ダイイチルビー “華麗なる一族”のラストガールは希代の名牝となった

ダイイチルビー “華麗なる一族”のラストガールは希代の名牝となった

ダイイチルビーは、1990年~1991年に大活躍した人気の牝馬です。今でこそ古馬牝馬の混合のG1勝ちは当たり前ですが、90年代初頭の安田記念、スプリンターズステークスの勝利はかなりセンセーショナルでした。1991年のJRA賞最優秀5歳以上牝馬およびJRA賞最優秀スプリンターを獲得したのも当然の結果だと思います。戦績 国内:18戦6勝  総賞金 43171.2万円


華麗なる一族

「華麗なる一族」とは「白い巨塔」、「大地の子」で有名な山崎豊子が1973年に発表した小説で、映画化され、2度テレビドラマ化されています。(テレビはその後何度か作られてますね。)

野心的な財閥一族を描いたこの作品が発表されたころに、中央競馬界では、牝馬のイットーが活躍していました。

この牝馬の血統を当時、関西テレビで解説者が“華麗なる一族”と命名したことが当時の競馬界で受け入れられ、有名になりました。

一族の活躍馬は非常に気性が荒い一方、大変なスピードで逃げるのが一番の特徴です。

1970年代初頭から1990年代初頭の全盛期には日本のサラブレッド牝馬の系統としては、戦前の下総御料牧場の輸入牝馬、小岩井農場の輸入牝馬に匹敵する名門とされました。

キューピット

1957年に輸入された英国の牝馬“マイリー”はスエズ動乱の影響を受け、到着が遅れ横浜港の検疫所で子供を産みます。

そしてキューピットと名付けられたその馬は、気性の荒いスピード馬で競走成績は35戦9勝、朝日チャレンジカップ、阪神牝馬特別など2着10回。

重賞は阪神牝馬特別に勝ちました。引退して繁殖牝馬となって荻伏牧場に戻り、ヤマピットとミスマルミチを産んだ以外には子供はできませんでした。

そして、後年、ミスマルミチの子孫から活躍馬が続出し、この牝系がのちに“華麗なる一族“となっていくのでした。

ヤマピット

“華麗なる一族”の初期の活躍馬で、その素晴らしいスピードはで1967年のオークスを逃げ切って優勝。

1966年に最優秀3歳牝馬、1967年に最優秀4歳牝馬、1968年に最優秀古牝馬に選ばれました。
主戦騎手は後の名調教師、池江泰郎が務めました。

イットー

姉のヤマピットはたったたった1頭しか産駒を残しませんでしたが、妹のミスマルミチはそのかわりのように優秀な子供を続々と送りだしました。

一番有名なのは高松宮杯やスワンステークスの優勝馬のイットーで、1973年の優駿賞最優秀3歳牝馬、1975年に同最優秀5歳以上牝馬を受賞。

繁殖牝馬としても大きな成功を収め、二冠牝馬ハギノトップレディ、宝塚記念優勝馬ハギノカムイオーらを輩出。

“華麗なる一族”の中興の祖となりました。

ハギノトップレディ

戦後競馬史に残る天才少女。新馬戦1000m 57秒2の日本レコードの後、骨折するも
激戦の桜花賞を逃げ切りました。単なるスプリンターではないことは、エリザベス女王杯の勝利で証明、最優秀4歳牝馬に選ばれました。

半弟(父・テスコボーイ)にハギノカムイオーとともに“華麗なる一族“の象徴的存在でした。

ハギノカムイオー

1979年に北海道静内町でのセリ市において、当時の史上最高価格となる1億8500万円で落札され、その落札額から「黄金の馬」とも称され、競馬の世界にとどまらず、当時マスコミでも大きな話題となりました。

