少年ライフル魔事件とは
片桐操の家庭環境・人物像
片桐操の家族がヤバイ!
銃への異常な執着心
もともと銃に大きな興味を持った少年が本物のライフル銃を簡単に手にし実際に「撃ってみたい」「撃ちたい」と思うのも自然なことだったと思われます。
片桐操は中学校卒業後、進学していません。裕福な家庭だったにもかかわらず、高校への進学をしなかったのは家族に経済的な負担をかけたくないと表向きの理由があった様ですが、子供の遊び道具に10万円くらいの銃ならいつでも買ってやると言った父親、中学校の卒業の祝いに35000円のライフル銃をプレゼントした姉を思うと、経済的な負担がどうのと片桐操が思うのには矛盾があります。
どちらかと言うと、勉強が嫌いだったことと銃への執着が進学意欲を妨げたのではないでしょうか。そして進学せずに銃を撃ちたいという気持ちの矛先を堂々と銃を扱うことが出来る職業ということで自衛隊に向け志願します。ところが自衛隊試験に落ちてしまい、目標を失ってしまいます。
その後、片桐操は、自動車修理工の見習いとして働き始めますが長続きはしませんでした。次に貨物船のコックの見習いの職に就き18歳を迎えることとなります。そしてやっと、15歳の時にもらったものの、名義が姉のままだったライフル銃をようやく自分名義にします。この時は貨物船のコックの仕事を有給で休み実家に戻っています。
その時、自分で銃の購入もしています。そして有給が終わっても仕事に戻ることなくそのまま辞めているので事件を起こした時には無職だったということです。
事件の動機

怜悧な頭脳、端正な容貌と猛獣のような体躯を持つ非情の男伊達邦彦を描くハードボイルド小説の傑作。
https://www.amazon.co.jp/%E9%87%8E%E7%8D%A3%E6%AD%BB%E3%81%99%E3%81%B9%E3%81%97%EF%BC%88%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB%EF%BC%89-%E5%A4%A7%E8%97%AA-%E6%98%A5%E5%BD%A6-ebook/dp/B01CSBIFVO/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=%E5%B0%8F%E8%AA%AC+%E9%87%8E%E7%8D%A3%E6%AD%BB%E3%81%99%E3%81%B9%E3%81%97&qid=1634172034&sr=8-1野獣死すべし(新潮文庫) | 大藪 春彦 | 日本の小説・文芸 | Kindleストア | Amazon
逮捕後の衝撃発言
1965年7月29日、18歳の片桐操が起こした少年ライフル魔事件で人質を取り銃撃戦となった現場「ロイヤル銃砲火薬店」。
偶然にもこの渋谷の事件をすぐ近くが職場だったために目撃していたと言われているのがのちに銃による殺人事件を起こし死刑囚となった永山則夫でした。
影響を受けた元死刑囚・永山則夫
永山則夫が起こした「永山則夫連続射殺事件」とは、少年ライフル魔事件の約3年後、当時19歳だった永山則夫が東京都・京都府・北海道・愛知県の4都道府県にまたがり、拳銃で起こした連続殺人事件です。
同じ10代の青年の犯行と言うことで日本中に再び衝撃が走った大きな事件でした。
片桐操と永山則夫の共通点と決定的な違い
永山則夫は盗みに入った横須賀基地で偶然、子供のころから憧れていた拳銃を手にしてしまったことで人生を狂わせてしまいます。
『手にした感触がよかった』『「長い間求めていた本当の友達」にようやく出会ったような気がした』と供述しています。
ここに片桐操と同じように子供のころから「銃」に興味があったということです。ただこれだけなら同じように思っている子供が多くいてもおかしいことではありません。
ただ、テレビや本などで目にした銃が想像の中で興味を持ったりしても実際に手にする場面にならないのが普通です。
ただ片桐操と永山則夫は実際に手にしてしまったことで銃への憧れがどんどん膨らんでいったという共通点があります。
そして決定的に違うのは、家庭環境と家庭の経済状況です。片桐操は裕福な家庭で生まれ育ち、母親が早くに亡くなっていますが、継母との関係も悪くなかった。
それに対して永山則夫は親のネグレクト、兄からの虐待を受ける、極貧生活を経験し、小学校、中学校とほとんど通っていない。自身も妹や姪に暴力をふるい不良少年たちとつるむ生活。窃盗で少年鑑別所に一時、収容されています。
簡単に言えば、高校は自分の意志でいかずにいたが裕福な家庭で家族からの愛情も受けていた片桐操と、親や兄弟からの愛情を受けず、義務教育さえまともに受けることが許されない環境にいた永山則夫との違いがありました。
片桐操裁判の結果

裁判の結果
・1審 無期懲役
・2審 死刑判決
・1969年最高裁で2審を支持し死刑確定
・1972年7月21日死刑執行 25歳
片桐操は「銃への魅力は今もなお尽きない。将来、社会に出て再びこのようの多くの人に迷惑をかけることないような刑、死刑にしてほしい」と述べています。そして2審では「矯正の余地がなし」として死刑判決が出ます。
その後、昭和40年代日本で銃規制が進んでいく事となり、 少年ライフル魔事件もそのきっかけの一つとされています。
1965年 渋谷 少年ライフル魔事件
1968年永山則夫連続射殺事件
1968年 金嬉老事件
1970年 瀬戸内シージャック事件
1972年 あさま山荘事件
銃を使って犯行に及んだ主な事件です。
まとめ
銃の事件だけではなく、未成年者が殺人事件を起こすような社会でなくなればいいと思う反面、親であれば自分の子供にどう社会を学ばせていくか、どう生きていくのか、時代が変わっても大きな問題で一番大切なことではないかとこの事件を知って思いました。