20世紀最大のシンデレラ・ストーリーを実践したグレース・ケリーのよもやま話

20世紀最大のシンデレラ・ストーリーを実践したグレース・ケリーのよもやま話

私は、血気多感だった頃から、”結婚するなら、グレース・ケリーのような人と、恋愛するなら、マリリン・モンローのような人と・・・”が一つの夢であった。あいにく残念ながら、両方とも果たせぬ夢に終わりそうな今日この頃なのだが、すこしでも心のうさを晴らすべく、前回はマリリンに関する記事を書き、今回はグレースに関する記事を書こうかと思う。


『シンデレラ』を地で行った伝説の女優、グレース・ケリー!!

読者の方はグレース・ケリーという女優をご存知だろうか?? 超簡単に説明すると、1950年代初頭より彗星の如くアメリカの映画界に登場し、アカデミー主演女優賞も取り、まさに”飛ぶ鳥を落とす勢い”、人気絶頂時の1956年にヨーロッパのモナコ大公レーニエ3世(在位1949年 - 2005年)と結婚し女優業からは完全に引退しまうのだった。
同時代の女優マリリン・モンローの明るさとセクシーさを前面に出した美貌とは対照的な、気品に満ちた容姿が「クール・ビューティー」(cool beauty)と賛美された。
まさに、『シンデレラ』を地で行った伝説の女優であった。

グレース・ケリー、カラーの美しすぎる肖像的一枚

グレース・ケリーの生い立ち

1929年11月12日、ペンシルベニア州フィラデルフィアのアイルランド系カトリックの裕福な家に生まれた。

父ジョン・ブレンダン・ケリー(John B. Kelly, Sr.)はスラム育ちの煉瓦職人であったが、上流階級の競技であるボート競技で頭角を現し、ボート関係者の嫌がらせにもめげず、オリンピックボート競技において1920年のアントワープオリンピックで2個の金メダルを獲得し一躍国民的英雄になった。

ケリー家の家族写真

そして1924年のパリオリンピックでも金メダルを1個獲得した。その後、彼は煉瓦製造会社を立ち上げ億万長者になった。母マーガレットはドイツ系で元モデルであり大学講師だった。父方の叔父はピューリッツァー賞を受賞した劇作家のジョージ・ケリー。兄は1956年のメルボルンオリンピックのオリンピックボート競技で銅メダルを獲得したジョン・ブレンダン・ケリー・ジュニアである。

少女時代はおとなしく、赤い頬の人前に姿を現すのが苦手な子供で、3人姉妹の中でも真ん中のグレースが1番不器用であったという。その一方、ダンスやピアノを学び、やがて演技に興味を示すようになる。

幼少期のグレース・ケリー

グレース・ケリーは、形の上では社会的地位の高い父親の本に生まれたが、なぜか父親はグレースの姉、ペギーを可愛がってばかりいたそうな。父親が彼女に冷淡な癖に、異性との交際には異常なほどうるさかった。グレースも父に”認められたい”とする心理が相当なまでにあったのだろう。主に自分より年長の男性、数名と浮名を流した。

ハイスクール卒業後、家族の反対を押し切り女優を志す。ニューヨークでモデルのアルバイトをしながら演技を学び、1949年に舞台『父』でブロードウェイデビューした。グレース自身は舞台女優を目指していたが、その後、舞台の出演中にハリウッドから誘いがかかり、1951年、22歳で映画『Fourteen Hours』(日本未公開)に出演しデビューを果たす。

モデル時代のグレース

ウィルは協力者を求めて、炎暑の町を歩き回るが、臆病で利己的な住民たちはその門を閉ざす。やがて正午となり、駅に列車が到着、エミーが乗り込むと同時に、ウィルへの復讐を誓う無法者が降り立った・・・。
登場人物それぞれの思惑が入り乱れる中、全く普通の男である主人公が孤立無縁となる筋立ては、ヒーロー像を否定しつつもかえってその構図を際立たせるものになっており、娯楽映画としての定石を果たしている。劇中時間と実上映時間をシンクロさせた事も、作品を貫くリアリズムに貢献している。

