もはや伝説!高視聴率だったクイズ番組たち

もはや伝説!高視聴率だったクイズ番組たち

今と違って各部屋にテレビがなかった頃、家族そろってクイズ番組をみんなで答え合うのが一家団欒でした。そんな家族の絆を強固なものにした伝説的高視聴率クイズ番組をプレイバックしてみましょう。


もはや伝説!高視聴率だったクイズ番組たち

今と違って各部屋にテレビがなかった頃、家族そろってクイズ番組をみんなで答え合うのが一家団欒でした。意外とお父さんが知識があると感心したり、みんなで夢中になったものです。
そこで、そんな家族の絆を強固なものにした伝説的クイズ番組をプレイバックしてみましょう。
一瞬、見ただけで少年時代、少女時代にタイムスリップしてしまいますよ!

アメリカ横断ウルトラクイズ

予選を突破した人が、皆でアメリカに行ってしまうと言う、まさにバブル期だからできたクイズ番組。「ニューヨークに行きたいかぁ!」は流行語にもなった。「〇×落とし穴クイズ」などはこの番組が発祥では!?
敗退した人が徳光アナに憂さ晴らしをするシーンも名物だった。

クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!

故逸見アナの名司会ぶりが際立ったクイズ番組。
世界中の商売をテーマに、トークを混ぜながらクイズが大流行りだった。
「さぁみんなで考えよう!」や、
「横取り40万」などお馴染みとなったフレーズも多数!

クイズ年の差なんて

「ヤングチーム」と「アダルトチーム」に分かれて、世代間のギャップをクイズで楽しむ番組。桂三枝(現・桂分枝)司会。
ヤングチームのレギュラーとして、坂上忍や中山秀征、森口博子などがいるあたりは、やはり時代を感じる。
もし、今の時代にこの番組をやったら、あまりにも若者文化がぶっとんでいてクイズにならない気がする…。

『クイズ!年の差なんて』(クイズ としのさなんて)は、1988年10月26日から1994年9月8日までフジテレビ系列局で放送されたフジテレビ製作のクイズ番組である。 元々三枝が朝日放送(ABCテレビ)で出演していた「ナイトinナイト」の火曜日の企画「おっちゃんVSギャル」というクイズバラエティーが基礎となった企画で、同コーナーの成功を受けてこれとほぼ同じような趣旨のクイズ番組をフジテレビに持ち込んだものだった。 出演芸能人がアダルトチームとヤングチームに分かれて解答をする。アダルトチームには常識であってヤングチームには知られていない問題、逆にヤングには常識でアダルトが知らない問題を交互に解答し、その「常識」の違いを楽しむということをテーマとした番組である。現代・過去の世相、風俗、流行をクイズ形式で紹介するものでもある。 番組開始当初は水曜日の30分枠だったが、人気が上昇し、高視聴率をキープしたため、1990年10月に木曜日の1時間枠に移った。1990年頃から1993年の夏頃までは20%を超える高視聴率をキープ、当時の女子高生たちが使いやすい言葉遊び形式のクイズを取り入れていたことなどから、ティーンエイジャーの流行語を生み出した。「アウトオブガンチュウ」、「バッチグー」や、言葉の略語など。 また、木曜に移行してからは「ナイター中継」があった場合のみ30分の短縮版を放送(この場合クイズVTR開始前のタイトルコールで三枝が「サーティー」を付け足していた。スポンサーは従来の半分程度となる)。中止の場合は1時間での放送(1994年度は休止した)。 1993年10月のリニューアルから、1年後の1994年9月8日の2時間スペシャルをもって終了した。 レギュラー放送の終了後、1996年4月4日に『クイズ!年の差なんて ガンガンスペシャル』が放送された。2006年6月13日には『カスペ!』にて藤井隆・MEGUMIの司会で『クイズ!年の差なんて 2006スペシャル』として10年ぶりに復活した。また、2007年2月13日にはフジテレビ制作の映画『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』の公開記念として『クイズ!年の差なんて バブルへGO!!スペシャル』と題して放送された。それ以降は番組の放送はないが、フジテレビONEの番組『アイドリング!!!』内の企画で「クイズ!年の差なんてごっこ」が放送されている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%82%BA!%E5%B9%B4%E3%81%AE%E5%B7%AE%E3%81%AA%E3%82%93%E3%81%A6

クイズ!年の差なんて - Wikipedia

クイズ100人に聞きました

100人に聞いたアンケート結果ベスト9を当てる関口宏司会のクイズ番組。今でもアンケートクイズはありますが、素人同士の戦いというのは今では厳しいのかも!?
答えに対して応援者が「ある!ある!」というのが定番の掛け声だった!
最後にハワイ行のクイズによって家族何人が行けるか決まるが、行けなかった人が振る「見送り」の旗は何とも言えずシュール

マジカル頭脳パワー!!

