「石原プロモーション」が58年の歴史に幕を下ろす。
昭和を代表する俳優・石原裕次郎が設立した石原プロモーションが、58回目の創立記念日となる1月16日に事実上解散したことが明らかとなりました。
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同日行われた解散式では、舘ひろしが裕次郎と昨年8月に死去した渡哲也の写真の前に、石原プロモーションの商号看板を置き、石原プロの看板を二人に返還した旨を報告。このたびの解散に舘は「寂しい」としながらも「石原さんの大らかさ、渡さんの佇まいは自分の中に残っている」とし、石原軍団各メンバーの心の中には、二人の俳優魂がしっかりと引き継がれていることをアピールしていました。
なお今後の石原軍団の動向ですが、「21世紀の石原裕次郎を探せ!」グランプリの徳重聡らは既に他の事務所に移籍が決まっており、舘や神田正輝ら軍団の重鎮は独立した上で俳優活動を継続すると見られています。
石原プロが生み出したド派手なアクションを振り返る!!
昭和の芸能界を彩った、石原プロの作品の数々。中でも特筆すべきなのは、作中における「ド派手なアクション」ではないでしょうか。「『西部警察』では4600台以上の車を破壊した」といった、今では考えられない規模のアクションが、昭和のテレビ番組ならではの光景として記憶に残っている方も多いかと思います。ここでは、そんな石原プロのアクションについて軽く振り返っておきましょう。
『黒部の太陽』
まずご紹介するのは、1968年公開の日活映画「黒部の太陽」。石原プロが三船プロダクションとの共同で製作したもので、トンネル工事のシーンで使用された420トンもの水を流す出水シーンでは、思いのほか勢いが強く役者もスタッフも緊急避難するほどでした。しかし、カメラマンは見事にそのシーンを撮影しており、その迫真の映像により映画は高い評価を受けることとなりました。

『西部警察』
1979年から1984年にかけて3シリーズにわたり放送されたテレビドラマ「西部警察」。石原プロを代表するドラマであり、毎回のように行われる銃撃戦、カーチェイス、爆破シーンなどのアクションは観る者を熱狂の渦に巻き込みました。爆破シーンのあまりの多さから、制作費は膨大なものとなったものの、日産自動車をスポンサーに迎え入れ車の提供をしてもらうなどすることで、5年にも及ぶ放送を実現しました。


『大都会』
1976年から1979年にかけて放送されたテレビドラマ「大都会」。「西部警察」と並ぶ石原プロを代表する刑事ドラマであり、当初は視聴率が低迷していたものの第2シリーズ「大都会 PARTII」からはカースタント、銃撃戦を前面に押し出したアクションドラマへと方針を転換。その結果一躍人気ドラマの仲間入りを果たし、その後の「西部警察」でのド派手なアクションへと繋がっていきました。

上記の作品以外にも、「太平洋ひとりぼっち」「ゴキブリ刑事」など多数の作品を世に送り出し、そのすべてをヒットに導いてきた石原プロモーション。このたびの事実上の解散は寂しい限りですが、石原プロが生み出した作品の数々がこれからも語り継がれていくのは間違いないでしょう!
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