67代横綱 武蔵丸光洋
初土俵と入幕
初土俵は1989年9月場所、入幕は1991年11月場所でした。
武蔵丸は相撲の経験が無かったのですが、勧誘を受け「大きな体を生かして家計を助けよう」と決心し武蔵川部屋に入門しました。
始めて番付に名前が載った11月場所で7戦全勝の序ノ口優勝を果たします。
その後も順調に勝ち続け、十両を2場所で通過します。
大関昇進時の口上は「日本の心を持って相撲道に精進致します」でした。日本人以上に日本の心を意識してくれた武蔵丸には頭が下がります。
横綱、そして引退
武蔵丸の横綱昇進により、平成時代に入ってからは2例目の曙・貴乃花・若乃花・武蔵丸の4横綱となりました。ちなみに、1996年1月に帰化しており、横綱昇進時は日本人でした。
武蔵丸が横綱に昇進した1999年は、初めての年間最多勝を受賞しました。
武蔵丸には派手さはなかったものの、力士としての本物の強さを感じたものです。
2003年11月場所で引退。
アメフト時代に痛めた首は、ずっと武蔵丸を苦しめていたといいます。加えて手首のケガもあり、苦労した横綱時代だったと思います。
個人的に大好きな横綱でした(^^)/
武蔵丸 引退の時
68代横綱 朝青龍明徳
初土俵と入幕
初土俵が1999年1月場所、入幕が2001年1月場所でした。
15歳からモンゴル相撲を始めた朝青龍は、それはそれは強かったそうです。
相撲留学で、野球などで有名な日本の明徳義塾高校に留学し、高校を中途退学して角界に入門します。
負ける時もあった朝青龍ですが、持ち前の負けん気の強さで入幕を果たします。
頑張り屋さんだったんですよね(^^)/
横綱、そして引退
初土俵から25場所での横綱昇進は、年6場所制では朝青龍が最速でした。凄い事ですよね!
なお横綱土俵入りは、高砂一門伝統の雲龍型を選んでいます。
たしか2003年11月場所限りで武蔵丸が引退したことにより、2004年1月場所の番付で朝青龍は史上8人目の一人横綱となりましたよね。
そして2010年1月場所で引退。
色々とトラブルが絶えなかった朝青龍でした。横綱では史上初の反則負けもあり、良くも悪くも名を残した平成の大横綱だと思います。
あれこれ言われていますが、あれだけの負けん気の強さは見習うところも多かったと思います。
朝青龍 現役最後の取組
70代横綱 日馬富士公平
初土俵と入幕
初土俵が2001年1月場所、入幕が2004年11月場所でした。
日馬富士は、旭鷲山の部屋の先輩にあたる安治川親方がモンゴルで開いた相撲大会に出場し、そこでスカウトされたそうです。
2001年1月に安馬の四股名で初土俵を踏み、翌3月場所には早くも序ノ口優勝(西29枚目・7勝0敗)を果たすという快挙でした。
2004年3月場所には前相撲から20場所で新十両を決め、同年の9月場所には11勝4敗で十両優勝を果たしています。まさに破竹の勢いでしたね。
新入幕の時も見事に勝ち越し、その強さを見せつけることになりました。
横綱、そして引退
日馬富士が横綱になった2012年(平成24年)11月場所は、じつに16場所ぶりに白鵬と共に東西に横綱が並び立つ形となりました。
しかし、2017年11月場所で引退・・・
この時の引退は、不名誉な形であったのは間違いありません。
詳細についてここでは述べませんが、傷害事件を起こしてしまった以上、人格者としても問われる横綱を務め続けることは出来ないのは当然だったと思います。
それでも、日馬富士は立派な横綱として記憶しています。
これからも元気で人生を歩んで頂きたいですね(^^)/
日馬富士の土俵入り
平成に活躍した横綱の引退をまとめてみて
いかがだったでしょうか?
平成の横綱は、皆立派でしたよね!
昭和62年(1987年)に横綱になった北勝海(1992年引退)と大乃国(1991年引退)、まだ現役を続けている白鵬と鶴竜はあえて入れておりませんが、二人にはこれからの活躍を期待したいですね(^^)/
平成ももうすぐ幕を閉じますが、この平成という時代に名を残した名横綱は、きっとこれからも語り継がれていく筈です。
横綱の皆様、本当にお疲れ様でした。
素晴らしい取組をありがとうございました!
それではこの辺で終わりにしたいと思います。
最後までお読み頂き、ありがとうございました(^^)/