中嶋悟

国内ドライバー時代(1973~1986年)
中嶋悟プロフィール
出身地 愛知県岡崎市
生年月日 1953年2月23日(66歳)
高校在学中にレーシングカートを始め、数戦のレースに参加し優勝も経験。
1973年の鈴鹿シルバーカップ第1戦でレースデビュー(決勝3位)。
F1マシンの初ドライブは、1982年に全日本F2の一戦である「JPSトロフィー」で優勝した副賞として、当時JPSがメインスポンサーだったロータスのテストを行ったのが最初。
34歳にしてタイのプリンス・ビラに次ぐアジア人として2人目、日本人初のフルタイムF1ドライバーになる。
1991年引退レースとなった最終戦のオーストラリアGPは、くしくも4位入賞。
実業家・歌手・タレント活動
有限会社中嶋企画代表取締役社長。
株式会社日本レースプロモーション(JRP)の取締役会長。
1990年11月21日、キティレコーズ(現 ユニバーサルミュージック)から「悲しき水中翼船」で歌手デビュー。
その他、モータースポーツの解説やCM・著書なども出されています。

中嶋 悟 (2008年)
鈴木亜久里

お若い頃の鈴木亜久里選手
鈴木亜久里プロフィール
出身地 東京都板橋区
生年月日 1960年9月8日(58歳)
1972年にカートレースデビュー。
F3に1979年から当時の最年少デビュー(18歳)で全日本F3選手権に参戦。
1988年10月に行われた日本GPに、中耳炎により急遽欠場となったヤニック・ダルマスの代役として、ラルースチームからスポット参戦という思わぬ形でF1デビューを飾る。
1990年日本GPでは上位勢がクラッシュなどで離脱する波乱のレースを、一時はファステストラップを記録して生き残り、ついに3位初表彰台を獲得し日本人初の表彰台。
1995年日本GPに臨んだ。予選後には引退会見を行うつもりだったが、予選2日目のアタック中にS字コーナーでクラッシュを喫して肋骨骨折・肺挫傷の重傷を負った。翌日のレースを走ることなく、亜久里はF1から引退することになった。
実業家・タレント活動

鈴木 亜久里 (2008年)
株式会社アルネックス代表取締役。
モータースポーツの解説の他、多くのCMにも出演。
片山右京

お若い頃の片山右京さん
片山右京プロフィール
出身地 神奈川県相模原市
生年月日 1963年5月29日(55歳)
1983年にFJ1600筑波シリーズでデビュー。
1985年には全日本F3選手権にステップアップし、ランキング6位の成績を残す。
1992年ラルースチームから、中嶋、鈴木に次ぐ日本人3人目のF1レギュラードライバーとして参戦。
1994年開幕戦ブラジルGPで5位入賞し初ポイントを獲得。
1997年この年の日本GPでF1引退を発表、最終戦をもって引退した。
2014年からはグッドスマイルレーシングがエントラントとなり体制変更を受けてチーム監督に就任した。
タレント・俳優活動

水戸黄門(松平忠雅役)
神奈川県相模原市の名誉観光親善大使、白山ジオトレイル名誉顧問を務める。
大阪産業大学工学部客員教授。
現役時代には子供番組「ウゴウゴルーガ」にゲスト出演。
F1引退後はフジテレビのF1中継番組「F1グランプリ」に解説者のひとりとして出演し、熱い語り口を聞かせている。また、am/pmなどのテレビCMや様々なバラエティ番組、ドラマ『水戸黄門』に出演するなど、タレント・俳優としての活動も行っている

ヒロ松下
ヒロ松下プロフィール
本名 松下 弘幸(まつした ひろゆき)
生誕 1961年3月14日(57歳)
出身 兵庫県神戸市
パナソニックの創業者である松下幸之助の孫。
モトクロスやシビック・ワンメイクレースなどを経て、1986年にアメリカに渡り、フォーミュラ・フォード、IMSA GTP、フォーミュラ・アトランティック(後のアトランティック・チャンピオンシップ)、ARSなどに参戦。
1998年シーズンを以てCARTから引退し、その後はル・マン24時間や、バハ1000などのオフロードレースにスポット参戦。
インディ500に参戦した初の日本人ドライバーで、過去最高位は6位入賞(1994年)。
実業家に転向