今で言う「脳トレ」的なクイズ番組!
「マジカルバナナ」や「あるなしクイズ」など学校内でも大ブームとなった定番クイズを次々と生み出していた。
司会が板東英二、解答者に所ジョージや俵孝太郎という異色なメンバーも凄かった。

クイズダービー

伝説的クイズ番組と言えば、コレ!と言う人も多いでしょう。大橋巨泉司会の競馬のように解答者に倍率があり、正解する解答者を当てるクイズ番組。
驚異的な正解率を誇る「はらたいらに3000点」や、3択問題に強い「3択の女王・竹下景子」などお馴染みのフレーズも多数生まれた。

『クイズダービー』(英称:Quiz Derby)は、毎週土曜日の19:30 - 20:00(JST)にTBS系列で放送されていた、ロート製薬一社提供のクイズ番組である。初回は1976年1月3日、最終回は1992年12月19日で、全862回放送された。 出場者が解答者の中から正解すると思う解答者1人に自分の持ち点を賭けて、得点を増やしていく競馬形式のクイズ・ゲーム番組である。言い換えると、誰が正解するかを予想するクイズ番組である。 元々この枠では、大橋巨泉の司会で、同じくロート製薬の一社提供番組だった『お笑い頭の体操』が1968年2月から1975年12月まで放送されていたが、リニューアルされる事になり、この時に巨泉の競馬好きから、かつて巨泉がカナダで見たクイズ解答者を馬に見立て賭けを行い高得点を競う競馬形式のクイズ番組『セレブリティ・ステークス』を模倣した番組が企画された(詳細はルールの変遷を参照)。その『セレブリティ・ステークス』は巨泉の話によれば「非常に短命で、1年も続かなかった」というが、この番組はルールはもとより、司会者と解答者とのやりとり、ギャンブルのスリルを味わえる事が受けて人気番組になった。なお、巨泉が自らの趣味を番組の内容に反映させた例としては、毎日放送(MBS)の『世界まるごとHOWマッチ』(1983年〜1990年)でゴルフのルールが取り入れられていた事等がある。 最高視聴率は1979年6月30日に記録した40.8%(関東地区)で、ビデオリサーチ調べのクイズ・ゲーム部門ではNHK総合テレビ『クイズ面白ゼミナール』が記録した42.2%に次ぐ高視聴率であり、民放に限れば第1位の視聴率である[2][3]。又、クイズ番組では初めて視聴率40%以上を記録した番組でもある。安定した高視聴率を獲得出来た背景には「お化け番組」と呼ばれる程の高視聴率を誇った『8時だョ!全員集合』の前座という時間帯といった背景が存在した。 CMなどを除いた番組放送時間は24分であったが、収録は25分までで、「撮って出し」の手法が使われた[4]。 出場にあたってはハガキではなく、封書に2人の写真と簡単な自己紹介文を添えてTBSテレビ宛に応募する事が条件で、その旨を記したテロップが1問目あるいは6問目(音楽問題)のシンキングタイムBGMを流している最中か、巨泉時代のエンディングCM明けにも表示されていた。 クイズ番組としては珍しく、TBSの音声多重放送開始当初である1978年11月25日放送分よりステレオ放送となった。TBSのテレビ番組、かつテレビのクイズ番組としてもおそらく世界初のステレオ放送番組とされている。また、1990年以降はクリアビジョン放送もされていた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%82%BA%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%BC

クイズダービー - Wikipedia

お笑いウルトラクイズ

上記の「ウルトラクイズ」とは名前は似ているもののテイストは全く違うくだらなさMAXのクイズ番組。ただ共通することは、今のテレビ業界では絶対にやれないような企画ばかりということ。
これぞお笑い芸人だ!という体を張った芸がもはや名人級!
「人間性クイズ」は爆笑ながらもちょっぴり感動もしてしまうハートフル企画。

いかがでしたでしょうか?当時のテレビ番組は面白かったなぁ…なんて思っちゃいますよね!また、家族みんなで観られる、翌日学校で話題になるような伝説的クイズ番組が出て欲しいものですね。

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