助っ人外国人パウエル、コーチとして中日復帰!
外国人選手初の3年連続首位打者を獲得したアロンゾ・パウエルさんが中日ドラゴンズの巡回打撃コーチに就任することが発表されました!
現役時代を知る世代にはワクワクのニュースですよね。
そこで今回はパウエルの現役時代を振り返っていこうと思います。
現役時代

1983年にサンフランシスコ・ジャイアンツと契約してプロ入り。
1992年に中日ドラゴンズに入団します。
来日当初は変化球に対応できず低迷したものの徐々に適応し、規定打席には到達できなかったものの打率は3割を超えました。
翌年は怪我による離脱がありながらも規定打席に到達し、3割超えをマーク。
1994年、1995年、1996年の3年連続で首位打者を獲得。
この記録は外国人選手としては初の記録でした。
本拠地がナゴヤドームに移ると膝の故障の影響もあり打率も低迷、1997年退団。
1998年には阪神タイガースに移籍。
移籍当初は4番で起用されるも出番は徐々に減少していった。
故障離脱中の新人の活躍や自身のスランプ等もありシーズン中に解雇となってしまいました。

日本球界を去った後も野球を続け、2001年36歳になるまでプレーし引退。
エピソード
現役時代、打ち込まれたリリーフ陣に殴る等の制裁をあたえる星野仙一のやり方に不満を持ち、「殴るなら私を殴れ。」と訴えたことがあるという。
あの星野仙一にたてつくだなんて想像しただけでドキドキしますよね(笑)
不仲だったのかと思いきやそれを否定し、対立したことはない、普段は優しい、私は好きだった、とのちに答えているということです。
2018年には前立腺がんであることを公表し、手術を受けたことも発表した。
中日ドラゴンズへ復帰!
2020年シーズンから巡回打撃コーチに就任することが発表されました!
与田監督と、「どちらかが監督になったときにお互いをサポートしよう」と約束していたそうです。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は元中日ドラゴンズの助っ人外国人、アロンゾ・パウエル氏について調べてみました。
2020年シーズンから打撃コーチとしてドラゴンズに復帰したということで、3年連続首位打者を獲得したあの頃の打撃をぜひぜひ現役の選手たちに教え伝えて、今シーズンの中日ドラゴンズの躍進を期待したいですね!

