川原由美子さんといえば!!!

前略ミルクハウス!
前略・ミルクハウス(1) (ソノラマコミック文庫) | 川原由美子 | 青年マンガ | Kindleストア | Amazon

プランツ・ドール!
が有名ですね!!!
か細く繊細な少女心をかくもこうもわたしたちの前に体現させてくれた作者!
と私は思っています。
今回、クローズアップしたい作品はこちら!
25時のシンデレラ

いわゆるシンデレラ・ストーリー。
1980年代のシンデレラガールといえば。
松田聖子さんですね!
はかなげでみずみずしい……!!!
なお、“コンテスト当日は大好きな歌手に会いに行くと嘘をついて母親に会場である福岡市民会館まで送ってもらった。母親は聖子と別れて買い物に行くが、買い物を終えて会場に入ってみると聖子がステージ上で歌っていたという。”というエピソードもございます。
男女共同参画社会(1999年)もまだ施行されていなかった頃、「女が仕事とはけしからん……」などと女性への偏見が強い中、女性は奮闘して、男性と同じ地位にあがるために尽力していた時代ですね。松田聖子さんは女性に夢を与えるそんな存在だったと思います。
みずからの少女性を大事に守りながら、しなやかに生き抜いた女性。
さてさて。
今回は松田聖子さんをモデルにしたと思われる「25時のシンデレラ」の“エッジポイント”を追っていきましょう!
シンデレラのその後はほんとうに幸せに終わったの?

友人の後押しされて、“――スターになんかなりたいのかわからなかったけど……ただ自分に何ができるのか…ためしてみたかったの…”と軽い気持ちで芸能界に入った真純(ますみ)。
しかし、うなぎ上りに人気を集める真純に、周囲の反応が変わってしまい、戸惑うばかりの真純。
ころんだことを逆に利用するくらいのずぶとさがなくちゃなんないのにさ うろたえてベソベソしてるなんてあんまり格好のいいもんじゃないぜ そんなんじゃこの先どーなることやら売りだす方もたいへんだ
小学館『25時のシンデレラ』p42 1983.7
真純はマネージャーのことばやヒーロー役の克之くんの言葉に反発を覚えて、克之くんにこう返します。
“人によく見られるためにうそついたり 他人の失敗を利用してまで自分を目立たせるなんてこと…いやだもの…!”
まっすぐにありたい潔癖な少女。
胸が痛くなりますが、真純が入ったのは芸能界という人、人、人の巣窟。
うまいことやって小賢しく生きなくてはなりません。
オレたちは人形を作りたいわけじゃないんだぜ 生きたものを作りたいんだ

真純が音楽祭でグランプリをとってしまったことで、ともだちになれると思っていた同期の女の子と気まずくなり、落ち込む真純。そんな矢先、本当だったらそのともだちの美名子が獲るはずだったグランプリだったと耳にし、真純はマスコミに向かって

お金で買った賞なんて欲しくないわ!!
小学館『25時のシンデレラ』p113 1983.7
と発言してしまう。
その後で感情を堪えきれず、そこを通りかかった克之に抱きついてしまう。
当然、マスコミはそれを逃すわけなく……。
新聞に“爆弾発言”とスキャンダラスに載ってしまうのです……。
間違ってないことを言った、と真純は苦言をいうマネジャーにたて突きますが、
「売るためなんだわかってくれ」と言いつくろうマネージャー。

ここでこっそり克之に会いに行く真澄。
克之はやれやれといった風に真純をぶっきらぼうに受け入れます。
克之の言葉を聞き入れていくうちに、真純は自分がどうしたいのかをおぼろげに掴めとります。
“あたし……シンデレラなんて望んでなかった…”
真純は芸能界をやめることを決意します。
しかし……。

周囲の思いがけない言葉に支えられ、真純は一度決めたことを、まっすぐに突き進めることを決意します。
これが“正解”なのかどうかは読者にもわかりません。
真純は外から植え付けられたキャッチフレーズ“80年代シンデレラ”の魔法に、
“自分の力で歩きたいんです”
“自分に負けたくないから”
と宣言します。
終わりに…

シンデレラは与えられたものをただ享受していきますが、王子さまと結ばれて幸せに……は、はたしてそれは本当に幸福なのでしょうか。周囲の声のままに「ああすればこううまくいく」「なにも考えなくてもあの人のいう事を聞けばうまくいく」と、そこにシンデレラの、自分の意思はあったのでしょうか。
“人形”という比喩が妙に気になるところですね。
“素敵なドレス”、“素敵なガラスの靴”、“立派な馬車”に、“カッコいい王子さま”を与えられたシンデレラ。
そのデコレーションされた幸せは、ほんとうに幸せなんでしょうか。
周囲の甘い囁きを撥ね退けてまで“じぶん”を守ることはこわい、周囲の声に流されて甘えてしまいたくなる、そんな瞬間は絶えず絶えずわたしたちを支配します。
「けれども、間違っているかもしれないけど周囲と違う“じぶん”を発見することでわたしたちはなにか得がたいかけがえない幸せを得るのかもしれないのかもしれません。 」
「25時のシンデレラ」はそんなことを思わせる作品でした。