村木賢吉について
民謡経験に裏打ちされたしっかりとしていて温かみのある素朴な歌声が魅力の村木賢吉さんは、三菱金属鉱業に勤務されていました。
1967年に尾去沢鉱山から直島製錬所に転勤した際、社内で自作の歌を歌っていた佐義達雄さんと意気投合します。
1972年に佐義達雄さんが作詞・作曲した「土方渡世/漁師一代」を真木島人(まき しまんど)の芸名で発売するものの、残念ながら一部に注目されるだけで終りました。
同年に佐義達雄さんが作詞・作曲した「おやじの海」を500枚自主制作するも、その時はヒットしませんでした。
本人も忘れかけていた1977年に、北海道釧路市の有線放送から人気に火がつきます。
その後、数か月で全国に広がり、1979年の大ヒット曲となりました。
流石に民謡で培ってきた経験のある方で、抜群の歌唱力です。
染み渡る様な歌声には、聴いていてなんだかホッとする感じを受けます。
「おやじの海」の受賞歴
発売当初は打てど鳴らずだった「おやじの海」ですが、結果的には140万枚以上の売上となり、全日本有線放送大賞最優秀新人賞を受賞します。村木賢吉さんはこの時47歳くらいの筈です。凄いですよねぇ!
また、作詞・作曲した佐義達雄さんも日本作詞大賞大衆賞を受賞します。
そして、1979年に行われた第21回日本レコード大賞で企画賞も受賞しました。
これって最近のバンドでいえば、インディーズでリリースした曲が賞をとっているのと同じことなんだと思います。アマチュアからの大ヒットですから、大変素晴らしいことだと思いました。
村木賢吉の現在は?
三菱金属鉱業を退社して歌手業に専念することになり、2007年頃まで民謡教室を主宰する傍ら歌手活動を続けていました。
懐メロ番組などで時折以前と変わらない声と姿を見せていたが、2007年以降は原因不明の病で高音声域の声が出なくなり、現在は歌手活動は行っていないそうです。
村木賢吉の「おやじの海」を聴いてみる
イントロで流れる"ヨイショ! ヨイショ!"は気持ちが良いですよねぇ(^^)/
また、村木賢吉さんの少し渇いた歌声がとても耳障りが良く、温かさを感じます。
この曲は1972年に自主製作され、それが6年後には北海道釧路市で有線放送から人気に火が付き、数か月で全国に広がるわけですから、判らないものですねぇ(^^)/
1972年にはシングルとして再発売したところロングヒットとなりました。
ちなみに、1998年には直島町文化協会から直島町への寄贈で、つつじ荘に「おやじの海」の碑が建てられました。
その他の歌手の歌う「おやじの海」を聴いてみる
誰からも愛されるこの曲は、多くの歌手にカバーされています。
それではさっそく聴いてみましょう(^^)/
福田こうへいの「おやじの海」
福田こうへいさんは、お父様が民謡歌手の福田岩月さんであり、福田こうへいさんも23歳から民謡を習い始めました。
民謡を学んだ方だけあって、この「おやじの海」を完璧に歌いこなしているのがわかります。
大変お上手ですねぇ(^^)/
島津亜矢の「おやじの海」
初めて女性が歌う「おやじの海」を聴きました。
聴く前は女性らしさのある優しい歌い方をイメージしていたのですが、聴いてみるとなんとも力強く歌っており、ちょっと面喰いました(笑)
島津亜矢さんの力の籠った「おやじの海」は、本家とは別の良さを感じました(^^)/
杜の音シンガーズの「おやじの海」
杜の音シンガーズとは、BS-TBS「日本名曲アルバム」から誕生した東京藝術大学在学・卒業、大学院在学・修了の若手声楽家たちによる混声合唱団です。
合唱による「おやじの海」はこんなテイストになるんだなぁ・・・感心しました。
穏やかでそれでいて伸びのある歌声が、「おやじの海」をまた別の曲へと進化させている様にも思えます。
合唱とはこんなに素晴らしいものかと思いました(^^)/
「おやじの海」を聴き直してみて
村木賢吉さんの「おやじの海」はいかがだったでしょうか?
民謡に裏打ちされた確かな歌唱力で、見事な歌いっぷりだったと思います。
こういった日本の持ち味である遺伝子レベルで懐かしいと思える曲は、これからも歌い継がれていって欲しいものですね(^^)/
なんだか演歌が聴きたくなってきました(笑)
また、これを機会にちょっと民謡も意識してみたいと思います。
最後までお読み頂きありがとうございました!