「芝居をしなくていい」という是枝監督の言葉を信じてデビュー作で見事に主演を演じた”ARATA”
初めての貴重な経験に楽しさを感じたものの、共演した”寺島進”さんや”内藤剛志”さんといった叩き上げの役者の方々を前に自分のようなものが簡単に「役者を名乗ってはいけない!」という思いが溢れてきたそうです。
ちゃんと演技の世界でやっていけるのかを確かめる為にしばらく、納得のいく作品だけに出演されていました。
映画「ピンポン」(2002年公開)スマイル役で注目を浴びる
1999年「シェイディーグローブ」2001年「DISTANCE」と2本の映画に出演した後、
卓球に懸ける男子高校生の青春を描いた「ピンポン」が大ヒット。
新さんは、感情表現が苦手で無表情だが根は優しいスマイル役を演じ「メガネ男子」として一気に注目を浴びます。
が、世間からの注目とは裏腹に「ピンポン」という言葉がNGワードになる程 新さんの心は疲れてしまいます。
もともと役者志望だったわけではない新さんが色々な経験、チャレンジをする中で「これって本当に自分がやりたかったことなのか?やっぱり自分が来るところじゃなかったなぁ」という気持ちから「ピンポン」以降数年間 俳優業をお休みされました。
当然オファーはかなりあったのですが全て断って、洋服作りに専念されていたそうです。
越川道夫監督からの熱烈オファーで映画「青い車」(2004年公開)に主演し再び役者の道へ!
最初はいつものように断っていたそうですが、あまりの熱心さに「数年間 活動していない僕をこんなに求めてくれる人たちは、どんな方なんだろうと興味が湧いて会うことにしたんです。」(新さん談)
以降、数々の映画に出演し変幻自在に色々な役を演じられています。
巨匠 若松孝二監督との出会い、そしてARATAから井浦新へ
デビュー作での「是枝裕和監督」そして「若松孝二監督」との出会いが自分の人生においての分岐点だと語っておられる新さん、2008年 初めて自ら望んでオーディションを受けたのが若松監督の「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」です。
以降、晩年の若松監督の作品すべてに出演し「若松監督の秘蔵っ子」とも称されています。
僕の人生を変えてしまうくらいの経験をさせていただきました。
「雑用でもなんでもいいので若松監督の現場に関わらせてほしい」と監督の事務所に直談判したという新さん。
そこまで惚れ込んだ若松監督からは、毎作 怒鳴られて怒鳴られての繰り返しだったそうですが、「慣れるな」「知ったかぶるな」という監督の言葉が「お守り」になっていると。
“ARATA”から本名の“井浦新”へ改名~意外なオチ
2012年公開の映画「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」で主演・三島由紀夫役を演じた新さん。
その頃の芸名はまだ”ARATA”だったのですが、日本に対するこだわりが強い作品だった為 エンドロールで“ARATA”というアルファベット表記が出ることに違和感があるのでは?と考えた新さんから若松監督に改名を申し出たそうです。
ところが、、、
映画が完成し試写を観ると、エンドロールにしっかり漢字表記の「井浦新」が流れているものの、エンディングの曲が海外の歌だったそうです(笑)
「ARATAで良かったや~~ん!」って感じですね。
こうした経緯でARATA→井浦新になられたわけですが、”ARATA”と”井浦新”が同一人物だと思われていない方が結構おられるようです。
そして、
「君はもっと色んなことをやりなさい。仕事なんか選んじゃいけない。カッコつけちゃダメ。何でもやりなさい。」
という若松監督からの言葉を心の支えに映画のみならずドラマでも活躍されています。
本当に色んなドラマで、色んな顔の新さんを観ますよね。
最近ではドラマ「最愛」の加瀬さんにキュンキュンした人が続出でした。