神戸メリケンパークデモフライト時のヒロ松下 (7月21日2018)
現在は南カリフォルニアに本拠を置く、レースカーやエアロスペース関係の設計・製造を行うスウィフト・エンジニアリングにて会長兼CEOを務める。
スウィフト・エックスアイ株式会社を2018年に立ち上げ,航空宇宙工学サービスを主な事業としているベンチャー企業にて代表取締役会長を務める。
脇阪寿一

お若い頃の脇阪寿一選手 右側
脇阪寿一プロフィール
生年月日 1972年7月29日(46歳)
出身地 奈良県奈良市
実弟は、同じレーシングドライバーの脇阪薫一。
1996年に全日本F3選手権でシリーズチャンピオンを獲得。
2002年にはJGTCシリーズチャンピオンを獲得。
2004年からはお笑い芸人のダウンタウンの浜田雅功のオファーを受けて吉本興業とタレントマネジメント契約を結び、吉本興業所属タレント初のレーシングドライバーとなった。
2016年にSUPER GTを引退。同時にチームルマンの監督へ就任。
レーシングドライバー・監督・タレント活動

2004年以降、吉本興業所属のタレントとしてバラエティ番組を中心に数多く出演。
吉本大樹
吉本大樹プロフィール
生誕 1980年9月2日(38歳)
出身地 大阪府大阪市
、レーシングドライバーとしては「ひろき」の呼称を、ミュージシャンとしては「だいき」の呼称を使用している。
1999年 - レーシングドライバーとしてデビュー。FJ1600鈴鹿選手権・TI英田選手権参戦(優勝1回)。
2000年 - フォーミュラ・トヨタに参戦。
2018年
SUPER GT GT300クラスに5年目となるTeam LM corsaからLEXUS RC-F GT3で参戦。第4戦タイラウンドでは、60号車としてLEXUS RC F GT3にマシンが変わって初の3位表彰台を獲得。
ニュルブルクリンク24時間レースSP8クラスにNOVEL RacingからLEXUS RC Fで参戦。
レーシングドライバー・ボーカリスト活動
2004年徳永暁人、大田紳一郎とdoaを結成。6月「deadstock」でインディーズデビュー、7月「火ノ鳥のように」メジャーデビュー。
吉本大樹オフィシャルウェブサイト | Hiroki Yoshimoto OFFICIAL WEBSITE
神子島みか
神子島みかプロフィール
生年月日 1986年5月17日(32歳)
出身地 東京都国分寺市
父はレーシングドライバーの神子島隆。
小学2年でレーシングカートを始め、中学までにタイトルを多数獲得。
2005年よりFJ1600に参戦、同年のFJ1600・富士シリーズチャンピオンを獲得。
2011年以降、しばらくレース活動を行わず、芸能活動に専念していた。
2012年にはスーパー耐久(第4戦・第6戦)にスポット参戦し、ドライバー活動を再開している。
2015年8月8日に入籍、妊娠を発表。
2016年2月、第一子出産を発表。
レーシングドライバー・ファッションモデル・タレント活動

20歳頃から2013年に至るまでおよそ7年半にわたって雑誌『小悪魔ageha』に登場。
レーサーの活動と併行しながらのモデル活動で、“サーキット界の浜崎あゆみ”と呼ばれている。
最後に・・・
いかがだったでしょうか?
機会があれば違うスポーツもまとめてみたいと思います。
男女プロゴルファーの傍らタレント活動もされてる選手!! - Middle Edge(ミドルエッジ)
相撲の力士から第2の人生を職替えをした有名人の方々!! - Middle Edge(ミドルエッジ)
ラグビー選手から第2の人生をタレントに転向した有名人!! - Middle Edge(ミドルエッジ)