タモリとは?密室芸イグアナからタモリ倶楽部まで~タモさんを語ろう!

タモリとは?密室芸イグアナからタモリ倶楽部まで~タモさんを語ろう!

”ビートたけし”さん”明石家さんま”さんと共に日本のお笑い界ビッグ3の一角を担う”タモリ”さん。現在はMステやタモリ倶楽部の司会で活躍中ですが、初期の代表芸「イグアナ」覚えてますか?ここでは、タモさんが駆け出しの頃から現在までのお仕事を振り返りながら、タモさん大好き目線で”タモリ”さんを語ります。


タモリ プロフィール

福岡県福岡市に生まれた”タモリ”さん、ご本人曰く「子供の頃から大人びていた」そうです。
幼稚園入園のため見学に行った幼稚園で園児達がお遊戯している姿を見て「自分にはできない」と入園を拒否(笑)
小学校入学まで毎日、一日中坂道に立って人間観察をしていたとか・・・ホント!大人びているというか可愛げがないというかW
そして、毎日坂道を見ているうちに坂道好きになった”タモリ”さんは、2000年「坂道学会」を設立。あくまでも、坂道を愛好・研究する「自称」の学会ですが。

こう言った子供の頃からの他とは違う視点が、”タモリ”さんの中に脈々と流れているのですね。

小学生時代を振り返り「学校から帰ると暇でテレビゲームもなければ、習いごともなく、人を見ているか、坂道を見たり、船を見たり、(祖母の料理支度の見学は)暇つぶしにはもってこいだった。」(タモリさん談)
暇つぶしだったこれらの事すべてが、ヨットレースを開催したり料理がお得意だったり・・・と今に繋がっています。

「福岡県立筑紫丘高等学校」に入学した”タモリ”さんは、剣道部と吹奏楽部(トランペット担当)に入部。船の無線通信士に憧れアマチュア無線クラブにも所属していたそうです。その上、居合道場にも通い二段を取得されています。
この頃の”タモリ”さんの興味は果てしなかったのですね。

その中で一番「無線」に興味を惹かれたのでしょう。「電気通信大学」を目指した”タモリ”さんですが、受験に失敗し1年間の浪人生活を送った後 1965年に「早稲田大学第二文学部西洋哲学専修」へ入学。(大学2年次に仕送りされた学費を使い込み、授業料が払えなくなった為 学費未納で抹籍処分)

早稲田大学時代は、モダン・ジャズ研究会に在籍しトランペットを担当。やはりジャズもずっと”タモリ”さんの中にありますね。

大学を抹籍処分になった後もモダン・ジャズ研究会のマネージャー役を続け、かなりの収入を得ていた”タモリ”さんですが、祖母が亡くなったのをきっかけに叔父さんに福岡へ連れ戻されてしまいます。

きっと”タモリ”さんは東京に残りたかったのでしょうが、福岡へ戻った事でタモさん自身が”タモリ”を作った人と認める師匠との出会いに繋がっていきます。

赤塚不二夫氏との出会い

福岡へ連れ戻された”タモリ”さんは、半ば強制的に朝日生命の営業マンとして3年近く勤務し2歳年上の先輩社員だった現在の奥様と結婚されました。

”タモリ”さんご自身は「ベラベラしゃべるから信用されずダメだった。」と営業マン時代を語っておられましたが、いやいや中々に優秀な営業マンだったとの話です。

その後 旅行会社に転職し、系列の大分県日田市のボウリング場支配人に転属するもボーリングブームが去ると、喫茶店のマスター、ガードマンなど職を転々とされていたようです。