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映画の時間と実際の時間がほぼ同じという画期的な作品。それだけではなく、孤高の保安官(ゲイリー・クーパー)の誇りと悩みを浮き彫りにしたフレッド・ジンネマン監督の演出が素晴らしい。お礼参りに帰ってくる無法者と受けて立とうとする保安官の状況を知った街の人の対応は、3通りに分かれる。無法者ミラー(イアン・マクドナルド)側に肩入れする人々、味方の振りをして荒事を避けるために保安官を追い出そうとする人々、極く少数の本当の味方(保安官の妻役のグレース・ケリー等)。悪党を退治した後、星のバッジを道端に放り投げて去ってゆくクーパーがかっこいい。

第25回アカデミー賞でゲイリー・クーパーが二度目の主演男優賞を受賞した作品。

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実力も人気も鰻登り!!

翌年の1953年にジョン・フォードが監督した『モガンボ』に出演し、難しい役柄を好演しアカデミー助演女優賞にノミネートされるが、苦しくも受賞は逃してしまったが、映画監督らには好印象を持たれ、特に映画監督アルフレッド・ヒッチコックのお気に入り女優として『ダイヤルMを廻せ!』『裏窓』『泥棒成金』などの作品でヒロインを勤めている。1955年には俳優ビング・クロスビーの妻役でシリアスな演技を見せたジョージ・シートンが監督した映画『喝采』でアカデミー主演女優賞を受賞した。

アフリカで動物園用の野生動物を捕獲する仕事をしている主人公マースウェル、そこにインドの王様 を追いかけてきたショー・ガールのケリー、動物学者の夫と共にゴリラの生態調査に訪れてきたリンダ という三人の男女が繰り広げるロマンチックな三角関係を描く。

『モガンボ』のグレース・ケリー

グレースに対する醜聞話

私なんかはグレース・ケリーと言えば、モナコ公妃として、教養と気品に溢れ、頭のティアラがとても似合う姿が印象に残っていて、ある意味、女神として崇拝しているような気さえする。

しかし、ハリウッド時代のグレース・ケリーにはとんでもない話が残っていたのだ(信じたくはないが・・・) それは、何と、「グレース・ケリーは『淫売』だ!!」というのだ!!!。

これは勿論、100%真実ではないと思うが、以下のような”うわさ”がまかり通っていたという。

グレースは、一日たりとも男なしでは我慢できず、ハンサムな男であればスタッフ、エキストラの区別なくベッドへ誘った。
彼女と共演して、誘惑に負けなかったのはジェームズ・スチュワートくらいなものだったとも云われている。
共演がグレースと聞いて、あんな女と親しく口をきくなんてまっぴらだわ、とオファーを蹴った女優たちも多いそうだ!!(セクシー女優ながら、女優仲間に愛されたマリリン・モンローとは大違いだ)。

アカデミー授賞式に出席するグレース。1956年

特に極めつけは、この『モガンボ』のエピソードだろう。
アフリカ・ロケ中、共演のエヴァ・ガードナーの夫、フランク・シナトラに色目を使ったグレースは、エヴァに大声で「売女」と罵られた。
ロケの夜、ついに我慢できなくなった彼女は、いきなりクラーク・ゲイブルのテントを襲い、一夜を共にした。
若い新人女優ふぜいに自分の作品を穢されたと感じた、厳格なカトリックであり、誇り高い大監督ジョン・フォードは激怒!!、翌日から彼女をシゴき抜き、間に入ったゲイブルさえも公然と罵倒したそうだ。

いったいどこまでが「本当」なのか、判らないが・・・?? 多分に「新人女優のくせに、いきなり大役ばかりを射止めている」という他女優たちのねたみもあったのではと私は思いたい!!。
ただ、彼女は非常に恋多き女性として有名で、ゲイリー・クーパー、クラーク・ゲーブル、レイ・ミランド、ビング・クロスビー、ウィリアム・ホールデン、オレグ・カッシーニ、ジャン=ピエール・オーモンなどの、主に自分より年長の男性と浮名を流していたのは事実だ!!。

父親に対するコンプレックスでこんな大事になってしまうなんて!!

