"4割" まであと一歩だった4人の強打者
今回ご紹介するのは次の4選手です。
選手名 | 所属球団 | あと一歩だった年 |
---|---|---|
張本勲 | 東映フライヤーズ | 1970年 |
ランディ・バース | 阪神タイガース | 1986年 |
ウォーレン・クロマティ | 読売ジャイアンツ | 1989年 |
イチロー | オリックス・ブルーウェーブ | 1994年、2000年 |
張本勲(1970年)
月間打率5割5分!
通算7回の首位打者を獲得した "安打製造機" といえばもちろん "張さん" こと、張本勲です。東映フライヤーズの2年目(1960年)に3割を記録、3年目(1961年)にはすでに首位打者を獲得していました。1967年〜1969年には3年連続首位打者となり、1970年は4年連続首位打者の記録がかかった年でした。
4月、5月は3割1分台と、張本にしては平凡な成績でしたが、6月に入ると覚醒。月間成績で 60打数 33安打 打率.550 を記録し、打率は一気に.385まで上昇しました。4〜6月終了時点の打率は次の通りです。
4月終了時点の打率 .316
5月終了時点の打率 .311
6月終了時点の打率 .385

東映時代の張本勲
9月で3割9分6厘!
7月に入ると、オールスター前こそ.372まで落ちますが、オールスター明けに一気に加速。4試合で14打数11安打と打ちまくり、打率が.395まで上昇します。以後は3割9分前後を維持し、最高到達打率は、9月16日の.396。4割まであと一歩でした。その後は率を落とすも、3割8分台の高打率を維持します。
7月終了時点の打率 .383
8月終了時点の打率 .388
9月終了時点の打率 .380

東映時代の張本勲
プロ野球記録を更新!
打率4割は難しくなったものの、大下弘のシーズン最高打率(.3831)を更新できる可能性が残っていました。
記録更新がかかった10月18日の阪急戦。コーチから「3安打打てば記録更新」と言われ、張本は見事3安打を放ちます。記録更新!と思った矢先、実はコーチの計算違いで大下の記録に届いていないことが判明。しかし、そこは張本。運良く回ってきた5打席目で、なんとまさかのセーフティーバントを決めます。相手投手は、守備に定評のある山田久志でしたが、グラウンドがぬかるんでいたことが幸いして、一塁に投げるも間に合わず。ついに、プロ野球記録を更新しました。最終打率は.3834。大下との差はわずか3毛でした。
最終成績 459打数 176安打 打率 .383(100打点 34本塁打)
この年、最高出塁数、最多安打、ベストナインも同時に達成。その後、1972年、1974年にも首位打者を獲得し、通算7回の首位打者はイチローと並ぶタイ記録です。
張本 勲(ロッテ・オリオンズ) | 個人年度別成績 | NPB.jp 日本野球機構
ランディ・バース(1986年)
あと少しで月間打率5割!
阪神タイガース球団史上、いや日本のプロ野球史上 "最強の助っ人" といえばもちろん、ランディ・バースでしょう。1985年には三冠王に輝き、チームを21年ぶりのリーグ優勝、初の日本一に導きました。翌1986年は、チームの調子は落ちたものの、バースは調子を維持し、こと打率に至っては前年以上の記録を残します。
シーズン前半こそ無難な打率だったものの、後半に向かうに連れ、徐々に打率を上げていきます。特に6月の追い上げが驚異的で、月間成績は 76打数 37安打 29打点 13本塁打 打率.489 とほぼ5割の打率を挙げ、月間MVPに輝きました。
4月終了時点の打率 .323(3本塁打)
5月終了時点の打率 .346(10本塁打)
6月終了時点の打率 .387(23本塁打)

阪神時代のランディ・バース
3割9分9厘!
7月はやや打率を落とすも、8月になると死のロードと関係なく絶好調。ついに3割9分台に到達します。8月12日にはなんと.399を記録。8月1日から12日までの成績はなんと、25打数16安打、打率.640でした。夢の4割まであと一歩。その後は率を落としますが、まだまだ3割9分台です。
7月終了時点の打率 .379(26本塁打)
8月終了時点の打率 .391(36本塁打)

阪神時代のランディ・バース
現在もプロ野球史上最高打率
9月に入っても衰えることなく、3割9分台を維持します。9月を終わって.394、残り7試合でまだまだ可能性があります。本塁打も8〜9月は月に10本ずつ放ちました。
9月終了時点の打率 .394(46本塁打)
しかし、10月に入るとペースダウン。最終成績は次の通りでした。
最終成績 453打数 176安打 打率 .389(109打点 47本塁打)
2022年シーズン終了時点でも、未だ破られない日本プロ野球史上最高打率です。
2年連続の三冠王に加え、最高出塁率、最多安打のタイトルを獲得し、ベストナインとして表彰されました。
R.バース(阪神タイガース) | 個人年度別成績 | NPB.jp 日本野球機構
ウォーレン・クロマティ(1989年)
5月終わって4割2分4厘!
日本のプロ野球史上、最も4割打者に近かった選手といえば、読売ジャイアンツ(巨人)のウォーレン・クロマティでしょう。過去にも高打率を記録したアベレージヒッターで、実はバースが史上最高打率.389を記録した1986年には、打率.363を記録していました。.360以上の打率を挙げながら、首位打者になれなかったのは後にも先にもクロマティだけです。
1989年のシーズンは、4月から絶好調。5月が終わっても、楽々4割以上の打率を残していました。この間の打撃成績は、151打数 64安打 28打点 3本塁打 打率.424 と驚異的な記録です。
4月終了時点の打率 .423
5月終了時点の打率 .424