その後競走馬となり、1983年の高松宮杯、宝塚記念など重賞6勝を挙げその“華麗なる血統”を証明してみせました。

ダイイチルビー その生い立ちと出生秘話

トウショウボーイ

ルビーの父トウショウボーイは、80年代、テンポイント、グリーングラスとともに、競馬の一大ブームを作り上げた名馬として有名です。

引退したトウショウボーイは父テスコボーイと同様、日高軽種馬農業協同組合で繋養されていたことにより、ほかの種牡馬に比べて割安に種付けができました。

しかし、産駒のミスターシービーが1983年の三冠を達成、その直後から応募が殺到します。

しかし実際に種付けができるのは抽選によって選ばれた繁殖牝馬だけと決められていました。

荻伏牧場が、ハギノトップレディの交配相手にトウショウボーイの権利を獲得したのは1986年で、翌年4月に黒鹿毛の牝馬が誕生しました。

当時牧場としてはこの牝馬がゆくゆくは繁殖牝馬として牧場に戻り、“華麗なる一族”を継ぐ繁殖牝馬となると、大きな期待をしていました。

ところがこの牝馬には生まれながらに左右の蹄の形状に欠陥があり、競走馬としての適性が疑われていました。

しかし、伊藤雄二調教師によって見出され、苦難の末1990年2月、4歳になってからデビューすることとなりました。

4歳シーズン(1990年)

母(ハギノトップレディー)と同様、デビュー戦で単勝1.2倍の圧倒的な人気だったダイイチルビーは5馬身差で逃げ切る圧勝劇を演じました。

これに自信をつけた陣営は、桜花賞トライアルの4歳牝馬特別に登録しましたが除外になってしまいます。

1990.3.24 アネモネS 

やむを得ず条件戦に出走し2番手から抜け出して勝ちきります。

2戦2勝で桜花賞に出走登録しましたがまたも不運に。

当時2勝馬の桜花賞出走は抽選でした。

ルビーはそこで落選してしまい、親子二代の桜花賞馬の夢は絶たれてしまいます。

その後、目標をオークスに切り替え、重馬場で行われた忘れな草賞は単枠指定の人気でしたが、スローペースで逃げたトーワルビーを捕まえきれずに離れた2着に敗れました。

1990 サンスポ4歳牝馬特別

忘れな草賞で賞金を加算できず、オークスへの出走も危ぶまれたため、ダイイチルビーはオークストライアルの4歳牝馬特別に出馬。

レースは先行し、最後の直線で先頭に立ちましたが、最後方から追い込んできた人気薄のキョウエイタップに差され、再び2着に敗れてしまいますが、なんとかオークスの出走権を得ます。

オークス

そしていよいよ本番のオークス。鞍上は武豊に戻り、無敗の桜花賞馬であるアグネスフローラに次ぐ2番人気となりました。

しかし、スタートで出遅れてしまい、道中はやむなく後方待機策をとりましたが、結局見せ場もなくエイシンサニーの5着に敗れました。

1990 ローズS 

秋にはエリザベス女王杯のトライアルであるローズステークスに出ると、オークス優勝馬のエイシンサニーを抑えて1番人気に支持されます。

しかし、先行3番手を進みましたが、有利な状況にも関わらず、5着に敗れてしまい、その後、フレグモーネを発症したダイイチルビーは4歳秋を全休することとなってしまいました。

5歳シーズン(1991年)

古馬となった、ダイイチルビーは伊藤調教師の決断で短距離路線を進むことになります。

ところが、復帰戦の洛陽S(もちろん1600m)で河内騎手に乗り替わりもあり、スタートで大きく出遅れてしまいます。関係者が大きく落胆するなか、直線に入ったダイイチルビーの末脚が爆発、勝ち馬にわずか半馬身の2着に食い込む健闘をみせました

1991 京都牝馬特別

ここで、本来の適性距離と適性脚質が確定したルビーは京都牝馬特別(G3、1600m)で上がり3ハロン34秒3で重賞初勝利をとげました。

1991.2.24 中山牝馬S 

3月の中山牝馬ステークス(G3、1800m)はやや距離が長かったか3着でしたが、ここからいよいよ古馬短距離路線の王道を進むことになります

京王杯スプリングC 

4月の京王杯スプリングカップ(G2、1400m)ではバンブーメモリーやサクラホクトオーといった牡馬のGI勝馬を相手に見事に直線一気を決め、2着に1馬身3/4差の勝利しました。

第41回安田記念

安田記念(G1、1600m)では単枠指定のバンブーメモリーに次ぐ2番人気に支持されました。

レースはシンボリガルーダが1000メートルを57秒6で通過し、速いペースになりました。
最終コーナーを曲がって直線に向くと先頭に立ったレオプラザとダイタクヘリオスをバンブーメモリーが一気に追い込んできました。

