1998年、マグナス・サミュエルソン(Magnus Samuelsson)
マグナス・サミュエルソン(Magnus Samuelsson)は、スウェーデンの農家。
幼少時より農作業で鍛え
200cm
150kg
という肉体になった。
現在も私生活は専業農家。
1995年、ワールドストロンゲストコンテストに初出場。
アームレスリングでオーストラリアのレスラー、ネイサン・ジョーンズの腕を折った。
1998年、ワールドストロンゲストマンコンテストで優勝。
1995~2007年の13年間でワールドストロンゲストマンの決勝に10回進出し、5回表彰台。
2008年、決勝戦に出場できず引退。
ベンチプレス 300kg
スクワット 370kg
デッドリフト 375kg
フロントスクワット 250kg×10
アームカール 140kg×3
特に握力は驚異的で、CoCグリッパー(キャプテンズ・オブ・クラッシュ・グリッパーズ)のNo.4(165kg)を閉じることができる。
キャプテンズ・オブ・クラッシュ・グリッパーズは、アメリカのアイアンマインド社が販売している世界的な握力ハンドグリッパー。
強度は
ガイド 27kg
スポーツ 36kg
トレーナー 45kg
No.0.5 54kg
No.1 63kg
No.1.5 75kg
No.2 88kg
No.2.5 108kg)
No.3 127kg
No.3.5 146kg
No.4 165kg
の11強度。
アイアンマインド社は、No.3以上を閉じた人に対して認定を行っている。
世界で100人以上、日本で7人がNo.3を閉じて認定された。
No.4の初認定は、体重75kgのジョー・キニー。
マグナス・サミュエルソンは、2004年に世界で5名しかいない認定者の1人となった。
1999年、ヨウコ・アホラ(Jouko Ahola)が2回目の優勝
2000年、ヤンネ・ヴィルタネン(Janne Virtanen)
ヤンネ・ヴィルタネン(Janne Virtanen)は、アマチュアレスリングのフィンランド代表だった。
1999年、ストロンゲストマンに挑戦を開始。
2000年、優勝。
その後もワールドストロンゲストマンコンテストの常連だったが、2007年、2年連続で予選落ちした後、引退。
フィンランドで大工さんとなった。
197cm
130kg
デッドリフト 365kg
2001年 スヴェン・カールセン(Svend Karlsen)
スヴェン・カールセン(Svend Karlsen)
ニックネームは「バイキングパワー」
パワーリフターとして、30のノルウェー記録、3つのヨーロッパの記録、1つの世界記録。
その後、ボディービルを追求。
国内チャンピオンとなり、世界大会でも2位になると、ボディービルのメッカであるカリフォルニアに移住。
1996年、ストロンゲストマンに初出場し、予選落ち。
1997年、決勝に進出するも、スクワット競技のウォームアップ中に、ハムストリングを断裂。
1998年、不出場。
1999年、3位。
2000年、2位。
2001年、ようやく優勝。
ベンチプレス 260kg
スクワット 400kg
デッドリフト 412.5kg
スヴェン・カールセン自身は、自らの最高のトレーニング記録を
デッドリフト 400kg×3
だといっている。
2002年、2003年、マリウス・プッツナウスキー(Mariusz Pudzianowski)
マリウス・プッツナウスキー(Mariusz Pudzianowski)
186cm
130kg
190cm以上が当たり前のワールドストロンゲストマンコンテストで5回優勝した、小さくて巨大な筋肉の塊。
ベンチプレス 290kg
スクワット 380kg
デッドリフト 415kg
ニックネームは
「ドミネーター(Dominator)」
「スーパーマリウシュ(Super Mariusz)」
「パイソン(Pyton)」
「プジラ(Pudzilla)」
ポーランドのビャワラフスカ(ポーランド中部、ウッチ県ラワ郡の村)生まれ。
父、ウォジチェは、重量挙げ選手。
11歳、極真空手の修行を開始
(現在4級、緑帯)13歳、ウエイトトレーニング開始。
15歳、ボクシング
(7年継続)
16歳、ベンチプレス、160㎏。
18歳、ベンチプレス、205㎏。
1999年、ポーランドで開催されたストロングマンコンテストに出場。
2000年、ワールドストロングマンコンテストで4位。
暴行罪で19ヵ月間、ウォビチ刑務所に服役。
「18歳の少年を虐待している地元のマフィアのボスを止めたかった」
というが、相手は、暴行を受け、ゴールドのチェーンを盗まれたと主張した。
2001年、服役のため、出場できなかったが、
2002年、ワールドストロングマンコンテストで初優勝。
2003年、2連覇。
2004年、3位に終わった後、ドーピング違反で失格。
賞金は返還。
1年間の出場禁止。
2005年、3度目の優勝。
2006年、2位。
2007年、4度目の優勝。
2008年、5度目の優勝(史上初)
2009年、2位になった後、ストロンゲストマンは引退し、総合格闘技に挑戦することを表明。
2009年12月11日、ポーランドの格闘技イベント「KSW 12」で格闘家デビュー。
いきなりメインイベンターだった。
試合前、
「Lewarękaniesiezasobąśmierć、prawejsamsięboję.
