真純が音楽祭でグランプリをとってしまったことで、ともだちになれると思っていた同期の女の子と気まずくなり、落ち込む真純。そんな矢先、本当だったらそのともだちの美名子が獲るはずだったグランプリだったと耳にし、真純はマスコミに向かって
お金で買った賞なんて欲しくないわ!!
小学館『25時のシンデレラ』p113 1983.7
と発言してしまう。
その後で感情を堪えきれず、そこを通りかかった克之に抱きついてしまう。
当然、マスコミはそれを逃すわけなく……。
新聞に“爆弾発言”とスキャンダラスに載ってしまうのです……。
間違ってないことを言った、と真純は苦言をいうマネジャーにたて突きますが、
「売るためなんだわかってくれ」と言いつくろうマネージャー。
ここでこっそり克之に会いに行く真澄。
克之はやれやれといった風に真純をぶっきらぼうに受け入れます。
克之の言葉を聞き入れていくうちに、真純は自分がどうしたいのかをおぼろげに掴めとります。
“あたし……シンデレラなんて望んでなかった…”
真純は芸能界をやめることを決意します。
しかし……。
周囲の思いがけない言葉に支えられ、真純は一度決めたことを、まっすぐに突き進めることを決意します。
これが“正解”なのかどうかは読者にもわかりません。
真純は外から植え付けられたキャッチフレーズ“80年代シンデレラ”の魔法に、
“自分の力で歩きたいんです”
“自分に負けたくないから”
と宣言します。
終わりに…
シンデレラは与えられたものをただ享受していきますが、王子さまと結ばれて幸せに……は、はたしてそれは本当に幸福なのでしょうか。周囲の声のままに「ああすればこううまくいく」「なにも考えなくてもあの人のいう事を聞けばうまくいく」と、そこにシンデレラの、自分の意思はあったのでしょうか。
“人形”という比喩が妙に気になるところですね。
“素敵なドレス”、“素敵なガラスの靴”、“立派な馬車”に、“カッコいい王子さま”を与えられたシンデレラ。
そのデコレーションされた幸せは、ほんとうに幸せなんでしょうか。
周囲の甘い囁きを撥ね退けてまで“じぶん”を守ることはこわい、周囲の声に流されて甘えてしまいたくなる、そんな瞬間は絶えず絶えずわたしたちを支配します。
「けれども、間違っているかもしれないけど周囲と違う“じぶん”を発見することでわたしたちはなにか得がたいかけがえない幸せを得るのかもしれないのかもしれません。 」
「25時のシンデレラ」はそんなことを思わせる作品でした。