80年代中盤以降、新ジャンルの開拓を始める!
80年代前半から中盤にかけて「OKAWARI-BOY スターザンS」「とんがり帽子のメモル」「まんがどうして物語」といった、様々なアニメに携わった古田ですが、その後仕事量が徐々に減少していきました。この時期の古田はいわゆる充電期間であり、ロサンゼルスなどに遊びに行くこともあったそうです。そんな中、次に手掛けようとしたジャンルが「ヒップホップ・ラップ」でした。
ヒップホップ・ラップに挑戦するため、古田が音楽プロデュースを手掛けたのは「RA$H」という男性ダンスアイドルグループ。“歌って踊ってお笑いも出来るダンスユニット”の触れ込みで、あの宮沢光子(りえママ)がスカウトしたことでも有名な伝説のグループです。1990年にはシングル「Mutant Japmen」を発表し、一部のマニアの間で話題となりました。
宮沢りえのアルバムもプロデュース!
また同時期、りえママとの関係からか、宮沢りえが1990年に発表したアルバム「Chepop」のプロデュースを手掛けています。ロサンゼルスのミュージシャンを集めて完成させたアルバムで、4曲目の「BODY CHECK」ではFULTA名義で作曲にも参加しています。
現在は何をやってるの?
RA$H、宮沢りえなどの音楽に携わった古田ですが、それ以降は再び音楽業界からフェイドアウト。その後の動向ですが、2010年に開催された上海万博で使用されたインスト曲を手がけるなどの音楽活動をする一方で、デザイナーとしての活動が多くなっています。元々漫画家志望であったことからその画力には定評があり、企業のホームページやポスターのデザインなどを手がけているそうです。
また、近年の特筆すべき仕事として挙げられるのは「ザクとうふ」です。これは「ザクとうふ」を製造する相模屋のアドバイザーを、古田が手掛けているとのこと。
アニメソングを手がける音楽プロデューサーから、企業プロデューサーへと華麗なる転身を遂げた古田喜昭。今後の活動にも注目が高まりますね!
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