セックスに対する庶民の情熱の歴史がラブホテルにはある!? 日本の住宅事情が生み出した秘め事の歴史とは?
日本中に存在する「ラブホテル」って、よく考えたら不思議な場所だと思ったことはありませんか? そもそもラブホテルって名称からして怪しいし、まさに男と女がセックスをするためだけに行く場所そのものってイメージ。
もう名前からして生々しいと言うか淫靡な雰囲気を醸し出していて、ラブホテルの前を通るたびに、各部屋では様々な世代の男と女がセックスを繰り広げているのかと思うと、妙な気持ちになったりします。
近年はカラオケや女子会だったり、サラリーマンたちの休憩場所など、違う用途の使い方をするケースもあるようですが、それでもラブホテルってやっぱり淫靡なイメージ。
入る時なんて、ドキドキしながらそそくさと入り口に入ったり、部屋を決める電光掲示板のボタンを押し間違えたりしたり、部屋に入るまでのエレベーターの中で、なにを喋ればいいんだろうかとか、そんな記憶のある方も多いかと思います(ないか)。
そこで今回は、日本におけるラブホテルについてちょっと調べてみようと思います。このセックスをするための宿泊施設は、いつから、また何故できたのか? 淫靡な匂い漂う、男女のセックスに対する情熱と努力の歴史を振り返ってみましょう。
お茶屋の休憩所がラブホテルの起源? 江戸時代の住宅事情では秘め事ができなかった!?
歴史的に見ると、江戸時代あたりでは遊郭、茶屋などがラブホテルの機能を持っていたようで、その中でも遊郭は高級娼館として機能していました。庶民は茶屋などで逢引をしていた訳ですね。茶屋の休憩室の奥には布団が敷かれていて、コトをいたすことが出来たようです。これを「出会茶屋」と呼んでいました。
明治になると、出会茶屋は待合茶屋へと変貌します。待合(まちあい)とは、基本は待ち合わせや、会合のために場所を提供する貸席業(貸座席とも呼んだそうです)で、主に芸奴(げいぎ)との遊興や飲食を目的として利用されていたそうです。
江戸時代の出会茶屋は作りに凝っていたそうで、小さな四畳半程度の小座敷ながら、泊まり込みも大丈夫と謳ったのが大当たりしたそうです。明治になると待合と呼ばれる貸席業へと変貌したわけですね。これって、ラブホテルの原型って感じがしませんか。
このような流れで、明治時代の出会茶屋は待合茶屋、その後、待合という名称に変化していきました。待合は内密な打ち合わせや商談に利用される建前で作られたものですが、どうやら男女の愛瀬に使われていたのが実情だったみたいですね。
男女の逢瀬は今も昔も大変だった!? 青姦が一般的(?)だった庶民のために 休憩可能な格安宿がついに誕生!
当時の主な風俗は、待合、料亭、芸妓茶屋などが庶民に利用されていた遊びだったようで、これは「三業」と呼ばれる風俗業態だったそうです。関西などでは、置屋と貸席という「二業」と呼ばれていました。
お高い遊びだった料亭の芸妓遊びを庶民的にしたものが、待合茶屋、待合だったということなのでしょう。きっと売春も行われていたのだろうとは思いますが、そのうちお泊りもできるようになると、カップルが利用するようになって、これが今で言うラブホテルの原型になったということなのでしょう。
昭和初期になると、「円宿」という宿が流行りだします。これはまさに連れ込み宿。休憩もある料金体系は、宿泊2円、休憩1円。この料金システムによって「円宿」という名称になったと言われています。これは出会茶屋とは違って芸妓も飲食もなく、まさに泊まるだけの安宿です。円宿は日雇労働者や流れ者も利用しましたが、その多くはカップルだったと言っていいでしょう。
昔の日本では、いわゆる連れ込み宿的な男女がセックスをするような場所はほとんど無かったようで、もっぱら青姦(あおかん)が一般的だったそうです(笑)なんと開放的というか大胆というか。いったいどこでヤッてたんだよって気もしますが、日本人の住宅事情を考えると仕方なかったのかなって気もします。
庶民の一般的な住宅事情は現代とは違いとても悪くて、部屋は狭くお風呂もない長屋に住んでいるのが普通でした。夫婦の営み、カップルの逢瀬などはとても苦労していたようです。昔の日本人は青姦大好き!というのはさすがに言えないかもしれません。セックスをするのも苦労がいる時代だったってことなのでしょう(笑)
カップルが利用する簡易宿(連れ込み宿)は回転率が高く、繁盛するようになると、繁華街や郊外にも急増していきます。1960年初頭には3千軒弱ほどあったそうです。あまりにも連れ込み宿が儲かるものだから、残っていた遊郭や花街、貸し座敷も業務変換し、連れ込み宿に転業したり、一般旅館も改装して連れ込み宿になったりしたそうです。今でも「旅荘」って看板が出ている宿が残っていたりしますよね。あれも連れ込み宿という認識でいいのではないでしょうか。
高度経済成長期に日本人の性欲も高度性欲成長期に!? 生活に余裕が生まれた庶民たちのセックスパワーがラブホテルを生み出した!
