現在も最前線で活躍する俳優・舘ひろしさん
舘ひろしさんの経歴
高校は地元の県立学校に通い、ラグビー部の主将を務めていたそうです。卒業後は医者を目指したそうですが、医大の試験に落ち、その後、建築家になろうと千葉工業大学に入学されました。
1975年、バイクチーム『クールス』の選抜メンバーを集め、ロックバンド『クールス』を改めて結成。矢沢永吉さんや五大洋光さんなどの豪華メンバーが作曲に関わり、楽曲提供してくれた『紫のハイウェイ』で舘ひろしさんはとうとうメジャーデビューを飾ります。
続いて、映画『男組 少年刑務所』では初主演を飾り、この後も、東映制作で舘ひろしさんの主演作品が次々に制作されることになります。この時期の作品には暴走族のイメージが強く反映され、バイクチーム『クールス』の印象を引きずることに。
1981年、『西部警察』に再び登場。本編でハードボイルド系の刑事・タツは殉職していたため、別人の鳩村英次役として、『西部警察PARTⅢ』の最終回まで出演しました。この時期には石原プロモーションの所属となり、石原裕次郎さん・渡哲也さん、二人の映画スターを師として仰ぐようになります。
しかし、舘ひろしさんがリスペクトしていたのは渡哲也さんだといい、生まれ変わっても、渡哲也さんの舎弟になりたいと語るほどに渡哲也さんに心酔されていました。
近年では時代劇やコミカルな現代劇にも積極的に出演しており、俳優としての演技の幅も広げておられます。まだまだ舘ひろしさんの進化は止まらないようで、今後の活躍ぶりにも注目していきたいです。
舘ひろしさんと渡哲也さんとの逸話
当時はソファーに寝ころんだまま挨拶を済ませるような先輩俳優もいたほど。渡哲也さんの紳士的な対応に、舘ひろしさんは衝撃を受けたそうです。この出会いを通じて、舘ひろしさんは渡哲也さんに心酔するようになります。
舘ひろし「生まれ変わっても渡哲也さんの舎弟になる。父であり、兄であり、人生の師…」|芸能|婦人公論.jp
その後、舘ひろしさんは石原プロダクションに入社されますが、そこでも良い条件で所属できるよう、渡哲也さんは事務所内で根回しをしてくれました。
舘ひろしが振り返る石原プロ“豪快”伝説 渡哲也に傾倒した理由、裕次郎との間の“微妙な距離感”(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース
そして、社長である石原裕次郎さんよりも渡哲也さんをリスペクトしていた舘ひろしさん。
そのことで渡哲也さんも気を揉んだというから少し笑えてしまいますよね。
そんな渡哲也さんも78歳を迎えた2020年に肺炎のため、お亡くなりになっています。
ここまでリスペクトしていた舘ひろしさん。そのショックはさぞかし大きかっただろうと思われますが、輪をかけて、お通夜や告別式にも出席できなかったのだそうです。現在も渡哲也さんとの別れが受け入れられないといいますが、その背景には、強固な師弟関係や男同士の絆のようなものを感じます。なんだか素敵なご関係ですよね。