佐藤忠志とは、どんな人?
佐藤忠志(1951年5月4日 - 2019年9月頃死亡)東京都杉並区出身。
タレント予備校講師の先駆者と言われた「金ピカ先生」(当初は「ヤッチャン先生」と呼ばれていた)。日本の教育評論家・元予備校講師。元拓殖大学客員教授。
佐藤忠志氏の詳しい生い立ちは公表されていない。ネット情報によると中野区の公立小学校に入学し、私立校を経て、杉並区の公立小学校、杉並区の公立中学校を卒業しているようだ。
生い立ちも不明だが、小学生の頃から父親と芸者遊びを楽しみ、中学生の時にソープ(当時のトルコ風呂)で、筆おろし(童貞を喪失)したとか。
中3の時の成績は、オール2。都立高校は、受験前から不合格確定というオチコボレだった。
佐藤忠志氏の学歴。
高校は、私立の男子校、芝浦工業大学高等学校に進学、1970年卒業。
大学受験は、慶應義塾大学を目指すが、見事に不合格となる。
併願していた立教大学に入学。仮面浪人を経て、翌年に慶應義塾大学法学部政治学科を受験し合格する。在学中は内山秀夫研究会に所属し国際政治学を専攻。
慶應義塾大学卒業後、1975年、筑波大学大学院修士課程(地域研究科)を修了。
私立小学校に通っていたことがある。高校は私立校。そして、2年続けて、立教大学と慶應大学の入学金、授業料等を支払っていることから、金ピカ先生は、裕福な家庭の出身と思われる。
しかし、英語とはあまり関係ない。
筑波大学大学院で英語音声学を学んだのか?
人気講師「ヤッチャン先生」誕生
1977年に代々木ゼミナール講師となる。
佐藤忠志は、代ゼミ(代々木ゼミナール)の英語講師となり、英単語や長文読解の講座を担当した。
派手な服装と今では問題になる教壇で日本刀をかざすヤクザ風のパフォーマンスで注目を浴び、「ヤッチャン先生」と呼ばれた。
当時の代ゼミの講師のなかでも金ピカ先生の人気はズバ抜けていた。定員500人の講座を受けるために行列が出来き2時間で締め切り、講座チケットを入手するために徹夜で並ぶ受験生もいた。
佐藤自身も落ちこぼれ中学生だったが、慶應大学入学を果たした経験がある。
勉強ができない生徒の躓きや気持ちに寄り添い、英語文法をわかりやすく解説した。
英語の偏差値34の生徒を、慶応大学へ合格させたり、入学偏差値が40以下の生徒が一気に65以上になる、ということが実際にあったという。
1986年には、金ピカ先生が執筆した『ズバリ!合格の英単語』が100万部を超える大ベストセラーとなった。1987年には『ズバリ!合格の英熟語』、『ズバリ!合格の英文解釈』を刊行している。
金ピカ先生の受験英語の教授法が注目され、旺文社大学受験ラジオ講座に出演した。
日本人が聞きやすいネイティブスピーカーの発音というか、独自の日本人訛りの英語だった。当時の受験生にとっては、日本人離れしたアメリカ英語の発音にあこがれた。
予備校移籍とタレント活動
1988年に東進ハイスクールへ移籍。
代ゼミから東進ハイスクールへ移籍した。代ゼミでの最後の講義「英語総合問題・最後の仁義なき戦い」には、500名近い受講者で、教室は超満員。講義終了後はは、生徒たちは、佐藤のサインをもらおうとした。
1989年に発売した『金ピカ先生の総仕上げ時事英単語集』は、大学入試英語を時事英語にした。教科書には出てこないが、入試にはでる最新の単語が選んで解説した。
金ピカ先生の講義が始まる前には、教壇の上に受講生からのお菓子などの沢山のプレゼントが置かれていた。
講義を始める前にプレゼントに添えられた、手紙を読み上げ、質問に答えることもあった。ときには、雑談が講座の時間の半分以上に及ぶこともあったが佐藤の人気者だった。タレント予備校講師の元祖と言える。
はじめは、「ヤッチャン先生」とも呼ばれていた佐藤は、笑うと親しみやすい顔となる。
ヤクザ風の外見とは対照的に講義の教授法は、論理的で緻密であった。
「ヤッチャン先生」はタレントとしての活動を開始、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』に出演。1987年には、秋元康プロデュースの『1度きりだぜ人生は』という曲をリリースしている。
1992年の東進ハイスクールを最後に予備校講師を引退。
当時の予備校では、サテライトといわれるビデオ収録講座が開講されるようになる。
金ピカ先生も、その後しばらくサテライトで開講していた。
金ピカ先生の車と武勇伝・年収2億以上?!
