメチツクスジヤパンよりコスメの販売を開始した。
当時は、マリークワントの化粧品を販売していた店舗は、東京銀座のソニープラザ。他には、新宿の高野辺りのファッションビルの最上階で売っていた記憶がある。
マリークワントのコスメは資生堂やカネボウなどの国産化粧品を販売しているデパートでは、売っていなかった。ネット上の書き込みに70年代後半にイギリス旅行や留学した時に買ったという人がいることから、東京以外では、販売していなかったのではないか。
当時、一番は欲しかったマリークヮントのクレヨン。価格は、5千円位だったと記憶している。
1983年にマリー クヮントファッションウェアを日本に導入。
日本限定でコスメと提携した「 Mary Quant カラー ショップ」をオープンした。
2000年にファッション業界、マリークヮント社から撤退
2000 年にマリー・クワントがファッション業界、マリークヮント社から撤退した後は、日本人オーナーに引き継がれた。現在は、全世界のすべての権利は『株式会社マリークヮントコスメチックス』に移行している。
2022年、マリー・クワントのドキュメンタリー映画『マリー・クワント スウィンギング・ロンドンの伝説』公開に伴い世界で巡回展が行われた。日本では、2022年11月26日(土)~2023年1月29日(日) にBunkamura ザ・ミュージアムにて、『マリー・クワント展』が開催された。ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館から約100点の衣服や写真、小物が展示された。
日本発のマリークヮント
現在、マリークヮント(MARY QUANT)の商品は日本の企業が、ブランド名を使用して販売している。デイジーのブランドマークでおなじみのポーチからランドセル、ファッション、雑貨まで幅広いアイテムがラインナップされており、年齢・性別を問わず多くの人々に愛されている。
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