1972年 博多で”渡辺貞夫”さんのコンサートが開かれた際、コンサートスタッフに大学時代のジャズ仲間がいたことから、その友人が泊まっていたホテルを訪ねホテルで飲みながら話し込んでいたそうです。帰ろうと深夜に廊下を歩いていると、ドンチャン騒ぎをしている部屋があり何と!”タモリ”さんは乱入。この時 部屋に居たのはコンサートに同行していた「山下洋輔トリオ」の”山下洋輔”さん”中村誠一”さん”森山威男”さんだったのですが、すっかり意気投合して始発が出る時間までインチキ外国語の応酬などで盛り上がり騒いだそうです。

帰り際は「森田です。」とだけ名乗り去っていった”タモリ”さんに「ジャズの匂い」を感じた”山下洋輔”さんは、福岡市内のジャズバーに「モリタという名前の男を知らないか」と片っ端から問い合わせ探し当てたのです。
その後は遊び仲間となり「山下トリオ」が九州へいく際は遊んでいた”タモリ”さんですが、山下さんが行きつけのバーの常連仲間で「伝説の九州の男・森田を呼ぶ会」が結成され、会のカンパによって上京。
そこからは、月1回は上京して即興芸を披露するという福岡と東京の二重生活になると、「伝説の九州の男・森田」の噂が”赤塚不二夫”氏の耳に届き、運命の出会いを果たします。

「芸をもっと見たい。福岡に帰したくない」と考えた赤塚さんは必死だったのでしょう、普通では考えられないような提案をして”タモリ”さんの引きとめ作戦に成功しました。
・赤塚さんが住んでいた4LDKのマンションとベンツを自由に使っても良い。
・お小遣いとして月20~30万円支給

自分の住まいを”タモリ”さんに差し出した赤塚さんは、仕事場のロッカーを倒しそれに布団を敷いて寝場所を確保する生活を続けていたそうですが、その事情を知った後も”タモリ”さんは遠慮する事なく、赤塚さんのマンションに一人で住み続けたそうです。
当時の”タモリ”さんの居候の秘訣は「卑屈になるな」(笑)

そうして新宿ゴールデン街で赤塚さんや山下さんらと馬鹿騒ぎしながらネタを作る日々を送る中、「タモリを芸能界入りさせる!」という目標を叶えるべく「オフィス・ゴスミダ」なる事務所が立ち上げられました。
この辺りで福岡から奥様が呼び寄せられたようです。

「戦後最大の素人芸人」というキャッチフレーズの元 アイパッチ姿をトレードマークとするなど徐々にキャラクターが作り込まれていったのですが、その独特な芸風から中々 所属事務所が決まらず、放送作家の”高平哲郎”氏の紹介で大手芸能プロダクション「田辺エージェンシー」に所属が決まります。

”タモリ”さんは芸能界入りする時に自らルールを決められていました。(タモさんらしいですね。)

1.誰の弟子にもならない

2.組織には属さない

3.頭をなるべくさげずにカネをもうける

4.色紙にサインをするときは、名前の横に添えるモットーのようなものは持たない

1976年「空飛ぶモンティ・パイソン」で正式にメディアデビュー

正式なメディアデビューを果たすと、バラエティ番組「金曜10時!うわさのチャンネル!!」にもレギュラー出演。

デビュー当時のタモさんは、「イグアナの形態模写」に代表される体芸(密室芸とも呼ばれます。)、反知性を打ち出した「中洲産業大学教授」、デタラメ言語「ハナモゲラ」などで他の芸人さんとは一線を画していて、特に「イグアナ」は気持ち悪がられていました。

密室芸というのは「外で公開できない芸」のことです。

上京した当初の”タモリ”さんは、持ちネタが「北京放送」や「形態模写」くらいしかなかったのですが、仲間うちで芸を披露する際の無茶ぶりに答えるうち「密室芸」が確立されていきます。