ウォーレン・クロマティとランディ・バース
8月なのに4割超!
6月に入り、打率を落とすもまだ3割9分台。7月はチームが11連勝を果たすなど、優勝に向かって爆進中でした。7月を終わって、3割9分を維持します。
6月終了時点の打率 .393
7月終了時点の打率 .390
そして、ここからがクロマティの真骨頂。8月前半は、42打数21安打の5割で、8月13日には打率.404に到達します。結局、8月20日まで4割を維持し、この日の打率は.401。シーズン後半の96試合目まで4割を維持した選手は、これまでクロマティだけです。すでに規定打席に到達しており、以後出場しなければ史上初の4割打者誕生でしたが、チームは優勝争いの最中。残り試合数も多かったことから、クロマティは試合に出場し続けました。結果的に、これで打率を下げていくことになります。
8月終了時点の打率 .395
9月終了時点の打率 .380

巨人時代のウォーレン・クロマティ
巨人の歴代最高打率
クロマティの大貢献でチームはリーグ優勝、さらに近鉄との日本シリーズでは、3連敗からの4連勝で逆転日本一に輝きました。ペナントレースの最終成績は次の通りです。
最終成績 439打数 166安打 打率 .378(72打点 15本塁打)
4割には届かなかったものの、現在でも読売ジャイアンツの歴代最高打率です。
W.クロマティ(読売ジャイアンツ) | 個人年度別成績 | NPB.jp 日本野球機構
イチロー(1994年)
イチロー誕生!いきなり4割!
1994年は、オリックス・ブルーウェーブの監督が仰木彬監督に代わり、イチローを大抜擢します。この年、本名の鈴木一朗からイチローに表記を改め、心機一転シーズンに臨みました。開幕から2番スタメンで起用され、前年開発した振り子打法が開花。4月末には1番打者として定着し、3割を維持します。5月はさらに打率を伸ばし、6月には4割に到達します。
4月終了時点の打率 .346
5月終了時点の打率 .381
6月終了時点の打率 .407

オリックス時代のイチロー
日本記録のオンパレード!
その後は4割を切るも、3割9分台を維持。9月11日の時点で.395と、4割の可能性を十分残していました。最終打率は.385。パ・リーグの打率新記録です。
7月終了時点の打率 .393
8月終了時点の打率 .394
9月終了時点の打率 .386
最終成績 546打数 210安打 打率 .385(54打点 13本塁打)
この年は、打率以外にも多くの記録を残しています。達成した日本記録は次の通り。
最多安打 210安打
最多単打 149単打
連続出塁 69試合
1試合二塁打数 4二塁打
タイトル・表彰は、MVP、月間MVP2回、首位打者、ゴールデングラブ賞、ベストナイン、最高出塁率を受賞し、一年を通して大活躍でした。
イチロー(オリックス・ブルーウェーブ) | 個人年度別成績 | NPB.jp 日本野球機構
イチロー(2000年)
日本プロ野球最終年
日本プロ野球の最終年となった2000年は、開幕から4番に抜擢されます。この年はほとんどブレがなく、4月から安定して高打率を記録。6月10日にはついに4割(.401)に到達します。以後は、安定的に4割前後を推移するようになり、7月12日の.405が最高到達打率です。7月終了時点でも.399を記録していました。
4月終了時点の打率 .385
5月終了時点の打率 .379
6月終了時点の打率 .394
7月終了時点の打率 .399

オリックス時代のイチロー
思わぬ形でシーズン終了
8月に入って打率を落とすも、好調は維持しており、3割9分台が続いていました。ところが、突然思わぬ形でシーズンを終了することとなります。それは、104試合目の8月27日ロッテ戦。三塁線へファウルボールを打った際に右脇腹を痛め、以後は回復せず。しかし、最終打率は.387で、自身のパ・リーグ記録を更新しました。
最終成績 395打数 153安打 打率 .387(73打点 12本塁打)
イチロー(オリックス・ブルーウェーブ) | 個人年度別成績 | NPB.jp 日本野球機構
MLB挑戦!
思わぬ形でシーズンを終了したイチローでしたが、10月12日にMLB挑戦を発表。翌10月13日の本拠地最終戦では、守備固めでサプライズ登場し、神戸のファンとの別れを惜しみました。
日本のプロ野球で7年連続首位打者、通算打率.353と驚異的な記録を残し、翌2001年MLBに移籍。その年いきなり、首位打者と盗塁王を獲得したことは言うまでもありません。

シアトル・マリナーズ一年目のイチロー(2001年)