これが”オスカー”受賞作だ!!

かつてミュージカル・スターとして活躍していた俳優のフランク。だが今では酒に溺れ、演技に精彩を欠いていた。そんなある日、彼に舞台演出家バーニーから新作舞台の出演要請が入る。しかし、稽古に参加するものの落ち着かないフランク。彼は、数年前に自らの不注意で当時まだ幼かった一人息子を事故死させてしまったことと、それが原因で献身的だった妻ジョージーが何度も自殺未遂起こし、いつも悩まされていることを打ち明けた。こうしてフランクは、複雑な心境が払拭されないままカムバックを果たすのだが…。
 クリフォード・オデッツの舞台劇の映画化。自らの不注意で子供を事故死させてしまった男優、その妻、そして男を舞台にカムバックさせようとする演出家の人間模様をドラマチックに描いている。三人の俳優がそれぞれ存在感のある素晴らしい演技を見せており、またG・シートンのとことん正攻法の演出も抜群にいい。音楽担当は巨匠ヴィクター・ヤング。

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父親はグレースが女優となって大成し、オスカーを受賞しても、「姉のペギーのほうがもっといい女優になれたにちがいない」などと公然とマスコミに発言し物議を醸し、グレースはいつも満たされていなかったはずだ。また、次から次へと違う男性と恋愛関係になるが、両親に結婚相手として紹介しても、相手にもされなかった。だが、彼女はそれでも父に認められようと、必死になる。要するに典型的な「ファザコン」だったのだ。

グレースの”運命”の出逢い!!

史上最大のシンデレラ・ストーリーの1つである、グレース・ケリーとモナコ公国レーニエ大公の出会いを実現させたのは、2人の未来を予見したある人物の計らいだった。

グレースとモナコ公国のレーニエ大公の馴初めは、たまたまグレースと、パリからカンヌに移動する夜行列車の中で同乗していた、アカデミー賞受賞女優であるオリヴィア・デ・ハヴィランドが夫のピエール・ガラントの勧めでモナコ公国の大公を紹介したいことをグレースに話したのが始まりだった。
ガラントはモナコに近い、ニースの生まれで、雑誌『パリス・マッチ』の編集の仕事を通じて、モナコのレーニエ大公とつながりがあったためだった。オリヴィアは、車両の間の狭い通路で二言三言、言葉を交わした。オリヴィアは彼女を追いかけて、レーニエ大公と会う気はないかと聞きいたそうだ。また、彼女を一目見て、グレースはかなり控えめで、落ち着きがあり、『きちんと育てられたお嬢さんなんだ!!』と思ったという。

オリヴィア・デ・ハヴィランド(Dame Olivia De Havilland, DBE)

そんな折、モナコに危機が訪れる。戦争でお金が必要になったフランスが、無税のモナコに対して、税金を徴収し支払うように圧力をかけてきたのだ。軍を持たないモナコは攻め込まれれば、一瞬で占領されてしまう。

グレースは決心する。『私は愛を守り抜く!!』と

モナコ公妃として、夫と子供たち、そしてモナコを愛し、守ってみせる。厳しい言葉で言えば、映画女優としてではなく、「モナコ公妃」を演じ切ることを決めたのだった。

グレースのこの変化によって、夫、また、国民との関係も徐々に回復していったそうだ。

結婚後は3人の子どもに恵まれ、公妃としても病院を設立したり、自身の名前を冠したバレエ学校を支援するなど精力的に活動した。

1982年9月13日、自らハンドルを握りローバー3500を運転して南仏のロックアジェルの別荘からモナコに戻る途中に脳梗塞を発症。そのまま急カーブの坂道でガードレールに激突し、道路横の崖を40メートルほど転落して自動車は大破した。事故後すぐに病院へ搬送されたが意識が回復しないまま翌日に死亡(52歳)。この事故死を受けてモンテ・カルロでは1日全てのカジノの営業を中止して喪に服した。

カロリーヌ(左)、ステファニー(中央)、アルベール(右)、夫レーニエと (1966年)

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