大爆笑ものなのですがテレビ的にはNGが多く、テレビで放送する際は差し障りのないように表現を緩やかにされていたそうです。

そして、この「密室芸」が”黒柳徹子”さんの目にとまります。

<徹子の部屋>に出演「黒柳さんは恩人」

この時に披露した”タモリ”さんの「密室芸」が黒柳さんを虜にし?(笑)翌年からは年末最後のゲスト出演が恒例となりました。

2020年9月22日放送の「プロフェッショナル 仕事の流儀」は黒柳徹子”さんの密着取材だったのですが、その中で黒柳さんと親交が深い”タモリ”さんがインタビューを受けられ黒柳さんに感謝の言葉を述べられています。

大胆というか、あんな正攻法な方でありながら、僕みたいな異端の異端の人間を即座に出してくれるっていうのは…。だからあれはインパクトが世間に大きかったですよね。恩人なんですね。

1981年~今夜は最高!

”タモリ”さんは、1980年代に入ると「密室芸」を徐々に封印し司会業へ進出。

「今夜は最高!」は自身2つ目となる冠番組で、夜の番組の芸人というイメージながらインテリ芸人の部分も持ち合わせファン層を拡大していきます。
「今夜は最高!」 深夜番組なのに豪華でした。それ以上にタモさんの醸し出す雰囲気が番組のクオリティを上げていたように感じます。

ゲストが歌うコーナーがあり歌い終えたゲストの「ところで○○さん、今のご気分は?」を受けて、ゲストが「今夜は最高!」と答えるのが定番でしたね。

1982年~森田一義アワー 笑っていいとも!

ご紹介するまでもなく、お昼の顔として31年半続いた”タモリ”さん司会の番組です。

当時フジテレビのプロデューサーだった故”横澤彪”氏が、夜の顔だった”タモリ”さんを昼の帯番組に起用するという発案が当たり、放送開始時こそ低迷したものの「25年連続同時間帯視聴率首位記録」を獲得しています。

基本的に、オープニング → 日替わりコーナー① → テレフォンショッキング → 日替わりコーナー② → 日替わりコーナー③ → 曜日対抗いいともCUP → エンディングという構成になっていてましたが、「 テレフォンショッキング 」のコーナーでは芸能人の交友関係を知るのが楽しみでしたし、「安産祈願」も覚えてますか?
タモさんはよく妊婦さんのゲストが来ると「安産祈願」と称してご祈祷し「安産マーク」(であるとタモさんが主張・・・笑)を授けて?(笑)いましたね。
実際 何が描かれていたかはお察し頂くとして、このコーナーに故”横山やすし”さんが来られた時に
タモリさんが描いた「安産マーク」を「お前何書いてるんや!」と奪ってそのままカメラに向けて突き出したという放送事故がありました。

あれもこれも懐かしい~!

この番組で”タモリ”さんは昼の顔となり、老若男女から親しまれる存在となりました。

「いいとも」が終了した時は、「いいともロス」や「タモロス」になる人が続出しましたね。

「(過去のレギュラー陣が座る客席側に向けて)すいません、立っていただいて。こんなに集まっていただいて、本当にありがとうございました。お忙しいなか、感謝します。出演者、スタッフのおかげで32年間、無事やることができまして、まだ感慨というのがない。ちょっとホッとしただけで。来週の火曜日くらいからくるんじゃないかと思います。  あしたもアルタに行かなければなりません、楽屋の整理がありますんで。私物がいっぱい置いてあります。皆さんのおかげで、ここまでくることができました。考えてみれば、(わたしは)気持ちの悪い男でしてね。こういう番組で以前の私の姿を見るのが大嫌いでしてね。気持ち悪い。濡れたしめじみたいな感じ。嫌~な、ヌメッとしたような感じで、いまだに自分の番組は観ません。  当時、ひねくれていまして、不遜で、生意気で、世の中なめ腐っていた。そのくせ、何もやったことがなかった。それが、亡くなった初代の横澤彪プロデューサーから(番組を)仰せつかりまして、だいたい3ヶ月くらいか半年くらいで終わると思っていたら、32年も続きまして。  生意気にやっていたんですが、長い間に、視聴者の皆さんはいろんなシチュエーション、いろんな状況、いろんな思いでずっと観てきていただいたのが、こっちに伝わりまして。私も変わりまして、何となくタレントとして形を成したということなんです。視聴者の皆さん方からたくさんの価値をつけていただき、みすぼらしい身にたくさんのきれいな衣装を着せていただきました。そして、きょうここで皆さんに直接お礼をいう機会をいただけたことを感謝します。32年間ありがとうございました。お世話になりました。」

