『シンデレラ』を地で行った伝説の女優、グレース・ケリー!!

グレース・ケリー、カラーの美しすぎる肖像的一枚
グレース・ケリーの生い立ち
1929年11月12日、ペンシルベニア州フィラデルフィアのアイルランド系カトリックの裕福な家に生まれた。

ケリー家の家族写真
そして1924年のパリオリンピックでも金メダルを1個獲得した。その後、彼は煉瓦製造会社を立ち上げ億万長者になった。母マーガレットはドイツ系で元モデルであり大学講師だった。父方の叔父はピューリッツァー賞を受賞した劇作家のジョージ・ケリー。兄は1956年のメルボルンオリンピックのオリンピックボート競技で銅メダルを獲得したジョン・ブレンダン・ケリー・ジュニアである。

幼少期のグレース・ケリー
グレース・ケリーは、形の上では社会的地位の高い父親の本に生まれたが、なぜか父親はグレースの姉、ペギーを可愛がってばかりいたそうな。父親が彼女に冷淡な癖に、異性との交際には異常なほどうるさかった。グレースも父に”認められたい”とする心理が相当なまでにあったのだろう。主に自分より年長の男性、数名と浮名を流した。

モデル時代のグレース

真昼の決闘(High Noon) [Blu-ray] [Import]

真昼の決闘 [DVD]
実力も人気も鰻登り!!
翌年の1953年にジョン・フォードが監督した『モガンボ』に出演し、難しい役柄を好演しアカデミー助演女優賞にノミネートされるが、苦しくも受賞は逃してしまったが、映画監督らには好印象を持たれ、特に映画監督アルフレッド・ヒッチコックのお気に入り女優として『ダイヤルMを廻せ!』『裏窓』『泥棒成金』などの作品でヒロインを勤めている。1955年には俳優ビング・クロスビーの妻役でシリアスな演技を見せたジョージ・シートンが監督した映画『喝采』でアカデミー主演女優賞を受賞した。

『モガンボ』のグレース・ケリー
グレースに対する醜聞話
私なんかはグレース・ケリーと言えば、モナコ公妃として、教養と気品に溢れ、頭のティアラがとても似合う姿が印象に残っていて、ある意味、女神として崇拝しているような気さえする。
しかし、ハリウッド時代のグレース・ケリーにはとんでもない話が残っていたのだ(信じたくはないが・・・) それは、何と、「グレース・ケリーは『淫売』だ!!」というのだ!!!。

アカデミー授賞式に出席するグレース。1956年
特に極めつけは、この『モガンボ』のエピソードだろう。
アフリカ・ロケ中、共演のエヴァ・ガードナーの夫、フランク・シナトラに色目を使ったグレースは、エヴァに大声で「売女」と罵られた。
ロケの夜、ついに我慢できなくなった彼女は、いきなりクラーク・ゲイブルのテントを襲い、一夜を共にした。
若い新人女優ふぜいに自分の作品を穢されたと感じた、厳格なカトリックであり、誇り高い大監督ジョン・フォードは激怒!!、翌日から彼女をシゴき抜き、間に入ったゲイブルさえも公然と罵倒したそうだ。
いったいどこまでが「本当」なのか、判らないが・・・?? 多分に「新人女優のくせに、いきなり大役ばかりを射止めている」という他女優たちのねたみもあったのではと私は思いたい!!。
ただ、彼女は非常に恋多き女性として有名で、ゲイリー・クーパー、クラーク・ゲーブル、レイ・ミランド、ビング・クロスビー、ウィリアム・ホールデン、オレグ・カッシーニ、ジャン=ピエール・オーモンなどの、主に自分より年長の男性と浮名を流していたのは事実だ!!。
父親に対するコンプレックスでこんな大事になってしまうなんて!!
これが”オスカー”受賞作だ!!

喝采 [DVD]
父親はグレースが女優となって大成し、オスカーを受賞しても、「姉のペギーのほうがもっといい女優になれたにちがいない」などと公然とマスコミに発言し物議を醸し、グレースはいつも満たされていなかったはずだ。また、次から次へと違う男性と恋愛関係になるが、両親に結婚相手として紹介しても、相手にもされなかった。だが、彼女はそれでも父に認められようと、必死になる。要するに典型的な「ファザコン」だったのだ。
グレースの”運命”の出逢い!!
史上最大のシンデレラ・ストーリーの1つである、グレース・ケリーとモナコ公国レーニエ大公の出会いを実現させたのは、2人の未来を予見したある人物の計らいだった。

オリヴィア・デ・ハヴィランド(Dame Olivia De Havilland, DBE)
そんな折、モナコに危機が訪れる。戦争でお金が必要になったフランスが、無税のモナコに対して、税金を徴収し支払うように圧力をかけてきたのだ。軍を持たないモナコは攻め込まれれば、一瞬で占領されてしまう。
グレースは決心する。『私は愛を守り抜く!!』と
モナコ公妃として、夫と子供たち、そしてモナコを愛し、守ってみせる。厳しい言葉で言えば、映画女優としてではなく、「モナコ公妃」を演じ切ることを決めたのだった。
グレースのこの変化によって、夫、また、国民との関係も徐々に回復していったそうだ。

カロリーヌ(左)、ステファニー(中央)、アルベール(右)、夫レーニエと (1966年)