2020年9月22日放送の「プロフェッショナル 仕事の流儀」は黒柳徹子”さんの密着取材だったのですが、その中で黒柳さんと親交が深い”タモリ”さんがインタビューを受けられ黒柳さんに感謝の言葉を述べられています。
大胆というか、あんな正攻法な方でありながら、僕みたいな異端の異端の人間を即座に出してくれるっていうのは…。だからあれはインパクトが世間に大きかったですよね。恩人なんですね。
1981年~今夜は最高!
今夜は最高! - Wikipedia
”タモリ”さんは、1980年代に入ると「密室芸」を徐々に封印し司会業へ進出。
「今夜は最高!」は自身2つ目となる冠番組で、夜の番組の芸人というイメージながらインテリ芸人の部分も持ち合わせファン層を拡大していきます。
「今夜は最高!」 深夜番組なのに豪華でした。それ以上にタモさんの醸し出す雰囲気が番組のクオリティを上げていたように感じます。
ゲストが歌うコーナーがあり歌い終えたゲストの「ところで○○さん、今のご気分は?」を受けて、ゲストが「今夜は最高!」と答えるのが定番でしたね。
1982年~森田一義アワー 笑っていいとも!
ご紹介するまでもなく、お昼の顔として31年半続いた”タモリ”さん司会の番組です。
当時フジテレビのプロデューサーだった故”横澤彪”氏が、夜の顔だった”タモリ”さんを昼の帯番組に起用するという発案が当たり、放送開始時こそ低迷したものの「25年連続同時間帯視聴率首位記録」を獲得しています。
基本的に、オープニング → 日替わりコーナー① → テレフォンショッキング → 日替わりコーナー② → 日替わりコーナー③ → 曜日対抗いいともCUP → エンディングという構成になっていてましたが、「 テレフォンショッキング 」のコーナーでは芸能人の交友関係を知るのが楽しみでしたし、「安産祈願」も覚えてますか?
タモさんはよく妊婦さんのゲストが来ると「安産祈願」と称してご祈祷し「安産マーク」(であるとタモさんが主張・・・笑)を授けて?(笑)いましたね。
実際  何が描かれていたかはお察し頂くとして、このコーナーに故”横山やすし”さんが来られた時に
タモリさんが描いた「安産マーク」を「お前何書いてるんや!」と奪ってそのままカメラに向けて突き出したという放送事故がありました。
あれもこれも懐かしい~!
この番組で”タモリ”さんは昼の顔となり、老若男女から親しまれる存在となりました。
「いいとも」が終了した時は、「いいともロス」や「タモロス」になる人が続出しましたね。
【いいとも!超特大号】タモリ、最後のあいさつ全文 視聴者に強く感謝 | ORICON NEWS
1982年~タモリ倶楽部
 
  	お昼の顔として登場した「笑っていいとも」の放送開始から、何と5日後に始まった「タモリ倶楽部」こちらも30年以上続く長寿番組になり、現在”タモリ”さんの代表的な番組になっています。
この 昼夜同時期放送開始については、タモさんが所属する「田辺エージェンシー」社長の後押しがあったと言われています。
田邊社長はタモさんのシュールな芸風がお気に入りで、昼の顔となったタモさんの才能が薄れていく事を危惧し、”タモリ”さんの才能を守るために「タモリ倶楽部」を企画したという事です。
大正解ですね!(笑)
適当にゆる~くタモさんが好きな事をして遊んでいる感じの番組になっていますが、そこは知性がある”タモリ”さんですから、ダラダラした感じはなく視聴者を魅了しています。
タモさんが楽しそうなのが、観ていて嬉しくなります♪
1987年~「ミュージックステーション」のメイン司会
「笑っていいとも」で司会の腕を磨きお昼の顔として親しまれるようになった”タモリ”さんは、1983年には「第34回NHK紅白歌合戦」の総合司会に抜擢されます。
NHKのアナウンサー以外の人物が総合司会を務めるのは史上初の快挙であり、この時の”タモリ”さんはまだキャリア8年。
そして、1987年 4月から音楽番組「ミュージックステーション」の2代目メイン司会者に就任。
「Mステ」の2代目司会者への就任を打診された時、タモさんは「タモリ倶楽部があるし、私じゃなくてもいいんじゃないですか」 と答えられたそうです。
ゴールデンタイムの番組へのお誘いなのに、何と欲のない方です。
音楽番組の司会なので、メインは出演アーティスト。
”タモリ”さんの出過ぎず冷た過ぎず程よい距離感でのアーティストとのトークは観ていて安心感があります。
元来「ジャズマン」のタモさんですから、アイドル達も出演する音楽番組には戸惑いもあったそうですが、どんなジャンルのアーティストとも馴染んでトークされていますね。
 
     
    




