昭和の芸のひとつ『人間ポンプ』最近は安田里美と園部志郎以外にも!?
『人間ポンプ』。このなんとも即物的なネームングセンスがこの芸のありのままを伝えてくれます。
近年、お笑いコンビ「2700」のツネが人間ポンプを得意技としているようです。ミニトマトを飲み込んで吐き出すというシーンが、時折TVで流れているので若い人でも少しは馴染みのある芸かも知れません。
大正生まれの芸人だった安田里美と園部志郎
しかし、私達が知っている人間ポンプはもっと生々しくて、少し怖いものでしたよね。
金魚を丸呑みして、横っ腹を叩き、再び吐き出す。生物を乱暴に扱っているし、衛生的にも良くないし、今ならSNSの格好の標的ともなりそうな芸ですね。

関東大震災が起こったのが大正12年
昭和時代には人間ポンプを神業の域にまで昇華させた芸人がいました。
それが安田里美さんと園部志郎さんでした。
ともに大正12年生まれで、奇しくも同じ平成7年に亡くなられています。

大寅興行社の見世物小屋(2008年10月)
昭和の芸を強烈に連想させる人間ポンプの達人のお二人。似た芸風ですが、一度もお互いに会うことなくこの世を去ったそうです。
見世物小屋や進駐軍のキャンプで、名人芸を披露していたお二人の人生を簡単にまとめました。

金魚のイラスト
胃を自在に扱えた安田里美
「最後の見世物芸人」と呼ばれた安田里美さんは、大阪の富田林生まれ。本名は山本丑松さんといいます。
生まれながらに身体にハンデキャップを抱え、4歳にして興行師である安田与七さんにその身が委ねられることとなりました。
安田さんは、6才から見世物小屋の舞台に出演。以降、安田興行社の二代目となり、見世物小屋を主戦場として多くのお客さんを驚かせていきます。
人間ポンプでは、一般に広く知られている金魚を飲み込み釣り針で釣って出すのをはじめ、碁石、安全カミソリを扱いました。ガソリンを飲んで火を吹くというのも安田さんの得意技でした。
個人的に一番仰天したのは眼力という技で、バケツを目で持ちあげ、さらに振り回すというものでした。技術力もですが、まずそれをやろうと思いついたことに驚いたのを覚えています。
安田さんは胃の中に感覚があったそうで、胃を動かし、自在に物を出し入れしていたようです。
安田さんに関しては、彼を追ったドキュメンタリー映画や書籍もあり、後述する園部志郎さんに比べ、資料が多く残っているので、ご興味のある方はご覧ください。
なお、「ゴム手袋鼻息割り」などで知られ、先ごろ休養を発表したエスパー伊東さんは、子供の頃に人間ポンプに影響を受け、技に挑戦するも、結局会得できなかったそうです。

「見世物稼業―安田里美一代記」
海外公演にも挑戦した園部志郎
“大道芸の人間国宝”と称された園部志郎さん。茨城県 東茨城郡常北町生まれとされています。
人前で芸を披露し始めたのは15歳の頃からでした。小学生の頃にご自身の特殊体質に気づき、そこから練習を重ねたそうです。
戦後になると進駐軍のキャンプをまわり、腕を磨きました。
園部さんも安田さんと同じく、碁石を飲み込んだりしています。客の注文に応じて白黒選別して出したり、人間業とは思えない能力を発揮しています。
さらにベンジンを胃まで飲み込み連続6発の火炎弾を噴き出したりするなど、お客さんには超能力に近い印象を与えたのではないでしょうか。

「人間ポンプ ひょいとでてきたカワリダマ園部志郎の俺の場合は内臓だから」
上記の書籍「人間ポンプ ひょいとでてきたカワリダマ園部志郎の俺の場合は内臓だから」の作者の筏丸 けいこさんは、浅草で観た園部さんの芸に惹かれ、8年間にわたってインタビューを続け、彼の人生を伝記としてまとめられました。
タイトルと表紙のイラストも秀逸で、これぞ人間ポンプ!とひと目で分かるものに仕上がっています。
また、園部さんは大道芸の催しにも積極的に参加されています。
昭和61年の初回から今も続く、野毛大道芸の初期にもご出演され、さらには海外公演にも挑戦されています。お亡くなりになる平成7年、初の海外公演にパリ郊外で開催された大道芸フェスティバルを選ばれ、見事に高い評価を獲得しています。
本稿で特集した人間ポンプの安田里美さんと園部志郎さん。
ますます昭和は遠くになりにけりの昨今ですが、時代は変われど伝えていきたい昭和の名人芸でした。