貴乃花  決して曲げず 貫き通したチカラビト SUMODO

貴乃花 決して曲げず 貫き通したチカラビト SUMODO

千代の富士、小錦、武蔵丸、朝青龍、兄、若乃花、数々の名勝負。宮沢りえとの破談、兄との確執、洗脳騒動、母親の不倫など数々のスキャンダル。小泉純一郎に「「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!」」といわせた武蔵丸戦とその後のケガとの戦い。中卒でプロの相撲の世界に入った貴乃花は、嵐のような人生を職人的なプロフェッショナリティーで、ガンコに、一途に、真っ直ぐに進んでいった。


幕下以下の力士は、大部屋に住み、電話番や掃除、洗濯、ちゃんこ番などの仕事を行う。
まず番付、そして先輩後輩、年下年上、複雑な上下関係があり、理不尽な行いやイジメも発生しやすい。
相撲部屋では「チンコロ(チクリ、告口)」はタブー。
仮に新人がなにかあって親方に訴えても、それは兄弟子に伝わり、
「シメとけ」
となってしまうケースも多い。
藤島部屋はそういう陰湿な空気は薄かったが
「新弟子なんていうこときかなかったら下駄を食らわすんだ」
というような荒っぽい雰囲気はあった。
しかしそれも兄弟が入ることで変化。
藤島親方の命令で電話番も掃除も洗濯もちゃんこ番も
「雑用は全員でやる」
「自分の仕事は自分でする」
というようになった。
これについて当時、幕下だった貴闘力は、
「雑用係がいなくなってフテくされる先輩衆もいたが、結果的によかった。
先輩だろうが自分のことは全部自分でやるのが正解。
最初は文句いうやつもいたけど、それが当たり前になってくるとみんな強くなったもん。
若貴にしても朝から晩までコキ使われていたら1年半で十両なんか絶対上がんないから。
2人は雑用する暇がないほど稽古していたし、稽古をできる環境をつくったっていうのはよかったんじゃないの」
といっている。
さらに兄弟が入ると大部屋は、クーラーや洗濯機など電化製品が増えて快適さが増した。
「若貴に特別扱いされたいのか?って聞くと、貴乃花は『されたくないです』、若乃花は『されたいです』って(笑)
本当に貴乃花は真面目で一徹。
若乃花は現在っ子だった。
なんかあるとすぐに親方や女将さんにいうから筒抜けになる(笑)」
(悟道力)

1988年2月、正式に入門となった日、兄弟は実家を出た。
といっても3階の自宅の玄関からジャージ姿で着替えが入ったバッグを持って2階の大部屋に移るだけ。
それでも藤田憲子は涙を流して見送った。
これ以降、「お母さん」ではなく「女将さん」、父親も「お父さん」ではなく「親方」「師匠」と呼ばれるようになった。
大部屋に入ると、2人は挨拶と自己紹介。
翌日から稽古を始めた。
4時半起床。
基本の反復をしてから実戦形式の練習。
兄弟は何十番も連続で兄弟子にぶつかっていった。
倒されたらすぐに立ち上がって、呼吸を整える暇もなくすぐにぶつかる。
すぐに起き上がらないとすかさず親方の罵声が飛んできて、それは100番におよぶこともあった。
朝の稽古が終わると兄弟子の風呂や食事の支度。
残ったチャンコをかきこむとすぐに掃除や洗濯が待っていた。
雑用が終わると大部屋に布団が敷き詰めて雑魚寝。
ハードワークによって入門時、120kgあった貴乃花の体は、みるみる90kg台まで落ちた。

