貧弱な馬体
1992年5月31日、北海道新冠町にある早田牧場で1頭の仔馬が誕生します。父は日本の競馬界を変えることになる不世出の大種牡馬・サンデーサイレンス、母はモミジダンサー。サンデーサイレンスの初年度産駒でした。幼い頃は貧弱な馬体でなかなか買い手がつかず、マーベラスクラウンの馬主でもある笹原貞生に何とか買い取ってもらったのです。マーベラスサンデーと名付けられたこの馬は、1994年3月にマーベラスクラウンを管理していた栗東・大沢真厩舎に入厩します。

死の淵を彷徨う
大沢厩舎に入厩したマーベラスサンデーは秋のデビューを目指し調教を積んでいました。ここでマーベラスサンデーは秘めた能力の片鱗を見せます。後に重賞を勝つことになる年長の評判馬・オースミタイクーンを10馬身もちぎってみせたのです。これには周囲も驚きデビューに期待が高まりますが、マーベラスサンデーを悲劇が襲います。この調教後に右膝の骨折が判明したのです。さらに悲劇は続きます。骨折で放牧に出ていた放牧先で疝痛を発症した上にこじらせてしまい、死の淵を彷徨ったのです。何とか一命は取り留めたものの、デビューは大きく遅れてしまいます。
デビューするもまたもや悲劇が

ようやく迎えたデビュー戦は1995年2月4日の京都競馬場、ダート1800mの新馬戦でした。単勝2.2倍の1番人気に支持されたマーベラスサンデーは、鞍上に武豊を迎えこのデビュー戦を快勝します。1ヵ月後に出走した2戦目は京都競馬場の芝2000m、ゆきやなぎ賞。単勝1.7倍という圧倒的1番人気に支持されたマーベラスサンデーはクビ差の接戦を制し見事連勝を飾ります。クラシック出走を目指し重賞・毎日杯に登録しますが、ここでまたもやマーベラスサンデーを悲劇が襲うのです。右膝を再度骨折し休養を余儀なくされます。これで春のクラシック出走の夢は断たれたのです。悲劇はさらにマーベラスサンデーを襲います。秋に帰厩し、体制を立て直そうとした矢先、今度は左後脚の骨折が判明したのです。これにより結局復帰は翌年の春までずれ込みます。
連勝街道驀進
復帰を果たしたのは1996年4月13日の阪神競馬場、芝2000mの明石特別。このレースも1番人気の支持を受けたマーベラスサンデーでしたが、4着に敗れてしまいデビューからの連勝はストップしてしまいます。しかしマーベラスサンデーは、止まった連勝はまた始めればいいと言わんばかりにこの後快進撃を見せたのです。
続く鴨川特別と桶狭間Sを圧倒的1番人気に応えて快勝し、再び連勝を決めたマーベラスサンデーは、いよいよ重賞に挑戦します。陣営が選んだのは6月の東京競馬場、芝1800mのエプソムカップ。重賞初挑戦にもかかわらずファンはマーベラスサンデーを単勝2.2倍という圧倒的1番人気に支持します。マーベラスサンデーもそんなファンの期待に応え、重賞初挑戦ながら快勝してみせたのです。
3連勝で重賞初制覇を成し遂げたマーベラスサンデーの快進撃はさらに続きます。4連勝目をかけた札幌記念でも単勝1.5倍という支持に応えて快勝し、重賞連勝を飾ったマーベラスサンデーの勢いは止まりません。続く朝日チャレンジカップと京都大賞典も圧倒的1番人気に応えて、これで重賞4連勝を含む6連勝。マーベラスサンデーは連勝街道を驀進します。
GI挑戦
6連勝と勢いに乗るマーベラスサンデーは、いよいよGIに挑戦します。初のGI挑戦となる舞台は10月の東京競馬場、芝2000mで争われる天皇賞(秋)です。単勝1番人気は天皇賞(春)を制してこちらも勢いに乗るサクラローレル。マーベラスサンデーはGI初挑戦ながら6連勝の勢いを買われサクラローレルに次ぐ2番人気に支持されます。レースは前を行くバブルガムフェローとマヤノトップガンを捕まえることができないばかりか、最後はサクラローレルにも差されてしまい4着。初挑戦のGIは残念な結果となってしまいます。
