1972年
ジローズ
第1次ジローズ
1967年、アマチュアバンドとして結成。
メンバーは、杉田二郎(ギター)、塩見大治郎(ギター)、細原徹次郎(ベース)の3人。杉田は立命館大学の学生、他の二人は同志社大学の学生だった。
1968年、大学卒業を機に解散。
第2次ジローズ
1970年、再結成。メンバーは杉田二郎と森下次郎の2人。
1971年、「戦争を知らない子供たち」を発売(発表は1970年)。同年の第13回日本レコード大賞作詞賞を受賞し、代表作となった。
1972年、解散。
メンバー

メンバー 杉田二郎 1946年11月2日(72歳)解散後はソロ活動中心。2014年、堀内孝雄・ばんばひろふみ・高山厳・因幡晃とブラザーズ5を結成。
森下悦伸 本名は森下 悦伸(もりした よしのぶ)ジローズを結成するために強引に改名させられた。解散後は芸能活動を引退し大学卒業後ラジオ関西に入社。ラジオ番組のプロデューサーとなり、同社報道制作局長を務めた後、取締役に就任した。2013年、森下がラジオ関西を退社し、杉田の呼びかけで41年ぶりに再結成が決定。
旧メンバー
塩見大治郎 解散後はソロを経て『ステージ101』の「ヤング101」メンバーを経て、再びソロで活躍することとなる。
細原徹次郎
はっぴいえんど
1969年から1972年まで活動したバンド。
メンバーは凄いんだけど活動期間中には、レコードがヒットしなかったバンドとしても知られている。(松任谷由実は、当時「はっぴいえんど」を知らなかったとも証言している)
1972年解散。1973年と1985年に一時的再結成。
メンバー

細野晴臣(ボーカル・ベース・ギター・キーボード)1947年7月9日(71歳)言わずと知れた世界的、ミュージシャン。
大瀧詠一(ボーカル・ギター)解散後はソロ活動に移行せず、当時のシンガーソングライターとしては異例であるCMソングの制作と、ごまのはえ、布谷文夫など若手のプロデュースを始める。2013年12月30日(65歳没)
松本隆(ドラムス・パーカッション) 1949年7月16日(69歳)アグネス・チャンの「ポケットいっぱいの秘密」で歌謡界に本格進出し、太田裕美が歌った「木綿のハンカチーフ」で作詞家として注目。
鈴木茂(ギター・ボーカル) 1951年12月20日(67歳)解散後から大麻を始め、2009年逮捕されるまで断続的に大麻使用を続けたと自伝で述べている。懲役6ヶ月、執行猶予3年の有罪判決。
1973年
フラワー・トラベリン・バンド
(故)内田裕也とザ・フラワーズがメンバー交代で元4.9.1(フォー・ナイン・エース)のジョー山中(ボーカル)、元ビーバーズの石間秀樹(ギター)、元ザ・タックスマンの上月ジュン(現小林ジュン、ベース)、和田ジョージ(ドラムス)4人による体制になり1970年2月に改名し再出発。
1973年1月に来日するローリング・ストーンズの前座を務める予定だったが、来日は中止になり大きなチャンスを逸してしまう。
1973年2月、アルバム『Make Up』を発表。同年4月、京都円山公園音楽堂で行われたコンサートを最後に解散する。
2007年11月25日付けで、オリジナル・メンバーによる再始動が山中の公式サイト上で発表された。
2008年11月にニューヨーク公演、12月にカナダ公演を行った。
メンバー

石間秀樹 1974年にトランザムを結成。解散後は2007年にインストゥルメンタル・グループ「VIEW」を結成、現在もライブ活動を中心に精力的な活動を展開中。
上月ジュン 解散後はカナダで事業家に転じた。
和田ジョージ- ドラムス
篠原信彦 解散後はトランザムに参加。2009年からは、テレビ朝日『世界の街道をゆく』の番組テーマ曲を担当。同番組のオリジナル・サウンド・トラックが2012年に発売されている。
旧メンバー
千葉ひろし- ボーカル
麻生レミ 2016年現在カナダ在住。
小林勝彦 - スティール・ギター
橋本健 - ベース
内田裕也 2019年3月17日5時33分、肺炎のため東京都内の病院で死去。79歳没。
ジョー山中 2011年8月7日肺癌のため(64歳没)
乱魔堂(らんまどう)
1970年代に活躍したロックバンド。
1972年結成。1973年解散。
メンバー