入門して1ヵ月後、兄弟は新弟子検査に合格。
1988年の3月場所で兄、勝は「若花田」弟、光司は「貴花田」という四股名でデビューした。
このとき初土俵を踏んだ同期は95人。
この中で関取(十両以上、1人前の力士)になったのは11人。
さらにその中から3人が横綱(曙、貴乃花、若乃花)、1人が大関(魁皇)となった。
貴花田は、花道で足がガクガクなりながらも突き出しで初土俵を勝利。
その後はとにかく稽古。
朝は誰よりも早く稽古場に下りて、自主トレ、自主稽古。
稽古中は、194cm、195kgの五剣山、190cm、225kgの豊ノ海など体の大きな先輩に積極的にぶつかっていき、稽古が終わって後、誰もいなくなっても1人で四股を踏んだ
稽古以外に近くのトレーニングセンターでの筋トレ、縄跳び、ランニングなどを日課にした。
雨の日もカッパが買えないのでゴミ袋をかぶって走った。
生来、右利きだったが、左右両方から攻められるようにと、意識的に左腕を鍛えたり、食事のとき左手で箸を持って食べるなど左利きの練習。
気晴らしといえば、ウォークマンで音楽を聴くくらいで、昼も夜も暇があったら自主トレ、自主稽古。
トイレの中でもダンベルでトレーニングした。
「夜中、(貴乃花が布団の中でもグリッパー(握力を鍛える器具)でトレーニングするため)キュッキュッキュッて音がするんです」
(悟道力)
「夜中の1時半くらいにゴンゴン音がするから、なにしてんのかなってみたら貴乃花が鉄砲(突っ張りの練習)やってた」
(貴闘力)

兄、若花田も人一倍、稽古をしたが貴乃花は敵わなかった。
しかし素質やセンスでは若花田の方が上といわれた。
また足腰の強さ、膝下の強さも天性のものがあった。
1989年、元号が「昭和」から「平成」に変わった年の9月場所の13日目、貴花田は栃日岳に勝って幕下で優勝を決め、十両へ昇進を決めた。
このとき17歳2ヵ月。
昭和の大横綱、北の湖の持っていた十両昇進最年少記録、17歳11ヵ月を更新。
関取になった貴花田は大部屋を出て個室に住み、付き人がついた。
2ヵ月後の11月場所で十両デビュー。
これまで一場所、7番だったが、15番となり、8勝7敗。
かろうじて勝ち越したが、関取の強さをまざまざをみせつけらた。
世間は、特に東京は、バブル景気で、若者はみんな派手に遊び回っていたが、貴花田はますます相撲に打ち込み、心身を追い込んでいった。
そして3場所連続で勝ち越しを決め、17歳8ヵ月という最年少で幕内入り。
再び北の湖の持っていた記録を更新した。


1990年、幕内デビューとなる5月場所の直前、稽古で右足親指を亀裂骨折。
強行出場したが、4勝11敗と大きく負け越し、十両落ち。
すると入れ替わるように同期入門の兄、若花田と曙が幕内デビューを果たした。
叔父は「土俵の鬼」といわれた名横綱、父は「角界のプリンス」、花形大関という角界のサラブレッド、貴花田に貧困的なハングリーさはない。
しかし強さに対しては、まさに飢えた狼。
一心不乱に猛稽古を続ける息子に
「少しやりすぎではと内心、心配になった。
あまりに一途で気持ちに遊びがないことが気になった。
張り詰めすぎるとどこかで糸が切れる」
と藤嶋親方は、専門の医師に部屋に来てもらい、弟子のメンタルの状態を診てもらった。
樹木の絵を描くなど心理テストのようなものが行われ、40人中で、精神状態が危険と診断されたのは2人。
その中でも最もよくないとされたのが貴花田だった。
しかし貴花田は手を緩めることはなく稽古で自分を追い込んだ。
「兄弟子に『車のハンドルだって遊びがあるから左右に曲がれるんだ』といわれましたけど、曲がってばかりいたら真っ直ぐ進めないと思ってました」
故障明けの場所で、8勝7敗と意地の勝ち越し。
翌場所も10勝5敗。
1990年の11月場所で再入幕を決めた。

1991年の3月場所は初日から11連勝。
12日目、初対戦となる超巨漢大関、小錦に連勝を止められた。
このときTV視聴率は驚異の52.2%を記録した。
「大きさ、重さが異次元でした。
まるで山のようで仕切りで向かい合うと客席がまったくみえないし渾身の力で押してもビクともしないんです」
この場所は結局、12勝3敗。
最強の横綱、千代の富士は故障のため休場していて対戦することはなかった。

