メグカナ世代とは?
バレーボールにおけるメグカナ世代とは、1984年4月2日~1985年4月1日に生まれた日本のバレーボール選手の総称です。
2004年のアテネオリンピック出場権をかけて出場した、2003年のバレーボールワールドカップで大山加奈さんと栗原恵さんの10代コンビであるメグカナが大活躍したこと、そしてアテネオリンピックに出場したことから命名されました。
通常春の高校バレーでは、身長180センチを超える女子選手は1人いるかいないかであるにも関わらず、このメグカナ世代の出場した春高バレーでは、大山加奈さん、栗原恵さん、そして荒木絵里香さんも180センチを超えていました。
大型選手が揃っていた世代だと言えますね。
女子だけでなく、同じ学年の男子選手もメグカナ世代と呼ばれています。
パワフルカナこと大山加奈
まずはパワフルカナこと、大山加奈さんのプロフィールからご紹介します。
本名:大山加奈(おおやまかな)
生年月日:1984年6月19日
出身地:東京都江戸川区
経歴:全日本バレーボール小学生大会(ライオンカップ)で全国制覇を成し遂げた事によって、バレーの金の卵と注目される存在になっていきます。
その後成徳学園中学に進学し、主将として全国制覇を成し遂げました。
成徳学園高校時代も、主将として全国制覇(インターハイ・国体・春高バレーの3冠)を果たし、小中高全ての年代で全国制覇を果たしています。
まさに敵なし!バレーボール界に舞い降りた期待の星ですよね。
小学校6年生の時点で175センチあり、最終的に187センチまで伸びて身体的にもかなり恵まれていました。
恵まれた体格から繰り出される圧倒的なパワー。
そしてそんなパワーに反した可愛い顔立ち。
2001年に高校生として唯一全日本に選出されて、2003年のワールドカップでは19歳の若さで大活躍したのですから、アイドル的な人気を博したのも納得です。
2004年のアテネオリンピックに出場しましたが、その後持病の腰痛に苦しみ2008年の北京オリンピックの出場は断念しました。
2009年に長いリハビリを経て復帰しますが、腰痛が再発してしまい2010年6月19日に現役を引退します。
この日は大山加奈さんの26才の誕生日でした。
メグカナとして圧倒的な実力と人気を誇った大山加奈さんの現役時代は、意外に短かったのですね。
プリンセスメグこと栗原恵
続いてはプリンセスメグこと栗原恵さんのプロフィールです。
本名:栗原恵(くりはらめぐみ)
生年月日:1984年7月31日
出身地:広島県佐伯郡能美町(現・江田島市)
経歴:小学校4年生のときに父がコーチをしていた鹿川フラワーズでバレーを始めました。
中学1年で176センチを超え、バレーがうまくなりたいという理由で兵庫県姫路市の大津中学校にバレー留学をします。
高校は山口県防府市の三田尻女子高校に進学し、1年生のときにインターハイ・春高バレー・国体優勝という3冠を経験しました。
2001年には全日本の代表メンバーに選出され、19才で出場した2003年のバレーボールワールドカップでは大活躍し、大山加奈さんと共に「メグカナ」として大旋風を巻き起こしました。
力強いアタックと対照的に、華奢で色白のルックスでプリンセスメグと称されてアイドル的な人気を誇った栗原恵さん。
2004年のアテネオリンピックにも出場し、5位入賞に貢献します。
その後はケガに苦しみますが、2008年の北京オリンピックの日本代表に選出され、エースとして活躍し5位入賞の原動力となりました。
2009年に真鍋正義さんに監督が変わり、副主将に抜擢されます。
ただ同年秋のグラチャンでは左膝半月板を損傷。
治療を続けながらVリーグの試合に参戦していましたが、悪化し手術やリハビリを余儀なくされました。
2010年の世界選手権では、ケガを乗り越えて出場し銅メダルを獲得しています。
ケガに苦しみながらも懸命にバレーに打ち込む栗原恵さんでしたが、膝の故障は尾を引き2012年のロンドンオリンピックの代表メンバーから外れました。
2014年には、通算出場試合数が230試合となりVリーグ栄誉賞の受賞資格を得ています。
そして2019年6月4日に、現役引退を発表しました。
栗原恵 - Wikipedia
ケガに苦しみながらも、ひたむきにバレーボールに打ち込んできた栗原恵さんは、引退会見で涙を滲ませながら、関係者やファンへの感謝の言葉を口にしていました。
本当にバレーボールが好きなのが伝わってきますね。
長い間、お疲れさまでした。
現在は食育指導士やファスティングマスターとして活躍する栗原恵さん。
変わらず美しく、今でもキラキラした瞳は変わっていません。
鉄腕エリカこと荒木絵里香