https://www.oricon.co.jp/news/2035852/full/

【いいとも!超特大号】タモリ、最後のあいさつ全文 視聴者に強く感謝 | ORICON NEWS

1982年~タモリ倶楽部

司会のタモリとその日のゲスト3名から5名と軽いオープニングトークの後、ナレーションによってその日の企画内容(後述)が進められる。企画が始まるとたいていは、代表をしてテレビ朝日アナウンサーやゲスト1名が進行役となり、台本・手札・フリップなど使用して、本編(企画)を進めていく。 司会のタモリは聞き役に回る。番組開始当初は企画の本筋へ入っても司会のタモリ1人で司会進行を務め、ゲストが居た際にも行っていた。近年では、タモリは自ら進行役はイヤだと言う。『タモリ倶楽部』の番組タイトルに対して、タモリは「名義貸しで番組をやっている」と語る。 司会のタモリのシュールな芸風を尊重しているため、タモリらゲスト出演者のやる気のなさや収録の適当さを前面に出しているのも特徴のひとつである。あまりのやる気のなさ(主にオープニング場面)に時折、「やる気を出せ〜」とツッコむ進行役のお笑い芸人もいるが、タモリの「俺は名前を貸しているだけだ」「名義貸しだよ」という姿勢になったり、本人が好きな鉄道関連になると「番組のタイトルはなんて名前?」「俺の番組だ」などと権力を行使しし誰もツッコめず、結局何もなかったように番組が進行していく。 料理企画では、タモリが番組の流れを無視して一品料理をこさえたり、用意してあるアルコール類を飲酒してひとり上機嫌になる場面もみられる。 放送期間:1982年10月9日 - 1983年9月30日 放送時間:土曜日 0:10 - 0:40(金曜日深夜) 放送期間:1983年10月7日 - 1985年10月5日(第1期) 放送時間:土曜日 0:15 - 0:45(金曜日深夜) 放送期間:1985年10月12日 - 2000年4月1日 放送時間:土曜日 0:00 - 0:30(金曜日深夜) 放送期間:2000年4月8日 - 2001年9月29日 放送時間:土曜日 0:09 - 0:39(金曜日深夜) 放送期間:2001年10月6日 - 2009年9月26日(第2期) 放送時間:土曜日 0:15 - 0:45(金曜日深夜) 放送期間:2009年10月3日 - 現在 放送時間:土曜日 0:20 - 0:50(金曜日深夜)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%A2%E3%83%AA%E5%80%B6%E6%A5%BD%E9%83%A8

タモリ倶楽部 - Wikipedia

お昼の顔として登場した「笑っていいとも」の放送開始から、何と5日後に始まった「タモリ倶楽部」こちらも30年以上続く長寿番組になり、現在”タモリ”さんの代表的な番組になっています。

この 昼夜同時期放送開始については、タモさんが所属する「田辺エージェンシー」社長の後押しがあったと言われています。
田邊社長はタモさんのシュールな芸風がお気に入りで、昼の顔となったタモさんの才能が薄れていく事を危惧し、”タモリ”さんの才能を守るために「タモリ倶楽部」を企画したという事です。

大正解ですね!(笑)
適当にゆる~くタモさんが好きな事をして遊んでいる感じの番組になっていますが、そこは知性がある”タモリ”さんですから、ダラダラした感じはなく視聴者を魅了しています。

