【訃報】1982年のW杯で得点王に輝いたパオロ・ロッシさん死去。
1982年に開催されたサッカーワールドカップ(W杯)・スペイン大会のイタリア代表で、同大会で得点王に輝いたパオロ・ロッシさんが9日、肺がんにより亡くなっていたことが明らかとなりました。64歳でした。
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ロッシさんは1956年、イタリア出身。1973年にプロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせ、ユヴェントス、ヴィチェンツァ、ACペルージャといったチームでFWとして活躍、1978年にはW杯アルゼンチン大会にイタリア代表として初出場を果たしました。さらに1982年のスペイン大会でも代表に召集され、6得点を挙げて得点王に輝きチームの優勝に貢献。その華奢な体格を活かし相手のマークを交わす華麗なプレーから「バンビーノ・デ・オーロ(黄金の子)」と呼ばれ、1982年にはバロンドールを受賞しました。
80年代~90年代における歴代のW杯得点王を振り返る!
1982年にロッシさんが獲得した、W杯の得点王。サッカー選手の中でも、ごく一部の選手しか辿り着くことの出来ない称号でもあります。ここでは、80年代から90年代にかけての得点王を見ていきましょう。
ゲーリー・リネカー(1986年)
1986年のメキシコ大会で得点王に輝いたゲーリー・リネカー。イングランド出身のFW (CF)で、フェアプレーに定評がありレッドカードはおろかイエローカードも貰ったことがないことで有名です。1992年から1994年にかけては、名古屋グランパスエイトに所属していました。

サルバトーレ・スキラッチ(1990年)
1990年のイタリア大会で得点王に輝いたサルバトーレ・スキラッチ。「トト」の愛称で知られたイタリア出身のFWで、1994年にはジュビロ磐田に入団。日本のJリーグでも活躍しました。

オレグ・サレンコ(1994年)
1994年のアメリカ大会で得点王に輝いたオレグ・サレンコ。ロシア出身のFWで、アメリカ大会では3戦目のカメルーン戦で5得点を記録し、これはワールドカップにおける1試合の最多得点記録となっています。

フリスト・ストイチコフ(1994年)
オレグ・サレンコとともに、1994年のアメリカ大会で得点王に輝いたフリスト・ストイチコフ。ブルガリア出身のFW/MFで、CSKAソフィア、FCバルセロナ、柏レイソルなどで活躍し、1994年にはW杯での功績からバロンドールを受賞しています。

ダボール・シュケル(1998年)
1998年のフランス大会で得点王に輝いたダボール・シュケル。ユーゴスラビア(クロアチア)出身のFWで、1990年から2002年にかけてユーゴスラビア・クロアチアの代表を務めました。また、1988年のソウルオリンピックにも出場。名古屋グランパスが獲得を目指したこともあります。

このように、錚々たる面々が並ぶW杯の得点王として80年代のサッカー界を牽引したロッシさんの功績は、これからも語り継がれていくことは間違いありません。ご冥福をお祈り申し上げます。
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