(左手は死をもたらし、右手は私でさえ恐れている」
といっていたパンチをMarcin Najmanにヒットさせ、43秒で勝利した。
2004年 バジル・ヴィラステュク(Vasyl Virastyuk)
バジル・ヴィラステュク(Vasyl Virastyuk、ウクライナ語:ВасильВірастюк)
190.5cm
145kg
10歳で陸上競技を開始し、体育大学を卒業後、2年間、ウクライナ軍に入った。
1994年、砲丸投げで欧州選手権の銅メダル。
以後、スポーツ協会で陸上競技のコーチとして、またウクライナ代表としての活動。
2000年、警備員として働きながら、ストロンゲストマンに専念。
2002年、中央ヨーロッパのストロンゲストマンコンテストで3位。
2003年、ワールドストロンゲストマンコンテストで、マリウスプッツアノフスキー、ズルーネスザビッカスに次いで3位。
2004年、ワールドストロンゲストマンコンテスト、優勝。
2007年、製薬会社の従業員、インナと再婚。
2008年、次男、オレグが誕生。
2013年、映画「Ivan Sila」に出演。
2015年、国境警備隊の検査官としてリヴィウ空港で勤務。
2021年、選挙で当選し政治家になった。
所属は「国民の僕(しもべ)党」
モットーは「強くて誠実であること」
2005年、マリウス・プッツナウスキー(Mariusz Pudzianowski)が3回目の優勝
2006年、フィル・フィスター(Phil Pfister)
フィル・フィスター(Phil Pfister)
198cm
170kg
ワールドストロンゲストマンでは1998年4位、2001年4位というフィル・フィスターが、前年度チャンピオンのマリウス・プッツナウスキーと激闘を繰り広げた。
2006年9月14~23日、世界各地で行われた予選を通過した25人が5つのグループに分かれ、6つの競技に挑戦。
各競技で
1位 5ポイント
2位 4ポイント
3位 3ポイント
4位 2ポイント
5位 1ポイント
複数が同じ結果だった場合 ハーフポイント
競技に参加しなかった場合 0ポイント
が与えられ、すべての競技のポイントが集計され、最も多くポイントを獲得した2人が決勝進出。
決勝に進んだ10名には7つの競技が用意され、予選を含め、最も多くのポイントを獲得した者が世界最強の男となる。
決勝は3日間にわたって行われた。
初日、
前年、3回目の優勝を果たしたマリウス・プッツアノフスキーが順調にポイントを伸ばし、1位(28.5ポイント)
フィル・フィスター(Phil Pfister)は、誰も2つ以上を持ち上げることができなかったオーバーヘッドストーンリフトで、4つのストーンすべて持ち上げ、3位(21ポイント)
2日目、
フィル・フィスター(Phil Pfister)は、フィンガルフィンガーズ(砂浜に置かれた3.5~5.5m、200~300kgの5本の木を垂直に持ち上げてひっくり返していく)で31.92秒の世界記録。
バスプルでは、10人のファイナリスト全員がコースアウトできなかったが、フィル・フィスター(Phil Pfister)は、マリウス・プッツアノフスキーより12cm遠くまで引っ張り、優勝。
2日目を終えた時点で、1位はマリウス・プッツアノフスキー(42.5ポイント)、2位はフィル・フィスター(41ポイント)
3日目、
マリウス・プッツアノフスキーは、カーウォークで27.4秒という好タイムを記録したが、フィル・フィスターは、それより0.5秒速くフィニッシュ。
アトラスストーンズでは、4番目のストーンまでマリウス・プッツアノフスキーがリード。
しかしフィル・フィスターは、最後の石に追いつき、ほんの一瞬先に石をプラットホームに置いた。
マリウス・プッツアノフスキーは唖然とし、勝利の雄叫びを放つフィル・フィスターに嫌悪感をあらわにして立ち去っていった。
最終的にフィル・フィスターが61ポイントで優勝。
マリウス・プッツアノフスキーは57.5ポイントで2位に終わった。
2007年、2008年、マリウス・プッツナウスキー(Mariusz Pudzianowski)が4回目、5回目の優勝
2009年、2010年 ズルーネス・ザビッカス(Žydrūnas Savickas)
ズルーネス・ザビッカス(Žydrūnas Savickas)
