デビューまで
リック・アストリーは、1966年2月6日、イングランドのランカシャー州生まれ。10歳の時に、地元の教会の聖歌隊で歌い始め、これが彼の音楽活動の始まりとなります。
学生時代は自身でバンドを結成し、ドラムを担当。卒業後は、ビートルズなどをカバーするバンドに所属し、地元の種々のタレントコンテストで優勝します。
当時の所属バンドの一つFBIで、彼がリードボーカルを務めるようになると、これにレコード・プロデューサーのピート・ウォーターマンが注目。活動の拠点をロンドンに移し、ピート・ウォーターマンの制作チーム「ストック・エイトケン・ウォーターマン(SAW)」とともに、彼の音楽キャリアがスタートします。
世界中で大ブレイク
デビュー曲が世界各国でナンバーワン
メジャーデビューは、最初はデュエット曲でしたが不発。そして1987年8月、『ギヴ・ユー・アップ(Never Gonna Give You Up)』でソロデビューを果たします。
当初、プロデューサーが乗り気でなかった曲ですが、彼独特の深みのある豊かな声、親しみやすいダンスポップが世界中を魅了し、一気にブレイクします。
全英シングルチャートでは、5週ナンバーワンを記録。その年の年間チャートもナンバーワンの座に輝きます。また、アメリカ、オーストラリア、西ドイツなど他24カ国のチャートでもナンバーワンを獲得。デビュー曲の一曲だけで、世界中の音楽市場を席巻しました。1988年のブリット・アワードでは、最優秀シングル賞を受賞しています。
続く『トゥゲザー・フォーエヴァー(Together Forever)』も、全米ナンバーワンを獲得(イギリスでは2位)。また、『恋に落ちた時(When I Fall In Love)』『ホエネヴァー・ユー・ニード・サムバディ(Whenever You Need Somebody)』がそれぞれ、全英2位、3位のヒット。さらに、1989年には、アメリカのグラミー賞の最優秀新人賞にもノミネートされ、彼の快進撃が続きます。
アルバムも立て続けにヒット
シングルのリリースと並行して、1987年11月、デビューアルバム『ホエネヴァー・ユー・ニード・サムバディ(Whenever You Need Somebody)』をリリースします。『ギヴ・ユー・アップ』や『トゥゲザー・フォーエヴァー』などのヒット曲を収録した作品で、イギリス、オーストラリア、日本のアルバムチャートでナンバーワンを獲得。アメリカでも10位を記録しました。
そのわずか一年後の1988年11月、早くも2作目のアルバム『ホールド・ミー・イン・ユア・アームズ(Hold Me In Your Arms)』をリリースし、全英8位を記録します。シングルカットした3曲も、すべてイギリスでトップ10ヒットとなり、勢いは止まることを知りません。

『ホエネヴァー・ユー・ニード・サムバディ(Whenever You Need Somebody)』
日本でもブレイク
日本では、デビューアルバムがオリコン洋楽アルバムチャートで3週連続ナンバーワンを獲得。バブル期の、ユーロビートを主体とした第3次ディスコブームの追い風を受け、日本でもブレイクします。来日公演「JAPAN TOUR 1989」では、東京、大阪、名古屋、福岡、札幌でコンサートを行いました。
さらに、海外アーティストとしては希少な、日本のテレビCMにも出演します。三ツ矢サイダーのCMで、『テイク・ミー・トゥ・ユア・ハート(Take Me To Your Heart)』、『ダンス・ウィズ・ミー(She Wants To Dance With Me)』が使用され、複数パターンのCM映像が放送されました。
ソウルへの転換
1990年代に入り、彼は、それまでのダンスポップからソウルミュージックへの転換を決意します。それに伴い、音楽だけでなくルックスも、隣のお兄さん的な雰囲気から、髪を伸ばし成熟した雰囲気に変えていきます。
1991年3月にリリースしたアルバム『フリー(Free)』は、そんな新境地の作品で、エルトン・ジョンがピアノ演奏で参加しています。アルバムは、全英9位のヒット。収録曲では、『クライ・フォー・ヘルプ(Cry For Help)』が、イギリス、アメリカともに7位のヒットを記録します。しかし、これ以後はヒットに恵まれず、低迷期を迎えます。
リックロール
家族との生活に専念するため、彼は、1994年頃から音楽活動を休止します。ところが、10年近い休止期間の後、思わぬ形で脚光を浴びることになります。
それは2006年頃のこと。インターネットブラウザで、ハイパーリンクをクリックすると、なぜかリック・アストリーの『ギヴ・ユー・アップ(Never Gonna Give You Up)』のミュージックビデオが流れる、といういたずらが多発します。この釣り行為に引っかかった人は「リックロールされた」と言うようになり、新語まで誕生。本意ではないにせよ、このいたずらにより、彼のパフォーマンスが再評価され、世界的に人気を集めます。
一方の彼自身は、この盛り上がりに便乗することに、最初は戸惑いを見せますが、2008年のメイシーズ・サンクスギビング・デー・パレードでサプライズ登場して、自らがリックロール。盛り上がりを肯定的に受け止めます。
YouTubeでは、カナダのテレビ番組で、リック・アストリーが自らリックロールした映像が公開されています。
現在も第一線で活躍中
活動を再開した彼は、2016年、50歳の誕生日を記念したアルバム『50』をリリースします。これが、全英ナンバーワンを獲得。また、2018年にリリースした最新アルバム『ビューティフル・ライフ(Beautiful Life)』も全英6位、2019年のベスト・アルバム『ザ・ベスト・オブ・ミー(The Best Of Me)』も全英4位と、完全復活を遂げます。
リックロールで注目された『ギヴ・ユー・アップ』のミュージックビデオは、2022年6月現在で再生数12億回を突破。まさかの冗談が、彼の復活を後押しした結果となりました。
2021年には、テンプテーションズの『マイ・ガール(My Girl)』、 ABBAの『ザ・ウィナー(The Winner Takes It All)』をカバーするなど、積極的な音楽活動を行っています。『ギヴ・ユー・アップ』のヒットから35年目を迎え、今後のさらなる活躍が楽しみです。
