水野美紀
1987年、中学1年生の時に『第2回 東鳩オールレーズンプリンセスコンテスト』に出場し、準優勝。
同オーディションがきっかけでリーンプロモーションにスカウトされ、芸能活動を開始。
1994年、グリーンプロモーションの閉鎖に伴い、芸能事務所をバーニングプロダクションに移籍。
メディアから消えた理由?
映画 チラシ 踊る大捜査線
2005年に事務所の方針に反してバーニングを独立。
結局これが原因でバーニングの怒りを買い、干され、『踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!』では産休中という設定になり出演できませんでした。
復活
2011年公開の映画『恋の罪』では初のフルヌードシーンに挑戦している。
本人曰く、「これまでのイメージを覆したかった」と話題に。
その後、近年ではバラエティー番組などにも登場するようになりました。
坂上忍
3歳から劇団若草(たまたま家から歩いて5分の所にあった)に所属した。
テレビドラマの子役としてデビューし、天才子役と言われた。
メディアから消えた理由?
坂上忍 / 悲しみのモノクローム NOBODY より
1995年1月14日の深夜1時30分、仕事仲間の俳優宅でのパーティーから自家用車で帰宅途中、飲酒運転のあげく世田谷区内の道路脇の電柱に激突。
コンクリートの電柱を根元から折るという器物損壊事件を起こした。
物凄い音にびっくりした近所の人々が出て来て見守る中、坂上は車中から一旦姿を見せたが、一目で泥酔状態と判る千鳥足であった。
それにもかかわらず、坂上は大破した車に再び乗り込み逃走を図ったため、駆けつけたパトカーに追跡され約20分後に酒気帯び運転で警視庁北沢警察署に現行犯逮捕された。
その後、謹慎処分となって、そのまま、あまりテレビで見かけなくなりました。
復活
2012年6月17日放送の『行列のできる法律相談所』や『スター☆ドラフト会議スペシャル』『中居正広の金曜日のスマたちへ』などで自ら子役タレントスクールを開き、生徒達に厳しく指導している背景が放送された事から、再び注目が集まり、メディアに戻ってきました。
今ではテレビで見ない日などないタレントになりましたね。
有吉弘行
1996年、『進め!電波少年』でのヒッチハイクの旅企画で話題となりブレイク。
帰国後、CDや著書・グッズが爆発的に売れました。
メディアから消えた理由?
CDまぐれ より
ただ肝心のお笑いで結果を残すことができず、ほどなくして人気は低迷し仕事が激減メディアから消えていきました。
復活
2007年、『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』で品川庄司の品川祐に対し世間が持っているイメージを「おしゃべりクソ野郎」と表現し、これが爆笑を呼んだと言うもの。
その後、色々な芸能人にあだ名を付け、有吉はあだ名、毒舌芸人として人気を得ることとなりました。
やはり坂上忍さん同様メディアで見ない日が無い存在に。
ヒロミ
B21時代 右側
1986年、デビット伊東、ミスターちんとともにコントグループB21スペシャルを結成し全盛期には月収6000万円を稼ぎ出したほどの人気を誇った。
メディアから消えた理由?
ご本人のブログより
よく堺正章さんの激震に触れて干された、若い頃イジメていたADが偉くなり干されたとか噂がありますが、本人はスタッフから「おとなしめでできない?」「あまりツッコミがきついと…」などと言われ「俺時代が終わりつつあるな」と感じるようになったと話しています。
また放送作家だった親友・吉野晃章さんが病死したショックなどから、ごく一部のゲスト出演などを除いて芸能界を離れとも言われています。
復活
ジムの経営で、あの『カーヴィーダンス』を大流行させた樫木裕実さんをジムの看板トレーナーとして招き入れ、再びメディアに注目されるようになりました。
またある時、奥さんの伊代さんとテレビを見ていたヒロミさんが「俺だったらこうやってるのになあ~」などダメ出しを言うヒロミさんに「そこでそんだけ言っているなら出てしゃべりなよ~」と伊代さんに後押しされ本格的に復帰をする事を決めたそうです。
やはり坂上さん有吉さん同様メディアで見ない日がない存在になりました。
華原朋美
1993年から『さんまのナンでもダービー』(テレビ朝日系)でレギュラーアシスタントを務め、テレビ初出演を果たす。
メディアから消えた理由?
1999年1月30日、自宅で料理中にガス中毒で倒れ緊急入院。
この時、初めて年明けから休養していたことと小室哲哉と破局が報じられ病院に通い、医師から処方を受けた睡眠薬や精神安定剤を過剰摂取や薬物疑惑など問題視され、事務所をプロダクション尾木に移籍し、復帰会見を行うが、わずか一週間後に自宅マンションのロビーで貧血で倒れ再入院。
などで面倒な芸能人のレッテルを貼られて、メディアから姿を消しました。
復活
2014年12月『第56回日本レコード大賞』で企画賞を受賞し、「DEPARTURES」を歌唱し美声を披露。この頃からまた注目され始め2015年、日本テレビの情報番組『PON!』の月曜レギュラーコメンテーターに起用され、3月30日の回より出演。
2017年9月25日の放送をもって『PON!』レギュラーを卒業したが、他のバラエティー番組などにも登場するようになりました。
田原俊彦
1980年 田原俊彦「哀愁でいと/君に贈る言葉」
1979年4月、曽我泰久(現:曾我泰久)、長谷部徹と共に、川崎麻世のバックコーラス&ダンスグループ「ピラミッド」を結成。
同年7月まで日本テレビのダンス番組『ミュージックボンボン』にもピラミッドとして初デビュー出演。
1980年6月『哀愁でいと』で歌手デビュー。
第22回日本レコード大賞・最優秀新人賞、第11回日本歌謡大賞・放送音楽新人賞などを受賞。その後も『教師びんびん物語』など、多くのドラマに主演するなど、俳優としても活躍した。