198cm
170kg。
ニックネームは「Big Z」
14歳のときTVでリトアニアのストロングマンコンテストをみて興味を持った。
17歳でパワーリフティングトレーニングを開始し、2回目の試合で、すべての国内記録を更新。
そしてリトアニアのストロングマンコンテストに参加し優勝。
TVで観た3年後のことだった。
以後、同大会を16回優勝。
1998年と2000年、ワールドストロンゲストマンにの出場したが、どちらも決勝戦に出場できなかった。
しかしパワーリフティングの世界選手権で銀メダルを獲得。
2009年、ワールドストロンゲストマンで初優勝。
長年のガールフレンド、JurgitaSavickienėと結婚。
「ズルーネス・サヴィッカス–鉄の男」という伝記がリトアニアで出版。
2010、2012、2014年、合計4度、ワールドストロンゲストマンコンテスト優勝。
パワーリフティング
スクワット 410kg
ベンチプレス 250kg
デッドリフト 360kg
ジムレコード
スクワット 440kg×2 400kg×5
ベンチプレス 286kg×1 250kg×3
デッドリフト 447.5kg×1
スタンディングオーバーヘッドプレス 260kg×1 200kg×5
フロントスクワット 320kg×5
ログリフト 228kg
ハマータイヤデッドリフト 524kg
ヘビースーパーヨークウォーク 640kg 3.87秒
2011年、ブライアン・ショー(Brian Shaw)
ブライアン・ショー(Brian Shaw)
203cm
175~200kg
ニックネームは「鉄人28号」
アメリカ、コロラド州フォートラプトン生まれ。
高校、大学とバスケットボール。
スポーツで奨学金を受けながら健康管理の学位を取得。
バスケットボールをやりながら
「ウエイト(トレーニング)に夢中!」
でウエイトトレーニングルームは
「聖域!」
だった。
「私はいつもトレーニングを行うことができました。
最大のタイヤ、重い石・・・・
私はいつもそれを持ち上げることができました。
奇妙な強さ。
それが何であるのか。
重量挙げの強さではない。
それは野蛮な強さです」
2005年、デンバーのストロンゲストマンコンテストに参加し勝利し、キャリアをスタート。
2009年、カナダのストロンゲストマン「Fortissimus」に参加し、唯一、136〜193kgの6つのアトラスストーンを持ち上げ、3位。
2011、2013、2015、2016年と4度、ワールドストロンゲストマンコンテストで優勝。
ログプレス 211kg、タイヤデッドリフトは500Kg以上、18mの27tのバイキング船を傾斜コースで44.05秒で引っ張った正真正銘の怪物。
スクワット 410kg
ベンチプレス 240kg×2
デッドリフト 495 kg
2012年、ズルーネス・ザビッカス(Žydrūnas Savickas)が3回目の優勝
2013年、ブライアン・ショー(Brian Shaw)が2回目の優勝
2014年、ズルーネス・ザビッカス(Žydrūnas Savickas)が4回目の優勝
2015年、2016年、ブライアン・ショー(Brian Shaw)が3回目、4回目の優勝
2017年、エディ・ホール(Eddie Hall)
10代は競泳選手。
高校を15歳で追放され、整備士として働き始め、トレーニングを行いボディービルとストロングマンの試合に出場。
イギリスのストロンゲストマンコンテストで何度も優勝。
20kgのハンマーを持って、肘を伸ばした腕を地面と平行に保持し続ける「バイキングホールド」で、腕の腱を切りながら1分18秒というイギリス記録。
2015年12月、世界最強の男になるために努力している2年間を追ったドキュメンタリー映画「エディ:ストロングマン」が公開された。
2016年3月、エレファントバーデッドリフトで465kgを持ち上げ、アーノルドストロングマンクラシックの新世界記録を達成。
2016年7月、デッドリフトで500kgを持ち上げた後、一瞬、気絶。
自身の持つ465kgの世界記録を更新。
2017年、ワールドストロンゲストマンで初優勝。
ストラップとスーツを使用したデッドリフト 500kg
アクスルプレス– 216kg
