
劇団若草とは?
1949年、上山雅輔と妻・深山容子、娘・八重垣緑らにより創設される。俳優養成、マネージメント、公演活動を3本の柱として活動しており、芸能界全般で活躍する人物を数多く輩出している。
現在の社長は伊藤薫氏。
株式会社 劇団若草[]【東京都杉並区】|子供の習い事.net
劇団若草
主な出身者
アン・ルイス
1980年代に「ラ・セゾン」や「六本木心中」「あゝ無情」などの大ヒット曲を放ったアンさん
兵庫県神戸市にアメリカ人の父親、日本人の母親の下に生まれ、横浜市中区本牧に在った米海軍の住宅街ベイサイドコートで育ち、その後、劇団若草に入団し、子役モデルとして活動されています。
1970年の14歳のとき、横浜外国人墓地を散歩中、なかにし礼にスカウトされ、「なかにし礼商会」第一号タレントに。
1971年2月25日に、ビクターレコードよりシングル「白い週末」で歌手デビュー。
2013年4月6日、元夫の桑名正博と息子の美勇士で親子3人共演CDを同年10月に発売すると同時に、これをもって完全にアン・ルイスが芸能界から引退することが発表されました。
石橋蓮司

今では強面俳優の石橋蓮司さんも実は子役時代がありました。
中学生時代の1954年、母親に連れられ当時近所にあった劇団若草に入団されています。
その後は17歳で劇団若草を辞め、東映児童劇団に移籍。

ふろたき大将 石橋蓮司
13歳のとき東映児童劇映画第1回作品『ふろたき大将』で主役デビューされています。
音無美紀子

現在は村井国夫夫人で、若い頃から数々の映画やドラマに出演されている音無美紀子(おとなし みきこ)さん。
6人姉妹の四女として生まれ、高校生の1966年に幼なじみの俳優(故)地井武男さんの勧めで劇団若草に入団されています。
1967年、青春学園シリーズの『これが青春だ』最終回でテレビドラマデビュー。
続けて『でっかい青春』でレギュラーとなられています。
おりも政夫
若い世代の方は『ぶらり途中下車の旅』やレポーターのおじさん、のイメージだと思いますが、ミドル世代の方ならジャニーズ&フォーリーブスのおりも政夫さんではないでしょうか。
おりもさんは14歳のフォーリーブスを結成するまで劇団若草に在籍しファッションモデルをされていたそうです。

オリビアの調べ
色々と探してみましたがファッションモデル時代の写真がありませんでした。
画像はフォーリーブスのデビューシングル『オリビアの調べ』のものです。
キャシー中島
現在ではハワイアンキルトの第一人者で俳優の勝野洋夫人のキャシー中島さん。
1960年の8歳の時より劇団「若草」にて演技指導を受け1969年レナウンのCMでモデルとしてデビューしています。
女優転向を視野に入れてドラマへ出演した際に、共演した当時子役で劇団「若草」の後輩に、あたる杉田かおるさんから「お姉さん演技下手だね」と言われたことで心を痛めて女優転身を諦めた経緯を、2016年1月25日放送の「ライオンのごきげんよう」で、杉田かおるさんがキャシー中島さん本人に言われたエピソードとして発言しています。
キャロライン洋子
多分、50代以上の方しか分からないと思います、キャロライン洋子さんは船舶会社に勤務するアメリカ人の父と日本人の母の間に東京で生まれ育ち3歳の時、兄(黒沢浩)さんと共に劇団若草に入りしています。
主に子役としてテレビ・舞台等で活躍、また、子供モデル(写真モデル)としての活動をしていました。
ドラマデビューは1965年の3歳の時の「パパのおくりもの」。
レコードデビューは1970年の8歳の時の「おしゃまなブンブン」。
1981年オレゴン州立大学入学。程なくしてタレント活動を停止しています。
1986年(昭和55年)、オレゴン州立大学科学部コンピューター科学学科の大学院に入学、大学院修了後はヒューレット・パッカード社に入社しソフトウェア担当として現在も勤務しているそうです。
酒井和歌子