ラブホテルという名称が一般的になるのは1960年代後半あたりからで、時代でいうと高度成長期が円熟期に入った頃。それなりに生活の余裕が生まれ始めた時代ですね。庶民もだんだんと遊ぶお金が使えるようになり、きっと性風俗や不倫、恋愛など、性に対してもお盛んになっていったってことなのでしょうか。
連れ込み宿(旅館)も日本経済が豊かになるに連れ変貌していきます。この頃にもなると、日本人も海外旅行に行く人が増えていきました。好調な経済とともに余暇を楽しむ余裕が生まれた日本では、さまざまな娯楽施設が増えていきます。ラブホテルもその流れに沿って、外国に憧れる人や、非現実的な世界を楽しみたい人、セックスの快楽に対して貪欲な人たちのニーズに答えるように変貌していきました。
和風旅館風が一般的だった建物は海外のイメージを取り入れ、お城のようなホテルになったり、船を形どったものだったり、電動ベッドや大きなプールのある部屋があったりと、部屋の内装にも凝りに凝りまくったものが作られるようになりました。

その流れの中でエポックメイキングなホテルが登場します。1973年、東京の目黒に「目黒エンペラー」というラブホテルが作られます。西洋の古城をイメージしたその作りは異様というか、ファンタジックというか、その景観に人々は驚かされました。ラブホテルは宣伝があまりできない業種です。そうなると、見た目で勝負して話題になるという戦略にせざるを得ない事情もあったのではないでしょうか。
目黒エンペラーは見事に当たり、テレビなどでも紹介されるなどして人気を博しました。この流れでラブホテルの過剰な演出志向に拍車がかかります。全国各地で派手でコンセプチュアルなラブホテルが建設されるようになりました。
ラブホテルの乱立で、ついに警察管轄となったラブホテル 風前の灯となるかと思いきや、性欲の力は偉大だった!?