しかしほとんど最後方にいたダイイチルビーが、両馬を並ぶ間もなく一気に抜きさり、ゴールしました。

ついに牝馬で初めて、G1安田記念を獲得した瞬間でした。

1991高松宮杯(GII)

この年、既に5戦していたダイイチルビーでしたが、G2高松宮杯を狙います。当時2000メートルとこの時のルビーにはちょっと長い距離でしたが、母ハギノトップレディ、祖母イットーに続いて、親子3代での同一重賞制覇は一族の至上命題でした。

GI安田記念優勝の快挙を成し遂げたダイイチルビーは1.4倍の大本命となりましたが。ダイタクヘリオスをハナ差捕まえきれずに2着に終わってしまいます。

1991 スワンS 

秋になるとダイイチルビーは、短距離路線第一弾のスワンステークスに1番人気で出走します。
レースでは、いつもどおり直線一気を決めかけたとき、それを上回る末脚で抜き去った馬がいました。それが、当時無名の外国産馬、ケイエスミラクルでした。1分20秒6というレコード。、ルビーに新たな強敵が出現した瞬間でした。

1991 マイルCS(GI)

続くマイルチャンピオンシップ(G1 1600m)では1.8倍の大本命となります。
しかし、スタート前に暴れてまたもや出遅れてしまいます。

ケイエスミラクルの追撃を封じるのに苦労しつつ、伝家の宝刀を抜き、馬群の先頭をうかがうものの、ダイタクヘリオスに振り切られ、またもや2着に。

1991年 スプリンタースS

そして、暮れの短距離路線の総決算(当時)のスプリンターズステークス。

ダイタクヘリオスは有馬記念に選ばれていたため出走しませんでした。

マイルチャンピオンシップでは3着でしたが、スワンステークスを含めて3回レコード勝ちのあるケイエスミラクルが2.2倍の本命になりました。

ダイイチルビーは出遅れ癖が心配されて2番人気でした。

日本レコードホルダーのサクラミライを含め、この3頭によって間違いなく日本記録が更新される、どのぐらいの記録が出るだろうかと、周囲の期待が高まりました。

珍しく無難なスタートを切ったダイイチルビーは、後方に待機します。

そしてレースはトモエリージェントが、前半の600メートルを32秒2という破壊的なペースで逃げる展開に、サクラミライも逃げることすらできません。

最後の坂の下で岡部幸雄がケイエスミラクルに鞭を入れて追い出そうとした瞬間、ケイエスミラクルが大きくバランスを崩します。

すぐ後ろに詰めていたダイイチルビーは大きく左へ進路をかわしつつも、切れ味鋭い末脚が爆発、

すぐに先頭に立ち後続を離し優勝しました。

優勝タイムはサクラミライのレコードと同タイムの1分7秒6でした。

なお、サクラミライは15着(完走馬中最下位)に終わり、競走を中止したケイエスミラクルは粉砕骨折、予後不良と診断されて安楽死。

まさに、歴史に残る壮絶なレースとなったのでした。

旅の終わりに

1991年の中央競馬で、GI競走を2勝したのはこのダイイチルビーとトウカイテイオーだけでした。
混合競走のGI2勝という成績で、ダイイチルビーは最優秀古牝馬に選ばれ、同時に最優秀スプリンターにも選ばれました。

日本でグレード制が導入されて以降、古馬の混合GIを2勝以上した牝馬はダイイチルビーが初めてでした。

ダイイチルビーは、1992年も現役を続行しましたが、3戦して振るわず引退することになります。

前年のスプリンターズステークスの激走で燃え尽きてしまったのではと、ファンも心配していた時の決断でした。

競走引退後は非常に期待されて繁殖牝馬となりましたが、目立った産駒は出生しませんでした。 

2007年4月26日に蹄葉炎のため死亡。

“華麗なる一族”なんて、「人間が勝手に決めているだけのことなのよ」とでも言うように。

それでも、現役時代、その懸命に駆け抜けた姿は、多くのファンの目に焼きついています。

いまだに、忘れられない銘牝であることは間違いありません。

またこの血統が地下水脈のように、ほそぼそと隠れるようにつながり、いつか蘇るこは充分あり得ることなのです。
ブラッドスポーツの奇跡を信じることができるのが、この世界の最大の魅力でもあるのです。

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競馬 1970年代 1990年代

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