ウガンダ・トラ プロフィール
本名 佐藤 信一郎(さとう しんいちろう)※外人ではありません日本人です。
生年月日 1952年6月6日
没年月日 2008年5月31日(55歳没)
出生地 東京都港区六本木出身
身長 175cm
血液型 B型
ジャンル タレント、ドラマー
活動期間 1978年 - 2008年
ハーフなの?芸名の由来
イディ・アミン(ウガンダ 第3代大統領)
ウガンダさんは外人でも無ければハーフでもありません。
芸名は、容姿が似ていたウガンダのイディ・アミン元大統領に由来するそうで、
それ以外にウガンダ共和国との接点は全くないそうです。
経歴
ウガンダさんは高校在学中から地元のゴーゴークラブでダンサーとして働いていたそうです。(動けるデブのルーツだったのでしょうか・・・。)
卒業後は、父もサポートメンバーを務めた事がある和田弘とマヒナスターズ(ハワイアンムード歌謡に留まらず、当時はカンツォーネやシャンソン等もレパートリーにあった)の、ボーヤ兼ドラマーとして下積み修行。
1971年、R&B仲間の高田裕三・宮本典子らと、日本のソウル・ファンクの草分け『スリーチアーズ・アンド・コングラッツレイションズ』に加わり、米軍キャンプや都内一流ディスコの生バンドとして腕を磨いたそうです。
『ビジーフォー』
ビジーフォーと言えばグッチ裕三さん、モト冬樹さんの二人だと思っていたら・・・。
1977年、元ザ・クーガーズの島田与作氏が立ち上げた『いそがしバンド』に、盟友の高田"ぐっち"裕三、スリム冬樹と共に参加し、トラ佐藤(後にウガンダ)の名でドラムとボーカルを担当しています。
1979年の『金曜娯楽館』(NTV系)へのレギュラー出演と前後して『ビジーフォー』に改名。
1983年末「同じような曲ばかり演奏させられる生活に飽きた」との理由で、リーダー島田氏と共にビジーフォーを脱退。
脱退と同時に音楽活動を休止してピン芸人の道に。
ピン芸人としては
『グッドモーニング』では『てん・ぱい・ぽん・ちん体操』の模範演技を披露したり。
マイケル・ジャクソンのムーンウォークや『スリラー』のゾンビダンスも完全コピーして見せる「動けるデブのカリスマ」だったのです。
フジテレビ「ひらけポンキッキ」の挿入歌として使用された『やせろ!チャールス豚3世(読み:チャールストン)』で踊り子役を務め巨体ながら、軽やかなステップとキレのあるダンスを披露されています。
私生活では、お店も
タレント業、ミュージカル俳優のほか、ウガンダさんはJR中央線大久保駅前で『居酒屋ウガンダの店』(後に『焼き鳥うがちゃん』)を営み、厨房・接客にも励んでいました。
その時にフリーの一般客として来店した女性と意気投合し、15歳差を押して1994年に結婚されています。
因みに、奥さんの妹さんが、ラッシャー板前さんと結婚したため、ウガンダさんはラッシャーさんの義理の兄となっています。
突然の死・・・。