しかし、この流れも法改正によって変化せざるを得なくなります。風営法の改正で、それまでラブホテルは一般のホテルや旅館と同じ旅館業法で規定されていたのですが、「店舗型性風俗特殊営業」と規定されます。これによってラブホテルは警察の監督下に置かれるようになりました。
この警察の監督下に入ることを嫌がるラブホテル経営者が一定数いました。あくまでも旅館業法での「旅館」として経営したかったからです。警察の管轄となる風営法下に置かれると、また新たにラブホテルとしての営業許可証が必要になり、各種届け出が必要になるからです。また、条例などで学校や児童福祉施設近辺で営業ができなくなり移転せざるを得ないケースも生じました。経営者側からすれば、このようなコスト負担に耐えられるわけがありません。これらの変更により、移転や廃業をするラブホテルが続出するようになったのです。

とはいえラブホテルって、今でも普通にあるって感じもしますよね。実は近年、レジャーホテルと言うようになった施設が生まれるようになってきているのです。ラブホテルじゃなくてレジャーホテル? いったいこのような名称のホテルが生まれたのは何故でしょうか。どうやら日本経済が斜陽になってきて、観光、インバウンド経済が成長の要になってきたことと、ラブホテルがレジャーホテルへと変わった事情と重なることが垣間見えてくるのです。
法律の隙間をかい潜るようにラブホテルは変貌! セックスの価値観も変貌して、再ブーム到来の兆しが
前述したようにホテルのような業態は料金を取り、人を宿泊させる「旅館業法」が適用されるわけです。旅館やカプセルホテルなどもそうです。ラブホテルもそうでした。それが、風営法により「専ら異性を同伴する客の宿泊・休憩の用に供する政令で定める施設を設け、当該施設を当該宿泊・休憩に利用させる営業」という法律がラブホテルに適用されて、ラブホテルは旅館業法以外に風営法の届け出も必要になったわけです。
風営法での要件はラブホテル特有の仕組みを認める代わりに存続を認める内容でもありました。さまざまな要件があるのですが、「フロントによる対面接客がないこと」「客室で自動精算できる機器を設置していること」などが特徴的です。
そこでホテル側が考えたのが、フロントで対面接客を普通に行う、自動精算機を使わずフロントで精算を行うなど、風営法に引っかからない方法を取るようにしたのです。ラブホテルって誰とも合わずにパネルで部屋を決めると鍵が落ちてきたり、精算は部屋で行ったりしましたよね。宿泊帳を書くこともない部屋の中にらくがき帳はありましたが(笑)
ラブホテルが今まで普通に行っていた方式を対面接客などに戻すことで、風営法が規定する要件に引っかからないという技(?)というか、すり抜けることができてしまったのです。
顔を合わせないのがラブホテルという固定観念を取り払ったおかげで、ラブホテルは一般ホテルとしての機能を持ったレジャーホテルというジャンルにイメージチェンジすることになったのです。
レジャーホテルへと変化したラブホテル! とはいえ、ラブホテルの本質は変わりません 新しい時代のラブホテルとは!?
これにより、ちょっと後ろめたいイメージがあったラブホテルは劇的にイメージチェンジすることになります。カラオケ、ビジネス、女子会、外国人観光客など、カップルでなくても利用するシーンが多くなり、利用者のホテルに対する価値観も変化したため、名称も新たに「レジャーホテル」という言葉が生まれるほど変貌していくこととなったのです。
遥か昔は安易に男女の情交を行う場所として機能した連れ込み宿は、時代とともに変化していき、現在は誰もが楽しめるようなアミューズメント施設としての機能を持ち出し始めるようになりました。

淫靡な雰囲気漂うホテルの味わいも捨てがたい気もするのですが、男女間の関係性も時代とともに変化したってことなのでしょうね。とはいえ、レジャーホテルとなっても、ラブホテルならではの、テレビはアダルトビデオ、お風呂の湯船は七色に輝くジャグジーだったり、冷蔵庫の中には大人のオモチャだって完備されていますから、そのつもりがなくて入ったつもりでも、始まっちゃったってこともあるんじゃないかと思います。
これからも時代の変化とともにラブホテルは手を替え品を替え、変化し続けていくのかもしれませんね。だって、男と女がいる限り、セックスは切っても切れないものですものね。
懐かしの昭和ラブホテルを網羅した本も出版されています。
トダカユースケ《プロフィール》
大学卒業後、英知出版勤務。「べっぴん」「ビデオボーイ」「すっぴん」「Dr.ピカソ」編集部などで勤務。その他にも三和出版、マクセル出版など編集畑を渡り歩く。アイドル写真集を30タイトル以上制作。
出版社勤務を辞めた後、IT関連企業に入り、アイドルDVDのメーカーを立ち上げ50タイトル以上の作品を制作。独立後、携帯コンテンツ、電子書籍、ローカルテレビ、企業広告などの制作を行っている。

トダカユースケ氏
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