マイケル・ボルトンとは

日本では『バラードの貴公子』や『バラードの帝王』などと呼ばれ親しまれているマイケル・ボルトン。
AORのトップシンガーであるマイケル・ボルトンは、全世界で5,000万枚以上の売上を誇り、ビルボードチャートで8枚のアルバムがトップ10入りし、2枚のシングルがトップとなっています。
グラミー賞には4回ノミネートされ、そのうち「最優秀男性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス (Best Pop Vocal Performance)」を2度受賞。アメリカン・ミュージック・アウォーズでは6回も受賞を果たしています。
今でも根強い人気のあるマイケル・ボルトンですが、今回は最も活躍した1990年代の楽曲を中心に振り返ってみたいと思います。
マイケル・ボルトン 公式ホームページ
Michael Bolton | Home
マイケル・ボルトンの名曲を聴き直す
抜群の歌唱力を持つマイケル・ボルトンなので、それこそ名曲の数が多いのですが、今回はそんな中から代表的な曲を選択してみたいと思います。
カバー曲が多い印象があるマイケル・ボルトンですが、お世辞ではなく原曲を超えるだけの歌唱力を披露しています。
早速聴き直してみましょう(^^)/
1989年 How Am I Supposed To Live Without You

この曲こそマイケル・ボルトンの代表曲であり、彼をトップスターにしたシングルです。
大ヒットアルバム『Soul Provider』に収録されている楽曲であり、マイケル・ボルトンはこの曲でグラミー賞(Best Pop Vocal Performance)を受賞します。
まさにマイケル・ボルトンの転機となった曲でした。
マイケル・ボルトンといえばこの曲!という方も多いのではないでしょうか?
私が初めてこの曲を聴いた時は、なんだか心が温まる様な感覚がありました。
素晴らしい名曲です。
1990年 Georgia On My Mind

ジョージア州出身のレイ・チャールズが歌唱したことでお馴染みの「Georgia On My Mind」ですが、この曲はジョージア州の公式の州の歌と指定されています。
マイケル・ボルトンはこの曲をカバーし、アルバム『Soul Provider』に収録しました。
抜群の歌唱力で歌いあげており、レイ・チャールズにも引けを取らない内容となっています。
この曲は賞には輝きませんでしたが、1990年のグラミー賞にノミネートされています。
1991年 When a Man Loves a Woman

マイケル・ボルトンはこの曲で2度目のグラミー賞(Best Pop Vocal Performance)を受賞します。
この曲はもともと1966年にパーシー・スレッジがデビュー・シングルとして発表した楽曲であり、数多くの著名なシンガーにカバーされている名曲中の名曲です。
個人的に思うのですが、マイケル・ボルトンが『バラードの帝王』と呼ばれる様になったのは、この曲が決定的だったのではないか?と思います。確かに数多くのバラードを歌唱しているマイケル・ボルトンですが、この曲の歌いこなしはハンパではありません。
まさに過去の偉大なシンガー達に対する挑戦でもあり、それを乗り越えた証でもある様に思えます。
1994年 Said I Loved You...But I Lied

マルチプレミアとなったアルバム『The One Thing』からファーストシングルとしてリリースされたこの曲は、 Hot Adult Contemporary Tracksチャートのナンバーワンを12週間もキープした驚異的な記録を持っています。
1994年のグラミー賞にノミネートされたこの曲は、まさに至高のバラードといえるのではないでしょうか?
マイケル・ボルトンを聴き直してみて
いかがだったでしょうか?マイケル・ボルトンは。
初めて聴いた方は、その圧倒的な歌唱力に驚かされたのではないかと思います。
マイケル・ボルトンは自身のキャリアの中でバンド活動だった時期がありますが、その時はあまり売れていませんでした。そしてAORというジャンルでソロ活動をする様になり、メキメキと頭角を現すようになりました。
もしかしたら、その歌手の歌声に合うジャンルというものがあるのかもしれませんが、確実なキャリアを積んだマイケル・ボルトンは、今やジャンルレスで活躍しています。
ほんとに素晴らしい歌手なので、これからも活躍して頂きたいと思います。