タモさんが楽しそうなのが、観ていて嬉しくなります♪

1987年~「ミュージックステーション」のメイン司会

「笑っていいとも」で司会の腕を磨きお昼の顔として親しまれるようになった”タモリ”さんは、1983年には「第34回NHK紅白歌合戦」の総合司会に抜擢されます。
NHKのアナウンサー以外の人物が総合司会を務めるのは史上初の快挙であり、この時の”タモリ”さんはまだキャリア8年。

そして、1987年 4月から音楽番組「ミュージックステーション」の2代目メイン司会者に就任。

「Mステ」の2代目司会者への就任を打診された時、タモさんは「タモリ倶楽部があるし、私じゃなくてもいいんじゃないですか」 と答えられたそうです。
ゴールデンタイムの番組へのお誘いなのに、何と欲のない方です。

音楽番組の司会なので、メインは出演アーティスト。
”タモリ”さんの出過ぎず冷た過ぎず程よい距離感でのアーティストとのトークは観ていて安心感があります。

元来「ジャズマン」のタモさんですから、アイドル達も出演する音楽番組には戸惑いもあったそうですが、どんなジャンルのアーティストとも馴染んでトークされていますね。

2008年~ブラタモリ

街歩きを趣味とするタモリが、江戸時代・明治時代などの古地図を手に、実際に東京都区内・横浜市(関東近郊)や日本各地・地方など毎週、街を散策。その街に古くから残る、建造物・神社・公園・坂道・通り・観光スポット・飲食店・駅・川・橋などをタモリ独自の視点で楽しみながら、現代の街並みに残る《歴史の痕跡》を発見。街の変化のいきさつを空想・推測し、地理学・地質学的な側面を掘り下げ、その街のエピソードを探る。その場所の歴史を味わいつつ、独自の視点・目線でユニークな街歩きを展開し、同時にタモリ独特の軽妙なトークも味わうという“探検・散歩番組”である。 ■パイロット版(2008年) 放送期間:2008年12月14日 放送時間:日曜 0:20 - 1:03 ■レギュラー版(第1シリーズ) 放送期間:2009年10月1日 - 2010年3月11日 放送時間:木曜 22:00 - 22:43 ■レギュラー版(第2シリーズ) 放送期間:2010年10月7日 - 2011年3月31日 放送時間:木曜 22:00 - 22:48 ■レギュラー版(第3シリーズ) 放送期間:2011年11月10日 - 2012年4月5日 放送時間:木曜 22:00 - 22:48 ■パイロット版(2015年) 放送期間:2015年1月6日 放送時間:火曜 20:00 - 20:43 ■レギュラー版(第4シリーズ) 放送期間:2015年4月11日 - 現在 放送時間:土曜 19:30 - 20:15

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%BF%E3%83%A2%E3%83%AA

ブラタモリ - Wikipedia

”タモリ”さんと女子アナが地方に行ってその土地を巡る「ブラタモリ」
こちらも「タモリ倶楽部」同様にタモさんが楽しめる番組ですね。

自分では行ったことのない街や歴史が知れて、タモさんのユニークな視点での掘り下げにいつも興味津々です。

そして「ブラタモリ」は研究者の方達にもファンが多いようです。

『ブラタモリ』を学者たちが「奇跡の番組」と絶賛する理由(尾方 隆幸) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

それで、タモリとは?

「ああいうタイプの人というのは、過去だれかいましたか。いたでしょうかね。ああいうの。いや、お笑いタレントというのでもない。『芸人』という感じでもないね。なんだろうね、あれは」  (作家・吉行淳之介氏談)

”タモリ”さんのお仕事やエピソードを振り返り感じた事は・・・

人生で無駄な経験はない。

好きこそ物の上手なれ。

気負わず自然体で生きればいい。

常識的だから常識を破った時に面白い。

何だか楽しそう。



タモさんから学ぶ事は多いのですが、「タモリとは?」一言では語れないですね!



最後までおつき合い頂きありがとうございました。

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