千葉県の手賀沼に建設されるはずだった幻の「手賀沼ディズニーランド」とは?
日本を代表するアミューズメントパークの一つである、千葉県浦安市の東京ディズニーランド。皆さん一度は足を運んだことがあるかと思います。東京ディズニーランドが開業したのは1983年のことですが、それから遡ること20年以上前に、千葉県の手賀沼周辺に「手賀沼ディズニーランド」なるものが計画されたのをご存知でしょうか?
当時の計画図はこちらです!!
こちらは当時の「施設計画図」。ディズニーお馴染みのキャラクターとともに、施設のイメージ図が描かれています。この記事では、高度成長期に計画されたものの、結局幻に終わった手賀沼ディズニーランドについて書いてみたいと思います。
1959年、風光明媚な手賀沼を一大リゾートにする計画が持ち上がる!!
千葉県北部に位置し、柏市、我孫子市、白井市、印西市にまたがる手賀沼。戦前は別荘地として有名であり、風光明媚な場所として人気を博していました。そして1959年、高度経済成長の波に乗り「手賀沼に大型リゾート施設を建設しよう」という計画が持ち上がります。
こちらは当時の新聞。

翌1960年、計画を現実のものとするために「全日本観光開発株式会社」が設立。「ロサンゼルス郊外のディズニーランドの規模を参考として事業を進める」とし、地元の柏市や我孫子町(現:我孫子市)なども開発に乗り気でした。

複合レジャー施設を予定していました。
計画ではディズニーランドを核とした複合施設を予定しており、ディズニーランド(計画時は「おとぎの国」という名称)に加え、ヘルスセンター(健康ランド)、スポーツ施設、スクールロッジ、ヘリポートなども整備した巨大レジャーランドにすることとなっていました。
しかし、計画が頓挫する!!
周辺自治体も乗り気であり、計画は順調に進んでいると思われた1963年、計画は急にあらぬ方向へと向かい始めます。計画に最も乗り気であった柏市では、地主の協力が得られず土地の買収が思うように進まず、また「開発のために埋立する土地が分譲住宅地になる」といった噂が流れ、開発会社は対応に追われました。

1965年、計画中止が発表される!!
さらに、「手賀沼が遊園地建設に向かないほどに汚染が進んでいる」「そもそも計画が法律(農地法など)に違反している」といった指摘がなされ、1965年に開発会社は計画の中止を発表しました。中止の理由は「手賀沼の汚染」及び「会社の財務悪化」とのことでした。

ディズニーランド開業の際に我孫子市が候補に挙がるも…
そして計画中止から3年後の1968年、千葉県議会において「埋立地については宅地に転用する」という決定がなされ、手賀沼ディズニーランド構想は幻のものとなりました。15年後の1983年、千葉県浦安市に東京ディズニーランドが開業する際にも、計画段階で我孫子市も候補地に挙がったのですが、こちらも実現はしませんでした。

2012年になって当時の資料が公開される!
計画中止から40年以上が経過し、人々の記憶から消えていった手賀沼ディズニーランドですが、2012年に柏市郷土資料展示室でその資料が初めて公開されました。新聞記事や、開発会社による事業計画書、設計図などが展示され、高度成長期に沸いた当時の空気が現代に蘇りました。高度成長期、そしてバブル期と壮大な計画が持ち上がっては消えていった日本。その手の幻となった計画が他にもありましたら、記事にしてみたいと思います。
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