2ヵ月後の5月場所の初日、千代の富士と貴花田が初対戦。
ケガから復帰した千代の富士は、優勝すれば大鵬の持つ最多優勝記録、32回に並ぶという大事な場所だった。
2人の対決に多くの人が注目し、両国国技館の前には、雨の中、当日券を求め、徹夜組を含め約600人が並び、TV視聴率は44.4%。
「全力でぶつかるだけ」
入門して3年3ヵ月、18歳の貴花田は、35歳の千代の富士に対し、立会いからガムシャラに攻め、相手にまわしを与えずに頭をつけ前進。
最後は前のめりに倒れながら千代の富士に寄り切った。
土俵下に落ちた千代の富士は苦笑い。
世代交代を象徴するシーンだった。
千代の富士は、3日目に藤嶋部屋所属の貴闘力に敗れた後、引退を発表した。
貴乃花は、最終的に9勝6敗で、この場所を終えた。
2ヵ月後、7月場所で11勝。
9月場所、11場所は共に7勝8敗。
1992年の1月場所では3日目の曙に負けたものの、5日目に過去5戦5敗の小錦に初勝利し、14勝1敗、19歳5ヵ月で幕内初優勝を果たした。
貴乃花に賜杯(しはい)を手渡したのは、この場所を最後に相撲協会の理事長を勇退する初代若乃花こと花田勝治だった。
孫ほど離れた甥っ子の優勝に、土俵の鬼の目にも涙が光った。
藤島親方にとっても部屋を興して10年目にして初の優勝だった。

1992年8月、20歳となった貴花田は、テレビの企画で、ヌード写真集を出して話題となっていた19歳の宮沢りえと対談。
十両だったときにスポニチの対談企画で会って以来、3年ぶりの再会だったが、この後、2人は密かに交際開始。
9月場所で貴花田は2度目の優勝を果たしたが、その9日目にはマス席の最前列に宮沢りえがいた。
10月25日、貴花田、宮沢りえの双方の家族が顔合わせ。
10月26日、11月場所の番付が発表された日の夜、テレビ朝日の「ニュースステーション」で貴花田と宮沢りえの婚約をスクープ報道。
翌日、スポーツ紙の一面は、西部ライオンズの日本シリーズ3連覇ではなく、ビッグカップルの誕生を報じた。
TVも2人を取り上げ、水面下では翌年に行われるであろう挙式の中継権の争奪戦が始まった。
その放映権料は3億円といわれた。

四六時中、マスコミに監視されながら始まった11月場所、前場所優勝の貴花田は初日から4連敗。
その後、持ち直し、最終的に10勝5敗。
場所後、藤島親方は、少しでもマスコミを減らし貴花田が稽古に集中できるようにと、婚約発表会見を開くと発表。
しかし取材はますます白熱。
2人が車で移動するとちょっとしたカーチェイスが始まり、ついに宮沢りえの乗る車を追った報道車両が事故を起こし、ケガ人が出た。
1992年11月27日、ホテルニューオータニで貴花田と宮沢りえの婚約記者会見が行われた。
集まった報道陣は600人。
神田正輝と松田聖子のそれを420人も上回り、民放4局が生中継すると、平日午後にもかかわらず視聴率は40%超え。
翌日、スポーツ紙はもちろん一般紙まで1面で報道した。
しかし1ヵ月後には破局報道が出始めた。

1993年1月24日、1月場所最終日、貴乃花は2m3cm、233kgの曙に一方的に押し出されて負けた。
しかし11勝4敗で、3場所連続で2桁勝利を挙げた。
場所後、曙の横綱昇進が決定。
外国人力士として初の快挙。
同時に貴花田の大関昇進も決まった。
20歳5ヵ月は、北の湖が持っていた最年少記録を更新。
訪れた日本相撲協会の使者に大関昇進を伝達されると
「今後も不撓不屈の精神で大関の名に恥じないよう相撲道に精進いたします」
と力強く述べ、四股名を父親と同じ「貴ノ花」に改めた。
同日、婚約記者会見から2ヵ月経った2人が話し合い、婚約解消を決めた。
18時、宮沢りえが単独記者会見を開き、
「強い横綱になってください」
といって婚約指輪を返したことを明かした。
5時間後、藤島部屋で報道陣に囲まれた貴ノ花は
「自分の愛情がなくなりました」
と発言。
破局の原因は
「自分の力のなさ」
とした。

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