大女優の酒井和歌子さんも劇団若草出身です。
1959年の10歳の時に劇団若草に入団されています。
デビューは1961年の映画『あいつと私』で、たえ子役でデビュー。
その他テレビドラマに出演する傍ら、『女学生の友』などの少女雑誌のモデルとして活躍されています。
斉藤こず恵
別の意味で大物女優の斉藤こず恵さん1971年の3歳の時に劇団若草に入団されています。
因み坂上忍さんと杉田かおるさんは同期にあたるそうです。
1974年にNHK総合で放送された朝ドラ『鳩子の海』で主人公・鳩子の少女時代を演じ、最高視聴率53.3%を記録し天才子役として一躍有名になります。
1976年には歌手デビュー「山口さんちのツトム君」が大ヒット。
当時の斉藤こず恵さんの勢いは凄かったです。
島田陽子
こちらも大女優の島田陽子さん。
8歳の時に熊本から東京へ移住し1965年の中学1年生の時に劇団若草に入団されています。
テレビドラマのデビュー作は1970年度版の17歳で出演された『おさな妻』。
翌年、『続・氷点』では辻口陽子役を演じ最終回の視聴率は42.7%に達し当たり役を得たことで一気に出演依頼が殺到し、しかも出演作は高視聴率を誇ったため、人気女優の座を不動のものに。
松岡きっこ

現在では谷隼人夫人でお馴染みですが、
兵庫県に生まれ東京に移住すると共に劇団若草に在籍、子役として活躍されていました。
1958年からは東映児童演技研修所に入所。
1963年、和光学園高等部一年在学中に東映大作『武士道残酷物語』のさと役。
その後『吸血髑髏船』やクレージーキャッツの映画などに出演。
レギュラー出演した『アイフル大作戦』と続編の『バーディー大作戦』では、それまでエキゾチックな美女を演じることが多かったのとは対照的にコミカルな演技を見せている。
水沢アキ

現在はオスカープロモーション所属の水沢アキさん山脇学園中学校に在学していた14歳のときから2年間、劇団若草に在籍されています。
1972年(昭和47年)10月に「水沢 あき子」(みずさわ あきこ)の芸名でデビュー、源氏鶏太の小説『青空娘』を原作とするTBSテレビドラマ『夏に来た娘』の主演・小野有子役を演じました。
桃井かおり

大物女優の桃井かおりさんも、かつては劇団若草に在籍していました。
その後は文学座付属演劇研究所(養成所)第11期生に研究生として入団。
1971年に映画『愛ふたたび』(市川崑監督)にて浅丘ルリ子の妹役でデビュー。
同年、ATG映画『あらかじめ失われた恋人たちよ』(田原総一朗監督)にてヒロインを演じ、本格的に映画デビューされています。
山本耕史

山本耕史さんのデビューは実は早くて0歳の頃から乳児モデルとして活動されていました。
つまりキャリアは42年。
モデルクラブに所属後、劇団若草を経る。
1987年、10歳の時に日本初演の『レ・ミゼラブル』で少年革命家ガブローシュを演じ舞台デビュー。
なお、同作では16年後の2003年に初演の時から念願だったマリウス役を務めています。
渡辺篤史

『渡辺篤史の建もの探訪』で有名な渡辺篤史さんも子役時代があります。
幼少時代に両親が離婚、母方に引き取られて育ち、小学3年のときに上京、5年のとき茨城なまりを矯正するため、劇団若草に入団されたそうです。
1960年、フジテレビのドラマ『にあんちゃん』でデビュー。翌1961年、同じくフジテレビ『三太物語』に主演、子役として人気を獲得。
最後に・・・
いかがだったでしょうか?
他にも坂上忍さんや杉田かおるさんなど子役で有名だった方々がいらっしゃいますが、私の独断と偏見で選びました、ご了承ください。
また面白そうなネタがあったらまとめてみたいと思います。
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