坂元 亮介(さかもと りょうすけ)プロフィール

本名 阪本 良介
別名義 若柳良介
生年月日 1959年8月20日(61歳)
出生地 神奈川県逗子市
身長 182 cm
血液型 O型
職業 俳優、歌手、タレント
活動期間 1978年 - 1994年
2001年 -
坂元亮介 official Web – Red Soldier – Ryosuke Sakamoto official web site
My Life My Way〜レッドワンの生還〜
生立ち

8歳の時の初舞台
1959年8月20日に神奈川県逗子市で誕生した坂元さん。
実家は印刷業で自宅の近所に日本舞踊の家元が住んでいたことから、日本舞踊へ興味を持ち5歳の頃から本格的に日本舞踊と三味線を習い始め、14歳で名取・17歳で当時最年少での若柳流の師範名取になられています。
その事がきっかけで芸能界にスカウトされ、演劇集団 円演劇研究所にて1年間特別聴講生として演技を学んだそうです。
デビュー

「明日の刑事」
坂元さんは、1978年にTBSのテレビドラマ『明日の刑事』第55話「一緒に住もうよ お母さん」淳一役でデビューを果しています。
以後、人気ドラマや映画・NHK大河ドラマなどに精力的に出演されています。

18歳 芸能界 デビュー当時
テレビドラマ『明日の刑事』出演以後、人気ドラマや映画・NHK大河ドラマなどに精力的に出演されています。

超電子バイオマン
坂元さんの人気に火が付いたのは、代表作とも言えるスーパー戦隊シリーズ『超電子バイオマン』でバイオマンのリーダー レッドワンこと郷 史朗(ごう しろう)を演じられてからでは、ないでしょうか。
因みに、「超電子バイオマン」では阪本良介の本名で出演されていました。
坂元さんは、『超電子バイオマン』では、素面でのアクションを可能な限りスタントを使わず自ら挑んでおり、出演に際して中型二輪免許も取得したそうです。
芸能界を引退

日舞正派若柳流の師範・若柳良介
坂元さんは、1994年に父親の死去をきっかけに芸能界を引退されています。
引退後は一切のオファーを断って家業を行いつつ日舞正派若柳流の師範としては、活動されてた様です。
舞台で復帰

銀座博品館劇場
引退後は一切のオファーを断っていた坂元さんですが、ある日フランス人のファンから「フランスでは『バイオマン』が大変人気があり、バイオマンを基にした『フランスファイブ』という作品もある」との話を聞き、その友人から「フランス国内で開催される『ジャパンエキスポ』に参加してくれないか?」との依頼を受け、「特撮をはじめ日本舞踊や日本の文化・伝統芸能を世界に発信していきたい」という夢を掲げ、イベントの出演と芸能界復帰を決意し、
2001年に舞台「鞍馬天狗〜龍馬 if」(銀座博品館劇場)出演を機に芸能界復帰されました。
バイオマン封印

レッドワン
一時期坂元さんは、『超電子バイオマン』に出演していた事実を伏せていました。
理由は「芸能活動に支障を来たす」という理由でしたが、本人曰く「(当時の)特撮ブームに肖る」目的で340プレゼンツ「赤祭」を中心に数多くの特撮俳優関連イベントや、『超電子バイオマン』の主題歌歌手である宮内タカユキさんとのトークイベントなどに出演されています。
27年振りに・・・。

ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦
2004年以降メディアで目立った活動が無かったものの、2011年6月11日に公開された『ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦』では終了から27年振りに郷史朗役を演じられ、
翌年の2012年4月21日公開の『仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦』では、レッドワンの声で出演されています。

仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦
歴代スーパー戦隊52体が勢ぞろい!ヒーローファンを圧倒 : 映画ニュース - 映画.com
食道癌
2016年11月、「爆報!THE フライデー」に出演され、その時には、食道癌 (ステージ3)に侵され、5月に余命1年と宣告されていたことを告白されていました。(出演時には手術を終え退院)
奥さんのアルバイト生活

「超電子バイオマン 」ピンクファイブの牧野美千子さんのブログに登場。
坂元さんは、妻・東己さんと2009年に結婚されています。
当時、俳優復帰を目指す阪本のため個人事務所を設立し、個人事務所立ち上げや運営費に多額のお金がかかり、1000万円の借金を背負ったそうです。
そんな中で坂元さんの食道がんが発覚し、がん細胞が食道を半分近く塞いだ結果、食事がつまり喉を通らない状態、まともに動けなくなったそうです。
入院費などを稼ぐため東己さんは2つのアルバイトを掛け持ち睡眠時間は毎日2時間、夫のため53歳(当時)という年齢で過酷な生活を続けている。
身動きがとれない坂元さんは、不甲斐なさにすすり泣いていた。早く退院できるよう懸命にリハビリに励んだと言います。
現在の坂元さんは?
奥さんの東己さんは夫の思いに応えるため、自宅で退院の準備を進め、手術から2週間後、坂元さんは退院。
手術により胃の3分の1と食道約15cmを切除、そのため胃は通常の半分程度の大きさになっていると言います。
1度に多くの量が食べられないため、東己さんは1日5食にわけて栄養摂取できるよう食事を準し、
坂元さんは自宅に飾っていた「バイオマン」の写真を見て昔を思い出しつつ、積極的にリハビリ。
すると夫婦で海岸をデートできるまでに復活、坂元さんはこれまでの感謝の気持ちを東己さんに伝えたそうです。
最後に・・・。
坂元さん元気になられて本当に良かったです。
無理にとは言いませんが、またテレビ等で坂元さんの元気な姿を拝見したいです。
楽しみに待っています。
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