チェッカーズ "ギザギザハートの子守歌"でデビュー<1983年>
福岡・久留米で結成されたチェッカーズのメンバー7人
藤井郁弥さんと尚之さんは実の兄弟、郁弥さんと高杢さんが幼なじみというメンバーがみんな地元繋がりで結成された"チェッカーズ"
郁弥さんが音楽に目覚めたキッカケは、伝説のロックバンド「キャロル」の解散コンサートに衝撃を受けた事だったそうで後に、「この出会いがなければ今の自分はいない、とまで言い切るほど憧れた」と語っておられます。
エレキギターを購入し独学で「キャロル」のコピーを始めたのが、チェッカーズ誕生の第一歩になります。
キャロル~!!納得です。当時、友達と集まって学校の音楽室でテープ流して先生に怒られてました(笑)
バンドを結成し週末のダンスパーティーで演奏すると、地元・久留米で注目を集めるようになります。
当時の久留米はロックンロール一色。沢山のバンドが人気を競っていて、元々チェッカーズのメンバーは別のバンドに所属していたそうです。
1980年 それぞれのバンドで活躍していたメンバーが、藤井郁弥さんと武内享さんを中心に集結して結成されたのが"チェッカーズ"
弟の尚之さんによると「兄貴(郁弥さん)がサイドボーカルで自分がベースの時代があった。」ということですが、郁弥さんの甘くて色っぽいボーカルがなかったら、尚之さんの素敵なサックスの音がなかったら、って考えられますー?いやいやダメでしょ!
高校を卒業した郁弥さんは国鉄に就職したものの音楽活動を続け、バンドはヤマハの音楽コンテストで最優秀賞を受賞。
メンバーの年下2人(徳永さんと尚之さん)が高校を卒業するのを待って、メンバー7人で上京し1983年「ギザギザハートの子守唄」でデビュー。
<バンド名"チェッカーズ"の由来>
チェック柄と郁弥さんの髪型「サイドを刈り上げツーブロックで前髪を長く垂らす」チェッカーズカットは、世の男子諸君に流行りましたね。
当時のツッパリの代名詞「リーゼント」をチェッカーズカットに変える男子もいました。
ただ、チェッカーズもデビュー曲よろしくデビュー前は「悪ガキ」で、リーゼントヘアだった為、トレードマークのチェック柄の衣装とチェッカーズカットに抵抗があったようです。
・・・が結果、この路線が次の大ヒット2ndシングル「涙のリクエスト」へ繋がったと言われています。
チェッカーズ 2ndシングル"涙のリクエスト"で大ブレイク<1984年>
1984年にリリースされたチェッカーズ2枚目のシングル曲「涙のリクエスト」は、初の大ヒットとなりファンが急増、オリコンチャートや音楽番組の常連となります。
いきなり郁弥さんのアカペラで始まる「涙のリクエスト」はデビュー作とは世界観の違う曲で、ドゥーワップの要素を取り入れつつ親しみやすい歌謡曲になっていました。
サビで右腕を頭上でくるくる回す振り付け、やってましたねぇ~☆
この曲は、元々デビュー曲となるはずだった「恋のレッツダンス」のB面に収録される予定だったそうなので、嬉しい誤算ですね。
この大ヒットのお陰で、デビュー曲「ギザギザハートの子守唄」3ndシングル「哀しくてジェラシー」が共に3曲同時にベストテン入りするという快挙を達成し、チェッカーズブームを巻き起こします。上京からたったの1年です。
この年のNHK紅白歌合戦に初出場、以降9年連続の出場となります。
1986年4月14日の「月曜ドラマランド」では、この曲をモチーフにした「チェッカーズin涙のリクエスト」が放送されました。
チェッカーズ・イン・涙のリクエスト - ドラマ詳細データ - ◇テレビドラマデータベース◇
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