松吉久雄(ボーカル)元ブラインド・レモン・ジェファーソン
洪栄龍(ギター)元ブラインド・レモン・ジェファーソン。東京都世田谷区出身2018年3月、全編ギターのインプロビゼーションによるインストゥルメンタルアルバム「乱魔童 〜Magical force」を発表。
猿山幸夫(ベース)元ブラインド・レモン・ジェファーソン。東京都出身
矢島敏郎(ドラム)八王子市出身
告井延隆(ギター)強化メンバー。愛知県出身1973年乱魔堂の解散後、中野督夫、細井豊らとセンチメンタル・シティ・ロマンスを結成2013年センチメンタル・シティ・ロマンスを脱退。
上村律夫(キーボード)強化メンバー
山崎隆史(ギター)元ブルース・クリエイション、頭脳警察。東京都出身
青い三角定規
1971年に結成されたフォークグループ。
1972年、日本テレビ系列で放送された青春ドラマ『飛び出せ!青春』の主題歌・「太陽がくれた季節」が売上げ100万枚を越える大ヒットとなり(メーカー公表)、同年に『日本レコード大賞』新人賞を受賞、NHK『紅白歌合戦』(第23回)にも初出場を果たす(ただし、メインボーカルが女性の西口であるにも関わらず、紅組ではなく、白組での出場となった)。
その後、メンバー間での方向性の違いから解散。
岩久と西口の2人で2008年1月に再結成した。
再始動第1弾LIVEが2008年2月25日に行われた。
2010年8月21日にはNHK『第42回思い出のメロディー』にソロで出演し「太陽がくれた季節」を披露した。
メンバー

西口久美子 1950年11月1日(68歳) グループ解散後はソロ歌手・女優として活動。
岩久茂 解散後は作曲家として活動。1979年から1989年の間は秋吉久美子と結婚していたが離婚。
旧メンバー
高田真理 2006年9月26日埼玉県入間市の団地の12階から飛び降り自殺を図り死亡。59歳没。
村八分(むらはちぶ)
1969年、アメリカ放浪から帰国した柴田和志と、ザ・ダイナマイツを解散したばかりだった山口冨士夫を中心に京都で結成。
1972年11月23日、慶應義塾大学三田祭野外ステージでコンサート(後年、この音源はCD化されている)。
1973年8月25日、解散。
1990年11月23日、柴田が「村八分」を名乗り京大でコンサート。以降、柴田は断続的に「村八分」として活動する(ただし、柴田以外の以前のメンバーは一切参加しておらず、また、柴田以外のバンドメンバーはその時々によって異なり、実質的には柴田のソロ活動的な色彩が強かった。
メンバー

柴田和志 (ヴォーカル)1994年、柴田和志が死去
山口冨士夫 (ギター)2013年7月14日喧嘩の仲裁に入った所、突き飛ばされて後頭部を打ち同年8月14日に脳挫傷のため死去64歳没。
加藤義明 (ベース、ギター)1972年8月加入。
エーイチ (ベース)(3代目)
榊原敬吉 (ドラムス)通称、某。日本画家、榊原紫峰の孫。息子の榊原良太もドラマーとして活動。
旧メンバー
浅田哲 (ギター)2000年8月17日 食道癌で死去。
青木真一 (ベース) 2014年12月18日、肺炎のため死去。63歳没
恒田義見 (ドラムス)脱退後ブラインド・バードに参加。その後、ハルヲフォン、ペグモ。
上原裕 (ドラムス)2002年にはココナツ・バンクを再始動させた。
渡辺作郎 (ドラムス)(3代目)。通称カント。
村シゲト (ドラムス)(4代目)
1974~1975年に解散してしまった!!日本のバンド・グループ・ユニット!! - Middle Edge(ミドルエッジ)
1976年に解散してしまった!!日本のバンド・グループ・ユニット!! - Middle Edge(ミドルエッジ)