参加メンバー
ビートたけし(39)
ガダルカナル・タカ(30)
そのまんま東(29)
大森うたえもん(27)
ダンカン(27)
グレート義太夫(27)
松尾伴内(23)
柳ユーレイ(23)
大阪百万円(23)
キドカラー大道(22)
サード長嶋(20)
水島新太郎(19)※当時は未成年であったため少年Aと報道
以上の12名
たけしさんの配慮
つまみ枝豆さん16歳
たけしさんは「つまみ枝豆には連絡するな」と軍団メンバーに命令を下しそうです。
枝豆さん若い頃はヤンキーで族でした、また一時は右翼団体「防共挺身隊」にも属していました。(川口市役所に押しかけたり、木刀を持ってソ連領事館を襲撃した経験も)
たけしさんから「何をするか分からないから」という理由で襲撃の現場に呼ばれなかったそうです。
しかし、枝豆さん更にトッポイです、事件後にテレビで放送された会見でフライデースタッフの顔を確認し、単独でフライデーを襲撃するつもりで準備していたとか。
留置場にいたたけしさんが取調官に頼み込んで真っ先に電話をかけて「とにかく動くな」という指示を受け踏み留まったそうです。
※画像はイメージです。
笑える後日談!!
① 写真週刊誌「フライデー」なのに襲撃写真が1枚も無い!
※画像はイメージです。
マジで?と思うかもしれませんが、
事件後の第一報では「本誌編集部で集団暴行した『一部始終』」とのタイトルで、釈放され車に乗り込むたけしさんの姿を掲載しました。
しかし、肝心の襲撃の様子の写真が1枚も掲載されなかったのです。
そう「フライデー」側は襲撃の様子を1枚も写真に撮っていなかったのです。
たまたま”編集部にカメラマンが一人もおらず、編集部員も誰一人カメラを持っていなかった為だったそうですが。
う~ん、
スクープ写真を売りにしている「フライデー」さんにしては、ちょっとマヌケだなという印象でした。
たけしさんが「今から行ってやろうか」と電話をした時点でカメラやビデオの準備をしていなかったの?と思ったのは私だけでしょうか。
ビートたけし フライデー襲撃事件 | 毒女ニュース
②そのまんま東、先陣を切って!
週刊誌ではフライデー襲撃時に東さんが、先頭を切って乗り込んだと報じられていますが、
後のコメントで、たけしさんから集合の連絡があった時に東さんは「イヤだ」と断ったそうです。
すると、たけしさんから「今後は縁がねえと思いな」と言いわれ、
急いで駆けつけ講談社のエレベーターで、ためらいながら最後にエレベーターに乗ったところ結果的に降りるときは先頭になってしまったそうです。
確かにエレベーターの構造上、最後に乗った人は降りる時は先頭ですもんね。
記者会見の映像
その後
1987年6月10日、東京地方裁判所は傷害罪でたけしさんに対して懲役6カ月(執行猶予2年)の判決を下し、控訴しなかったため確定。
なお、たけし軍団メンバーは1987年3月2日に起訴猶予処分。
たけしさんらは芸能活動を再開したが、彼らが出演するテレビ局や所属事務所などに各種団体が抗議に訪れるなど、しばらくは事件の影響が尾を引く形となりました。
1988年、当時のフライデー編集部と神宮草野球場で草野球の交流試合が行われ、正式な和解の場が持たれました。