大ヒットした「日吉ミミ」「男と女のお話」
鼻にかかった声でハイトーン。突き放したような歌い方が特徴的でした。よく歌い方を真似ていましたね。
ふられた時に、"こいび~とに、ふられ~たの、よくあるはなしじゃないか~"(日吉ミミ「男と女のお話」より引用)のあとに、「そうだ! そうだ!」と合いの手を自分で入れながら泣きながら歌った記憶があります。
ふられた時には、思いっきり暗い曲を聴きまくるか、自分でうたいまくる。これに限ります!
日吉ミミをご存じない方へ
本名は黒岩 和子(くろいわ かずこ)旧姓は小池
生年月日 1947年7月21日
没年月日 2011年8月10日(64歳没)
埼玉県浦和市(現:さいたま市)出身
歌手の他、テレビや映画にも出演されていました。
中でも、1978年5月17日~1979年2月7日放映の「ムー一族」は、みなさんも覚えていらっしゃるのではないでしょうか。
デビューは、日吉ミミではなかったのですね。これは知りませんでした。
「男と女の数え歌」も懐かしい
そして、この歌詞も自分で突っ込める!
男の人に向けた言葉、女の人に向けた言葉になっているので、どちらも突っ込めます。
女の人に向けた言葉に、"泣いてすがって 傷つくよりも 死んだ小鳥はすてるもの それでいいじゃないか"(日吉ミミ「男と女の数え歌」より引用)というのがありますよね。ここのフレーズのときに心の中で、「そうだ!そうだ!」と思いながら自分を慰めていましたね。
降られ人生まっしぐらだった私をまるごと思い出してしまいましたあ。
人気テレビドラマ「ムー一族」にも出演してましたね
「ムー一族」覚えていますか?
西城秀樹が出演していたヒットドラマ「寺内貫太郎一家」に続く「ムー」の続編でした。
日吉ミミは、このドラマで、居酒屋でみんなが飲んでいるところに、大学生のバンドと一緒に
歌を歌っていました。挿入歌「世迷い言」。"よ~のな~かばかなのね~"(日吉ミミ「世迷い言」より引用)の言葉が印象的でしたね。当時は、いろんなところで引用していた記憶があります。この「世迷い言」も、このドラマからヒットしました。
「ムー一族」とは
樹木希林と郷ひろみが歌った「林檎殺人事件」もヒット
余談ですが、最近のドラマって、、
「寺内貫太郎一家」もそうですが、ある一家を取り巻く日常のお話しで、頭で考えずに単純に笑えて、どこかほろりとして暖かくなる。そしてすっきり終わる。最後の最後に「ん?」と考えさせられてすっきり終わらないドラマが今は多い気がします。
最後はすっきり終わるのが大事だと思っているのは私だけでしょうか?
あの!お笑い番組「オレたちひょうきん族」にも出演していました
日吉ミミ、山本リンダ、安倍律子の三人組のアイドルユニット「ゴックン娘」。タケちゃんマンが「ゴックン!」というギャグを使うと登場する神出鬼没の姉妹の一人として登場していました。主に「黄色いサクランボ」の替え歌を歌っていました。
デビュー40周年記念の新曲完成後にすい臓がん発見
2009年に、デビュー40周年を記念して、新曲「言(こと)の葉の夢」が完成し、プロモーションに力を入れていた矢先に、体調を崩し、すい臓がんが発見されたそうです。8時間におよぶ大手術。2006年に最愛の母を亡くし、2008年には妹さんに食道がんが発覚。すでに末期で手のほどこしようがなく、そのまま帰らぬ人に。その翌年のことでした。家族の不幸が続いただけでも悲しみにどん底なのに、大手術に耐え、その年の12月にはステージに復帰を果たすという、なんとも強い精神の持ち主だと思いました。
デビュー45周年を目の前に帰らぬ人に
復帰後には、シングル「いのちのしずく」を発表。病と闘いながらも、精力的にテレビやラジオで活動を続けていたそうです。そして、翌年に控えたデビュー45周年に向けて、夫で所属事務所社長の黒岩慶三さんやレコード会社関係者の方と直前まで活発に意見を交わしていたそうです。さぞかし無念だった思います。東日本大震災の年、2011年8月10日永眠。64歳でした。
最後の仕事は今年5月のNHKラジオ第1「歌の散歩道」への出演。東日本大震災で非常に心を痛めており、「苦難を乗り越えてほしい」とのメッセージを込めて「いのちのしずく」を流した。
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/08/12/kiji/K20110812001394820.htmlデビュー45周年を前に…日吉ミミさん死去― スポニチ Sponichi Annex 芸能
シングル48枚、ずっと歌い続けていたのですね。。
最後にもう一度、年齢を重ねた日吉ミミの「世迷い言」を!
歌詞のなかの
"上から読んでも下から読んでも ヨノナカバカナノヨ"
(日吉ミミの「世迷い言」より引用)
この歌詞は、素晴らしい!
亡くなってから7年もたってしまいましたが、病と闘いながらも、亡くなる直前まで、前向きに強く生きた「日吉ミミ」に勇気をいただきました。ありがとうと共に、ご冥福をお祈りします。