ストラップ付きローグエレファントバーデッドリフト 465kg
ストラップ付きデッドリフト 463kg
ログリフト 213kg
スクワット 405kg×1、345kg×8、360kg×6
ベンチプレス 300kg×1、265kg×6、225kg×10
インクラインベンチプレス 225kg×7
インクラインダンベルプレス 100kg×7、90kg×10
ダンベルショルダープレス 60kg×40
デッドリフト450kg
レッグプレス 1000kg×10回
2018年、ハフソー・ユリウス・ビョルンソン(Hafþór Júlíus Björnsson)
元プロバスケットボール選手。
ニックネームは
「The Mountain」
「Thor(ソー、北欧神話の雷神トールの英語表記)」
2004年、父親が203cm、祖父が207cm、自身、205cmというハフソー・ユリウス・ビョルンソンは、プロバスケットボール選手となった。
2008年、20歳のとき、ケガのために他のスポーツへの転向を考え始め、同じアイスランド人でワールドストロンゲストマンで4度優勝しているマグヌス・ヴェル・マグヌッソンと出会った。
2010年以降、アイスランドストロンゲストマン、ヨーロッパストロンゲストマン、アーノルドストロングマンクラシックなど、数々のコンテストで優勝、あるいは上位入賞。
2015年、ノルウェーで開催された世界最強のバイキング大会で、10m、650kgの丸太を5歩運び、1000年前の記録を更新。
ワールドストロンゲストマンコンテストは2011年に初出場し6位。
以後、6回出場し、銅メダル3つと銀メダル3つ。
2017年、インタビューで、ステロイドを使用したことがあるかどうかを尋ねられ
「はい、私は持っています」
と答え
「最高になりたいとき、必要なことは何でもする」
とつけ加えた。
2018年、初優勝。
2020年、デッドリフトで501kgを挙げ、エディ・ホールの500kg(2016年)の世界記録を更新。
パワーリフティング
スクワット(ニーラップ) 440kg
ベンチプレス 250kg
デッドリフト 410kg
ジムレコード
スクワット 445kg
ベンチプレス 245kg
デッドリフト 501kg
ログプレス 213kg
タイヤデッドリフト 460kg
ログキャリー 650 kg×5ステップ
樽投げ 7.15m
樽投げ 16.35秒で8樽
デッドリフト 501kg
エレファントバーデッドリフト 480kg
2019年、マーティンス・リシス(Martins Licis)
ラトビア生まれのアメリカ育ち。
オリンピックの重量挙げに出場し彫刻家の祖父、イマンツ・リーシスに石の持ち上げを教えられたが最初のきっかけとなり、パーソナルトレーナーとなった。
2016年、MASレスリングワールドチャンピオン。
MASレスリングは、ロシア発祥のスポーツ。
スティックプル(棒引き)で、競技者は相手の前に座って、中央に置かれた長さ2m×30cmの板に足裏をつけ、長さ50cm、太さ33mmの木の棒(Mas)を両手で握り引っ張り合い、棒を離したり、体が板を越えたら負け。
コイントスに勝った方が、内側か外側、棒を握る位置を選択し、3回勝負で先に2勝した方が勝者となる。
同年、初のストロンゲストマンコンテストで6位。
2017年、2018年、ストロンゲストマンコンテスト4位。
2019年、ストロンゲストマンコンテストで優勝し、アーノルドストロングマンクラシックでも2位。
2021、「世界最強の男がリサイクルに取り組む」というタイトルのGeicoコマーシャルに出演。
2020年、オレクシイ・ノビコフ(Oleksii Novikov)
オレクシイ・ノビコフ(Oleksii Novikov、ウクライナ語:ОлексійНовіков)
185cm
135kg
2016~2019年、ウクライナ大会で優勝。
2019年、初めての世界大会は38位。
2020年、24歳で優勝。
100kgのジャイアントダンベルを片手で地面から頭上まで、60秒間で11回、挙上。
18インチデッドリフト(床からの一般的なデッドリフトではなく、ある程度の高さからデッドリフト) 537.5 kg
ハマータイヤデッドリフト 472kg
ログプレス 180kg×3
アトラスストーン 220kg×5