1980年代、金ピカ先生の最盛期の年収は、2億円。
ゼミの講義料は、1コマ90分で200万。それが1ヶ月で20コマ近くあると1か月で2000万円近くの収入があった。その他に参考書の印税が、1000万円。
移動はVIP待遇。タクシーではなく、ハイヤーを使用。新幹線はグリーン席、飛行機はファーストクラス。ホテルは一番高いスイートルームに泊まっていた。
所有する愛車
金ピカ先生は、リンカーン・コンチネンタル、BMW、キャデラックのフルサイズ、ベンツのオープンカー500SL、ロールスロイスのターボなどに乗っていた。
運良く、外車を運転して予備校に通勤する姿を見かけた浪人生もいた。
そして、「人生最後の愛車に」とCMC社のティファニークラシックを1億円で購入した。
1991年には、杉並区善福寺に豪邸に8億円かけた新居を建てている。
選挙出馬、そして…脳梗塞。
2001年、第19回参議院議員通常選挙に小泉政権の自民党公認で出馬。本名で立候補するも、得票数19,232票で落選した。
2009年には突如、鹿児島県・種子島の西之表市市長選に告示3日前に無所属で「金ピカ先生」として立候補。記者者会見を開いた「金ピカ先生」は「教育水準を日本一にしたい。役所で中高生に無料で授業をする」と公約したが、落選。
この選挙戦の直後に、脳梗塞が発症する。その後、また脳梗塞や心筋梗塞などの病気を患っている。その後、「金ピカ先生」の姿をメディアで見かけることは減っていく。
老後破産のはての孤独死・「金ピカ先生」の夢とは?
年収2億を稼いでいた「金ピカ先生」が「老後破綻」していた。
1億円のティファニークラシックを妻に相談することなく購入したことがきっかけとなり、2017年に、長年連れ添った妻は、金ピカ先生の放蕩ぶりに愛想を尽かし、ついに出てく。それから、約2年後に、無一文になり。電気も止められた。生活保護を受け、独りで暮らしている。そんな、佐藤氏の家に、デイケアセンターの人が、週に2回訪問していた。
2019年(令和元年)9月24日朝、デイケアセンターの職員が佐藤の自宅を訪問。
返事がなかったので、警察官が立会いで室内に入ったところ、死んでいる「金ピカ先生」を発見された。68歳没。佐藤氏に子供はいない。
私の趣味は日本刀と車。馬の居ない武士が重要刀剣の青江次を直を持っていてもバランスを欠くので処した。もう私にはに趣味は無い。生きる甲斐、目標が無い
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2007年、「金ピカ先生」だった佐藤忠志は、「将来の夢は」という質問に「まともな高等学校をやってみたいですね。」と答えている。
佐藤氏の夢は、学力至上主義や偏差値の向う側にある人間教育だったのかもしれない。
日本の少子化は進み、1992年に29万4000人いた浪人生は3分の1以下に減った。
三大予備校と呼ばれていた駿台予備学校、河合塾、代々木ゼミナールにも、危機が訪れた。
少子化に伴い、2014年に代ゼミは、全国のにある拠点を20箇所閉鎖し、7拠点に集約した。河合塾は「中高一貫校」の経営に進出している。
また、“中高一貫校”の誕生が予備校の経営を窮地に追い込んだ。
1999年文部科学省が学校教育法の一部改正により、中学校・高等学校の中等教育を一貫とする教育。いわゆる公立の中高一貫校が誕生した。
出世できない英語バカ
出世できない英語バカ (日本語) 単行本
2004年6月1日 佐藤 忠志 (著)