伊良部 秀輝(いらぶ ひでき)プロフィール
2009年ロングビーチ・アーマダ時代
誕生 沖縄県コザ市(現在の沖縄市)
出身地 兵庫県尼崎市
生年月日 1969年5月5日
没年月日 2011年7月27日(42歳没)
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1987年 ドラフト1位
プロ入り
1987年のドラフト会議でロッテオリオンズが1位指名で交渉権を獲得し、契約金5000万円、年俸500万円(金額は推定)で入団し、プロ入りしました。
高卒新人・1年目から1軍のマウンドを経験、村田兆治投手・前田幸長投手らとともにチームの弱小投手陣を支え活躍しました。
入団2年目に西武の清原和博との対戦時に156km/hをマークするなど当時から球速はめっぽう速かったが、コントロールが悪くカウントを悪くしては失投を痛打されるなど入団後数年は試練の時が続きました。
伊良部さんはハーフ
伊良部さんは沖縄県コザ市(現在の沖縄市)で誕生ですが、父親は在日米軍兵士だったアメリカ人で、母親が日本人のハーフでした。
本人も知らなかった!
お父さんは生後まもなく帰国したため、伊良部さんはメジャーリーガーデビューで渡米するまで父親がアメリカ人だったことを知らされていなかったそうです。
何でも、ヤンキースに入団して1998年のキャンプの際に球団から自分の父親を名乗る男から連絡が入っていると教えられたそうです。
伊良部 だって、ぼくはアメリカに行くまで、自分の本当の父親がアメリカ人ということを知らなかったですもの。
https://nikkan-spa.jp/36060伊良部秀輝の“遺言”「父親がアメリカ人とは知らなかった」 | 日刊SPA!
ヤンキース時代
1997年5月31日にヤンキース入団記者会見。NPB/MLBを交えた大騒動を経て入団したため、メジャー初登板初先発となった7月10日のデトロイト・タイガース戦では通常の2倍の観客が詰めかけた。このデビュー戦では、6回2/3を5安打2失点9奪三振の投球でメジャー初勝利で日本人初の(前々年5月の野茂英雄もなしえなかった)初登板初先発初勝利を達成。
伊良部さんは「平成の名勝負」と呼ばれ球界を盛り上げる一方で、メジャーデビュー後は「反逆者」と呼ばれバッシングの的にもなっていました。
その後は、モントリオール・エクスポズ (2000 - 2001)・テキサス・レンジャーズ (2002)を経て帰国。
帰国後は阪神タイガース
2002年12月7日に阪神タイガースと1年2億円で契約しました。
2003年、監督の星野仙一は伊良部に抑えを任せたかったが、伊良部本人の希望により先発組となった。この年はオールスターゲームにも1996年以来7年ぶりに選出され、ロッテ時代の古巣の本拠地千葉マリンスタジアムでの第2戦に先発して3回無失点と好投し、優秀選手賞を受賞した。そしてシーズンでは13勝を挙げ、阪神の18年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献。
最後は戦力外通告
前半戦は大きく貢献したものの、後半戦は球威が落ちて勝ち星は伸びなかった。日本シリーズでは第2戦と第6戦の2試合で先発するも、福岡ダイエーホークスの機動力に翻弄され、いずれも敗戦投手となり、登板数は3試合のみ、防御率は13.11という不調もあって、オフに戦力外通告を受け翌年2005年開幕直前、最初の引退表明。
①暴行事件