まずは久しぶりに愛は勝つを聞いてみよう
1990年、KANというアーティストに生み出された「愛は勝つ」。
フジテレビ系「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」の挿入歌に起用されたことで人気を博し、オリコンでは8週連続1位、累計売上201.2万枚。翌年1991年に第33回日本レコード大賞を受賞。
その後も、チャリティソングへの起用や多くのアーティストによりカバーされました。
最近では、西川きよし一家のテーマソングとして紹介され話題になりました。
又、ビートたけしが「『愛は勝つ』って歌、あったじゃん」「あれ歌うやつ、バカにしてたんだけどさ、愛は勝つよな、って最近」というCMがありましたが、まさにこの直球かつ噛むほどに味の出るシンプルなメッセージこそが、長く歌われて来た理由なのではないでしょうか。
普通は言わないかなーそんなこと、をあえて明言
パクったって思われるのは避けたいから、普通は「このアーティストのこの曲目指して作った」なんて言わないはずなんですが・・・。
彼は、あえて明言します。
聞いてみると、確かにパクッてはないんです。
敬愛するからこそ、聞き込んで、絶妙なニュアンスを目指して理論的に作り上げます。
ご多分に漏れず、「愛は勝つ」もその一つで、目指したのは、KANが最も敬愛するアーティストの一人、ビリージョエルの「uptown girl」という曲です。
この曲に限らず、“目指して”作られたものがたくさんあり、もちろんライブなどであたりまえのように公言しますし、時には並べて演奏し、いかに緻密に目指せたかをとうとうと語る場合もあります。
そこから、そうなる?
KAN本人が知る由もないところで影響を与えていたのは、チャゲ&ASKAのASKAです。
ドラマ「101回目のプロポーズ」主題歌制作を依頼されていた時、たまたま「愛は勝つ」を聞いて、自分もこんな、人を勇気づける曲が書きたいと思い作られたのが「SAY YES」だと、2013年のKANのライブにゲスト出演した時、裏エピソードとして明かされました。
KAN本人も「愛は勝つ」から「SAY YES」ですか?とビックリしていました。
実はKANとASKA、お互いが幼少の時に会っており、一緒に遊んだことがあるそうです。お互いそのことは忘れていた中で、それぞれに憧れ、影響を受けたっていうのが、なんだかすごい縁ですね。
どっちのオリジナル?
aikoが最も尊敬するアーティストがKANだというのは、有名な話で、高校卒業したら結婚するとまで言っていたそうです。
この「今度君に会ったら」という曲、aikoの新曲と言ってもだれも疑わないぐらい違和感ゼロですよね。
aikoの歌によく出てくる節回しは、KANの曲をたくさん聞いていたんだろうなと思う部分がたくさんありますので、興味を持たれた方は一度聴き比べてみてくださいね。
ある意味影響力大
スチュワーデスとパイロット
1989.6月より、FM802という関西のラジオ局で、パーソナリティを務めます。(~1998.09)
KANともう一人のアーティストが隔週で番組を担当するのですが、このもう一方のアーティストが、槙原敬之・ 桜井和寿(Mr.Children)・トータス松本(ウルフルズ)など、ローカルFMとは思えない豪華顔ぶれなんです。
この番組内で、KANともう一方のアーティストが交互に曲を継ぎ足していき、曲を完成させ、歌詞をリスナーから募集するというかなり画期的かつ挑戦的なコーナーがあったのですが、自身のこだわりに一切妥協せず、理論的な曲の作り方、そして何よりふざける事にも手を抜かないスタイルを目の当たりにして、のちに桜井和寿は、曲作りに影響を受けたと語っています。
その後、「LuckyRaccoon」という雑誌から派生したライブの為に、KANと桜井和寿で「スチュワーデスとパイロット」というユニットを結成しています。
ハンサムはそこまでやらなくてもいいって相場が決まってるのに、桜井さん、三の線を触発されちゃったみたいですね。
そんなラジオを聞いていたかどうかはわかりませんが・・・
死ぬまでに1曲は書いてもらいたいと思っていたというほどのKAN好きだと豪語するのは、平井堅です。年齢から察するに、前項で紹介したラジオ番組放送時には高校生ぐらいなので、関西出身でもありますし、リスナーだったのかもと推測しますが、その影響かその前からファンなのかは定かではありません。
しかしながら、彼が某ラジオ番組で、KANの話題に触れた際は、アルバムをすべて持っていて、KANが一発屋だという相手とよく喧嘩したと語っています。KANファンなら一度は経験するジレンマなのですが、平井堅も生粋のファンのようです。
「死ぬまでに1曲は書いてもらいたい」という念願叶い、某ラジオ番組の企画で、KAN総合プロデュースで曲を書いてもらっています。
その後も平井堅のライブ「KenS Bar」でKANの曲をよく演奏したり、KANのライブにゲスト出演したりとお互い良好な関係を築いているようです。
しかしながら、リスナーであったかどうかとお話ししましたが、音楽番組などで見せる飄々とボケる様子を見ていると、やっぱりラジオを聴いていて、その部分でも大きく影響を受けているのではないかなと、こちらも推測ですが・・・。
「愛は勝つ」を作り出したアーティストの生き様
いまだに、KANのライブチケットは入手困難です。
私自身、彼のライブに行くと、いい大人が「笑い泣き」します。
なぜなら、全身全霊で歌い踊り、そしてふざけるからです。
「愛は勝つ」発表前、大林宣彦監督の映画音楽を担当していたことがあり、監督直々に音楽担当の継続を打診されましたが断ったそうです。
アーティストとしてやっていきたいからと。
そして「愛は勝つ」が大ヒットした後、彼はメディアから姿を消します。
大ヒット後、ヒットした感想を求められ「自分の実力はこんなものではない」と答えたそうです。
思うに、彼が目指したのは、誰かの作り出したイメージに乗っかったり、流されたりすることではなく、あくまで自分が「良い」と思うものだけで勝負する、自分の軸に忠実にならなければアーティストの意味がないと考えているのだろうと思うのです。
でもそこは、飄々とスマートにこなすのが、彼の流儀ですので、熱くは語らず、淡々とダジャレを言い、弾き語り、コスプレし、踊り、下ネタを言い、そして最後に深々をお辞儀をします。それはもう「唯一無二」のライブです。
あくまで自然体のまま、軸がブレないその姿勢が様々なアーティストに影響を与えているのかもしれませんね。
では最後に、最近の「愛は勝つ」をお届けします。
ちょっと知りたくなってきたでしょう?
そぎ落とした結果の現在形
「愛は勝つ」で力強く、勇気や希望を携えた「愛」の必要性を歌ったアーティストはその後、自分の感性をシンプルに表現するために必要ないものをそぎ落とし、厄介も弱さもすべてを抱えて、控えめに見守る「愛」の形を歌っています。
ぼくがひとりでできることなんて何もない
君とふたりでできることならいくつかある
ぼくひとりでできることないわけじゃないけど
よければ一緒に
その方が楽しい
(「よければ一緒に」 一部抜粋)
そんな、ぶれない感性の軸を誰に誇示するでもなく、また誰とも比較せず持ち続ける彼に、これからも影響されるアーティストが出てくるのだろうと思いますが、「憧れられる存在」であることすら、自慢するでもなく飄々と進むんだろうと想像します・・・。
もしかすると、「愛は勝つ」のヒットで周囲が勝手に色んな“モノ”をつけたと思っただけで、実はヒットする前から、なんら変わってないのかもしれませんね。