プロレスラーまでの道のり
三沢光晴 - Wikipedia
ジュニアヘビー級からヘビー級へ
当初は2代目タイガーマスクとして華麗な空中殺法などを主体として活躍していた三沢も寝技中心のプロレスやりたいという決意からヘビー級転向することとなる。そして天龍の脱退に合わせてポスト天龍をなのりジャンボ鶴田、スタンハンセンといったビックネームに勝ちその過程でエルボーを習得していくこととなる。
エルボーへのこだわり
ヘビー級のでかい相手ではスープレックスは通じず、投げることができない。スマッシュ系ならば相手にダメージを与えることが出来る。
そう確信を持った三沢はとにかくエルボーを考え、ダイビング式、ランニング式、回転式といったバリュエーションを生み出し相手選手と戦った。
その威力はくらった者たちがこう証言するほどである。
プロレスに生きプロレスに殉じた男 三沢光晴
こうして考えると三沢の一生は戦いの連続であったといえる。全日本プロレスでの確執、ノアの立ち上げ、そしてジュニアヘビー級からヘビー級への転向。これらすべてに打ち勝つ説得力を持つエルボーを生み出した男、三沢光晴。
どんな困難があっても打ち勝てることをその肘1つで証明したと言っても過言では無い。三沢さん本当にお疲れ様でした。心よりご冥福を祈りいたします。