稀勢の里が引退
稀勢の里がとうとう引退となりましたね。
ケガで苦しんで苦しんでの引退だったと思います。
さっそく稀勢の里のことを振り返ってみましょうか(^^)/
稀勢の里とはどんな力士だったのでしょうか?
72代横綱 稀勢の里寛
茨城県牛久市出身の稀勢の里 寛(きせのさと ゆたか)は、田子ノ浦部屋所属の第72代横綱でした。
本名は萩原 寛(はぎわら ゆたか)さんといいます。
得意手は左四つ・寄り・突き・押しと、生まれつき左利きであった為、練習で両利きにはなったものの、主に左手を使っていました。
身長188cm、体重178kg、血液型はB型。趣味はスポーツ観戦、好きな食べ物はのっぺい汁、焼き鳥、フグ刺し、紀州南高梅だそうです。
昔ながらの力士として、多くの方から愛された方でした。
初土俵と入幕
2002年3月場所に初土俵を踏み、2004年11月場所には入幕しました。
十両への昇進は貴乃花に次ぐ年少2番目の記録(17歳9か月)でした。また、同じく貴乃花に次ぐ年少2番目の記録(18歳3か月)で番付を駆け上がり、新入幕を果たします。
十両から幕内までに涙を流す時があったと聞きますが、そこで飛躍するところが稀勢の里の強さの様に思います。
横綱、そして引退へ
稀勢の里が横綱になることで、2003年1月場所で引退した貴乃花以来、14年間途絶えていた日本出身の横綱が誕生しました。また、茨城県出身力士としては実に75年振りに誕生した横綱でした。
2000年3月場所以来17年振りとなる4横綱が揃い、大いに盛り上がりましたね(^^)/
2019年1月16日、稀勢の里は引退を表明しました・・・
横綱になってからは、ケガに泣いて泣いての取り組みだったと思います。それでも期待に応える為、精一杯活躍してくれた立派な横綱だったと思います。
横綱、お疲れ様でした!
そして今までありがとうございました!!
ゆっくり休んでくださいね。
稀勢の里 最後の取組
平成の横綱の最後の取組
他にも7人の横綱が平成で活躍して引退しました。
どの横綱も立派な力士だったと思います(^^)/
さっそく振り返ってみたいと思います!
63代横綱 旭富士正也
初土俵と入幕
初土俵が1981年1月場所、入幕したのが1983年3月場所でした。
実質無条件(体重別選手権に上位入賞する程度)であった幕下付出基準を満たす前に中退したため、20歳でありながら前相撲から始めるという当時としては珍しい角界人生の幕開けだったそうです。
しかし、努力の甲斐があり、新十両まで7場所と十二分なスピード出世を果たしました。
横綱、そして引退
横綱の土俵入りは、人数が少なく「短命」のジンクスが有る不知火型を敢えて選びました。
これには所属する立浪一門が代々不知火型を採用していた(羽黒山・吉葉山・双羽黒)という事情もあったそうです。
土俵入りの指導は一門外の佐渡ヶ嶽親方(元横綱・琴櫻)が行いました。
1992年1月場所で引退。稀勢の里同様に初日からの3連敗を喫しています。
膵臓の病もあり、負けが込んでしまった旭富士は僅か9場所の短命横綱に終わりました。
短い期間ではありましたが、歴史に名を遺す横綱だったと思います。
旭富士 初優勝の瞬間
64代横綱 曙太郎
初土俵と入幕
初土俵は1988年3月場所、入幕が1990年9月場所でした。
当初ハワイの大学でバスケットボールをやっていたのですが、大学でコーチと対立し中退してしまいます。その後スカウトされ、相撲界に足を踏み入れることになります。
曙は順調に勝ち進み入幕を果たします。
ちなみに一文字四股名の新入幕力士は1916年5月場所新入幕の明 虎吉(あきらか とらきち)以来74年ぶりであったそうです。
横綱、そして引退
九重親方(第58代元横綱・千代の富士)が土俵入りの指導を行い、雲龍型で横綱土俵入りを果たします。
なんといっても曙は、外国人初の横綱でした。
我々は歴史的な相撲をライブで観れたのだと思います。
そして2001年1月場所で引退・・・
引退会見での曙は「8〜10勝の平凡な勝ち越しなら出来るが、もう優勝争いは不可能」「横綱として足を引きずった惨めな姿で土俵に上がりたくない」と決意したと言っていました。
ここではその後の活動については触れませんが、貴乃花との死闘を繰り広げた横綱曙の姿は、今も目に焼き付いて離れません。
ライバル貴乃花との取組
65代横綱 貴乃花光司
初土俵と入幕
初土俵は1988年3月場所、入幕は1990年5月場所でした。
1989年11月場所、17歳2か月で新十両に昇進。出世に髪の伸びる早さが追いつかず大銀杏が結えず、ちょんまげ姿で土俵に上がったのが話題となりました。
史上最年少の関取として、とにかくお兄ちゃんと一緒に話題になりましたよね(^^)/
入幕後には「若貴フィーバー」と呼ばれ、平成初期の一大相撲ブームの担い手となりました。
物凄い人気であり、女性誌の表紙を飾ることもありましたね。
横綱、そして引退
1994年(平成6年)11月場所後、ついに横綱昇進が決定します。
尚、横綱土俵入りは「雲龍型」を選択しています。当時同じ二所ノ関一門の横綱だった間垣親方と鳴戸親方の二人が主に指導しました。
成績不振や7場所連続の長期休場など、苦労の絶えなかった横綱時代ですが、2003年1月場所で引退を表明。くしくも父親とほぼ同年齢での引退となりました。
引退後には色々とトラブルがあり、苦労されていると思いますが、私は貴乃花が大好きです(^^)/
満身創痍の中、鬼の形相で優勝
66代横綱 若乃花勝
初土俵と入幕
初土俵は1988年3月場所、入幕は1990年9月場所でした。
初土俵以降、順調に出世を重ねていったのですが、弟であった貴乃花には一歩出遅れることになりました。それでもすぐに新十両となり、大活躍しましたね(^^)/
1993年7月場所には最後まで優勝を争い、横綱曙・大関貴ノ花と共に3名で優勝決定巴戦に出場しました。これはほんとに盛り上がりました!
横綱、そして引退
横綱土俵入りでは、後継者が少ない「不知火型」を敢えて選択しました。
短命に終わるというジンクスがある「不知火型」ですが、残念なことにそれが的中してしまいます。
ケガに泣かされることになるんですねぇ。
そして、2000年3月場所。
横綱時代は休場の方が多くかつ横綱の地位で一度も幕内優勝出来ず、十分にその役目を果たせなかった若乃花。
庇うわけではありませんが、色々と心的苦労も多かったのではないでしょうか?
騒がれ過ぎて注目され過ぎて、大変な立場であったと思います。