1993年 米騒動
平成の米騒動と呼ばれました
お米が急速に不足した年でした
1993年 米騒動の経緯
1993年のエルニーニョ現象発生
米の緊急輸入を決定
各地で「売り惜しみ」が発生
食料自給率の低下も危機感を助長
1990年代に流行したスイーツといえばティラミスやナタ・デ・ココ、パンナ・コッタ。90年代の流行スイーツをまとめてご紹介。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
全国的な米不足のなか、米のばら撒きで一躍脚光を浴びた人も!
当時、家電製品の安売りで知られた城南電機の社長宮路年雄が「日本人は日本の米を食いたいんじゃ」と、あきたこまちのヤミ米を秋田県で買い付け、買付価格の半額という原価割れの激安価格で売り出し、店の前には大変な行列が出来るなどの狂乱的状況が発生。行政指導を受けた。
現金一括即払いで一世風靡!!「城南電機の宮路社長」 | Middle Edge(ミドルエッジ)
タイ米と日本人
形状と特徴が異なるタイ米と日本米
タイ米はカレーに合うんです - Middle Edge(ミドルエッジ)
日本の混乱がタイに飛び火する事態も
この不作への対応として政府が各国に米の緊急輸入の要請を打診した。この打診にタイ政府はいち早く応え、日本国政府は「取りあえず、保管している米を輸出して欲しい」と要請。
タイ王国政府は、自国の備蓄在庫を一掃する形で日本国政府の要請に応えている。当初日本国政府は、日本人の味覚に合ったアメリカ産米や中国産米を主食用として、タイ米を加工用原料として輸入することを考えていた。
しかしタイ米に比べ、アメリカ産米や中国産米は輸入量が揃わず、結局主食用にもタイ米を流通させざるを得なかった。
しかし大量に輸入したタイ米は、日本人の嗜好や、国内の炊飯器や調理方法に適合せず、かつての臭くて食感が悪かった「南京米」の記憶が残っていたことなどから不人気であった。
また「タイ米の米袋から錆びた釘が発見された」と、些少な事例をとりあげた偏見報道(報道被害・風評被害)なども起こってしまう。
当然タイ国内では米価格が高騰して、貧困層に餓死者も出るなど混乱が生じたにも関わらず、事態終息以降に大量に売れ残ったタイ米は、不法投棄されたり家畜の飼料にされたりするなど、産業廃棄物(食品廃材)として処理され、タイ国内の混乱を知る者からはこれを悲しむ声も挙がっている。
一方ではタイ米を活かした料理の啓蒙も
外食産業ではタイ米の調理法などの勉強会が各地で催された。近年東南アジア料理が日本に広まっている傾向により、あえてインディカ米の持つ特徴を生かし炒飯やカレー・パエリア等にタイ米に注目して使用するというレストランや外食産業店が増えることになった。
セブンイレブンなどでは、豊富で安価なタイ米を生かして、一般の弁当より低価格なジャンバラヤなど、積極的なタイ米弁当のメニューを、年度内はラインナップに挙げていた。
米輸入自由化の契機となる
従来、日本政府は国内農家保護のために、米の全面的な輸入禁止を行っていたが、同騒動により緊急輸入をせざるを得なかった。
しかしこの緊急輸入により、国際マーケットを混乱させたとの批判を受けて、日本政府は段階的に米の輸入を解禁せざるを得ず、最終的に米の貿易自由化を受け入れることになる。