連戦の疲れからジャパンカップを回避したマーベラスサンデーでしたが、暮れの大一番、有馬記念に挑みます。サクラローレル、マヤノトップガンと共に3強の一角を担うこととなったマーベラスサンデー。レース当日の単勝人気はそのサクラローレル、マヤノトップガンに次ぐ3番人気で3強の中でも3番手とみられていました。
レースは最後の直線で先頭に立ったマーベラスサンデーでしたが、最後は1番人気のサクラローレルに差され、2馬身半差をつけられての2着完敗。GIにはなかなか手が届きません。
戴冠
翌年、6歳を迎えたマーベラスサンデーは、4月の産経大阪杯から始動します。このレースを単勝1.5倍の圧倒的支持に応えて快勝したマーベラスサンデーは、次走天皇賞(春)で再び3強対決に臨むことに。レース当日の評価はやはりサクラローレル、マヤノトップガンに次ぐ3番人気という3番手評価。レースは最後の直線で先に抜け出したサクラローレルをマヤノトップガンが強烈な末脚で差し切り優勝。マーベラスサンデーはサクラローレルから半馬身差の3着に終わり、またしてもGIに手が届きません。
続くレースは春のグランプリレース・宝塚記念。このレースには3強のうちの2頭、サクラローレルとマヤノトップガンが出走していませんでした。サクラローレルはフランス遠征、マヤノトップガンは秋に備えて休養中ということでマーベラスサンデーにGI制覇の大きなチャンスが巡ってきたのです。
ファン投票でも1位に選ばれたマーベラスサンデーの当日の単勝人気は、2.3倍の1番人気。レースは最後の直線で前を行くバブルガムフェローをクビ差捉えて見事初GI制覇。ついにマーベラスサンデーはGI制覇を成し遂げたのです。
秋もサクラローレル、マヤノトップガンが不在でGI勝利を積み重ねるチャンスでしたが、レース中に4度目の骨折をしていたことが判明し、千載一遇のチャンスを逃すことになります。しかし回復は早く、その年の有馬記念で早くも復帰。このレースも3強のうちの2頭が不在でマーベラスサンデーは1番人気の支持を受けます。レースは最後の直線で前を行くエアグルーヴを捉え勝利目前でしたが、大外からシルクジャスティスの強襲にあいアタマ差の2着に。
7歳を迎えても現役続行が決まったマーベラスサンデーでしたが、始動戦の予定だった阪神大賞典へ向けての調整中に右前脚に屈腱炎を発症してしまい、そのまま引退、種牡馬入りすることが決まりました。
種牡馬入り
新冠町のCBスタッドで種牡馬生活を開始したマーベラスサンデーでしたが、2003年にCBスタッドが倒産・閉鎖したため、その後は優駿スタリオンステーションに繋養されていました。種牡馬・マーベラスサンデーは、初年度産駒から日経新春杯など重賞3勝を挙げたシルクフェイマスを輩出し順調な滑り出しを見せます。
2014年まで種牡馬生活を送り、キングジョイとマーベラスカイザーという障害のGI馬を2頭輩出しましたが、結局平地のGI馬を輩出することはできませんでした。その後マーベラスサンデーは種牡馬を引退し、余生を送っていた2016年6月30日に老衰のため亡くなります。24歳でした。晩年の産駒であるタツゴウゲキが小倉記念と新潟記念を制し種牡馬入りしたため、マーベラスサンデーの血はタツゴウゲキが繋いでいってくれることでしょう。